ふた

「わたしって、たぶん霊感あるんです。実家が山に挟まれた結構な田舎なんですけど、集落と裏山の間の、ちょうど境目あたりに石の祠があって、それのせいで気づきました。その祠に近づくと、子どもの頃からなんかすごく嫌な気分になるんですよ。祠はごつごつした大きい石を積み重ねて紐みたいなものを巻いただけの、かろうじて家の形に見えるような簡素なものなんですが。いや、ていうか、たぶんきっと祠じゃないんですよね。どっちかというと……そう、蓋みたいな。何かよくないものが出てくるのをふさぐための、蓋。わたしには、その祠がそう感じられました。別に幽霊とかキツネとかが見えるわけじゃないんですけど。でもほら、たとえば、チョコレートの空箱にゴキブリを入れて蓋を閉めたら、その箱を見てるだけで落ち着かない、嫌な感覚になると思いません? そういう雰囲気なんですよね、わたしがあの祠を見て感じるものって。あ、絶対なんかいる、ってわかるんです。だから、なるべくあのへんには近づかないようにしてました。まあ、裏山のほうなんてめったに用事はないんですが、どうしても近くを通る必要があったら、祠を見ないようにしてすごい早足で通り抜けてました。お祖父ちゃんは道祖神を祀ってるって教えてくれたけど、今考えてもそんなにいいものじゃない気がします。大学進学をきっかけに東京へ出て一人暮らしをするようになったら、すぐ祠のことは忘れちゃいました。東京ではそういう嫌な気配を感じることは一回もなかったし、そもそもあの祠以外で霊感がはたらいたことないんですよね。改めて考えるとそれを霊感って言っていいのか微妙ですけど……。それで去年のお盆ごろ、2年ぶりに田舎に帰ったんです。本当はもっと早く帰る予定だったんですけど、コロナに罹っちゃったりとかいろいろあって。田舎は全然変わってませんでした。ご近所に帰省の挨拶して回って、東京と比べると青空が広いなーなんて思いながらひとりで散歩してたら、なんか、蝉の鳴き声に混じって変な音が聴こえるんですよ。遠くの方から唸り声みたいなのが。で、よく聴くとその声、裏山の側……祠がある方からしてるっぽくて。わたし、気になってそっちに歩いて行ってみたんです。そしたらだんだん唸り声がはっきりと言葉の形になってきました。最初は『エー』みたいに聞こえてたのが『テー』『シテー』みたいにはっきり。石の祠は、変わらず同じ場所にありました。ただ違うのは、黒いものがベタッと張り付いてたことです。声はその黒いものが発していました。祠まで15メートルくらいまで近づいた時点で、それが何を言ってるかわかりました。『返して』って言ってるんです。何度も何度も『返してー』って。あ、いや、幽霊じゃないですよ。人間のおじさんです。真夏には不釣り合いな、真っ黒のダウンジャケットとスラックスのおじさんが、祠を抱え込むようにくっついて『返してー』『返してー』って、蝉が鳴くみたいに何度も何度も叫んでたんです。わたしには背を向けてたので顔は見えないですけど、たぶん知らない人でしょうね。気味が悪いんで、足音で気づかれないようにゆっくり、ゆっくり後ずさりして逃げました。後はもう何もないです。家族にも言ってません。え? 怖がってた祠に近づいた理由ですか? そのときはもう嫌な感じがしなかったんですよ。前は感じてた悪いものの気配がすっかりなくなってたから、近づけたんだと思います。きっとあの蓋、わたしが東京に行ってた間に、とれちゃってたんでしょうね。出ていった後なんです。あのおじさんが何を返してほしかったのか知らないですけど、教えてあげればよかったかもしれませんね。それ、ただの石だよ。そこにはもう何もいないよ、返してくれるわけないよ、って」


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