います

しばらくnoteを使っていなかった。
ちょっと何か書く。

ネットでは、何も書いていないと、何もしていない人になる。
そして何もしていない人のままでいると、いつのまにか居ない人になる。

出力と存在が同等だ。
現実の世界では、何もしていない人も、少なくともそこに居ることができる。自分の手は手であろうとしているからそこにあるわけではない。

もしも世界が、じっとしているだけで体がだんだん半透明になって消えるような仕組みだったら、世界はもっと慌ただしく、そしてインターネットに似ていたと思う。

ただし、何もしなくても居ることができるのは自分に関してだけだ、という気もしている。

この前、誤って外に締め出された飼い猫を見た。
斜向かいの家で飼われているグレーの綺麗な長毛種だ。ふだんは内飼いだが何かのきっかけで外に出て、そのままドアを閉められてしまったのだろう。チャイムを押して家主に知らせると感謝の言葉を述べてくれ、猫はすぐにドアの中に戻った。その猫を見たのは数年ぶりだった。十年には満たないが、かなりの期間になる。

だから見かけた時は「ああ、まだ生きていたのか」と思った。ドアの前で途方に暮れている(ように見えた)猫を見るまで、僕の中でその猫は死んでいた。というよりも、消えていた。

「ちゆ12歳」が更新されたのに気付いたときの意識の動きに似ている。

だから本質的にはネットも現実も変わらないのだろう。
違いがあるとすれば、ネット上の自分は客観的に見やすいことだ。自分自身が他人に忘れられていく感覚を自分で感じ取ってしまうから、むやみに焦るのかもしれない。

ここからもう少し書くと教訓が出てしまいそうなのでやめる。
教訓が出る前に終わる話が一番具合が良い。

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