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ウロマガ抜粋ノート【2018年9月】

月額マガジンで毎日更新している日記から抜粋したものです。


2018年9月2日の日記

一段落したので祖母の見舞いに。祖母は祖父が亡くなってすぐに認知症を発症し、精神病院で暮らしている。昨年は荒唐無稽な妄想(米兵に狙われている、等)をぺらぺら喋る程度には元気だったが、今回はもうかなり衰弱しているようすだった。つばを嚥下する力も残っていないようで、こちらに黒目をしっかり向けながら、つばの溜まった口を微かに動かしていて、そのたびに口の端からピシピシと小さい音が鳴っている。これでも今日は調子がいい方らしく、先日までは目を向けることすらなかったという。手首を握ってみたら、人肌に温かい生の鶏肉のような手触りだった。それで、この人はもうすぐ死ぬのだなと感じた。人体や精神の諸機能が統合することで人はひとつの人格を為すので、ある意味で一人の人はひとつの群れだと言えるが、群れを作る諸機能が少しずつ分散していくのが老いなのかもしれない。この期に及んで祖母が何かを考えられるのかはわからないが、たぶん不安な気持ちは常にあるだろうなと思う。なるべくなら安らかでいてほしいがそれも難しいだろうな。自分もああなったりするわけだな。こういうときでも私は自分自身の死のことばかり案じてしまうので基本的に冷たい。

2018年9月4日の日記

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推理力があれば、これを見ただけで「一平ちゃん」の痕跡を察することができる。


2018年9月8日の日記

心療内科、行くたびに思うことがある。それは「自分程度のやつが薬をもらってしまってもいいんだろうか」ということ。自分の主な悩みは注意欠陥である。忘れ物が多かったり、タスクへの取り組みが遅かったりなどだ。しかしこれは程度問題であって、手に職もあり致命的なミスもなく暮らせている私はかなり軽度な発達障害だろうと思う(職種が特殊なのも大きいが)。現に医師は「日常生活を問題なく送れているならそれに越したことはない」と何度か言っている。それでも病院に行く意味は何か? を考える、と「他人がどうであろうと、自分基準で困ってる」という結論に行き着く。勤務時間8時間のうち、冗談抜きで5時間くらいぼんやりしてるときとかあるんですよ。どうにかこうにか帳尻を合わせて仕事は済ませてるんだけど、やっぱり不安はある。メディスンで多少どうにかなるならどうにかしたいというのが本当のところだ。


2018年9月10日の日記

今日、なんかワイルドなことがしたいなと思って、コンビニでミルフィーユケーキを買ってきて、風呂場で頭から熱いシャワーを浴びながら素手でむさぼり食ってみたんだけど、今までにない体験だった。


2018年9月12日の日記

最初期のちびまる子ちゃんのアニメ見てるんだけど、丸尾くんの演技がまだ固まってなくてフツーの男子っぽい。他のキャラもまだゆらぎを感じる。そらそうだよな。だってこれが放送されてた頃は「丸尾くんの演技」という正解がまだ存在しなかったんだもんな。繰り返し繰り返し丸尾くんを演じていくうちに自分自身をカリカチュアライズし、現在の丸尾くんになった。

でも記号化がすっかり済んだ今よりもある意味でキャラクターとしては豊かなのかもしれないと思う。完全にキャラクター性が確立したキャラクターは、内面の掘り下げ可能性が絶えてしまっているように見え、さびしく感じることがたまにある。


2018年9月14日の日記

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からあげ

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劣化したからあげのデータ


2018年9月15日の日記

それにしてもアングラ文化が最終的にセックスアンドバイオレンスに行き着いてしまうの退屈ではないか。猿だってどっちもやってるぞ。猿にもできることが人間社会の深淵でいいのか。なあ!


2018年9月19日の日記

車で移動しながら窓の外を見ていたら、右脇にぶどうの箱を抱えた老人が歩いていて、道の脇でしゃがんだかと思ったら、街路柵に絡みついているツタをほどき始めた。私が、あの人、ツタほどいてません? と言ったら、みんなも気づいて、本当だ、ツタほどいてる。妖怪ツタほどき、と口々に言ったりした。


2018年9月21日の日記

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スタバで芋けんぴフラペチーノを頼んだら勝手にチャーリーブラウンを描かれた。キルミーベイベーの二期を望んでそうな顔だと思われたのか?


2018年9月22日の日記

二次創作と一次創作の違いは、本当に権利上の関係の違いだけで、創作という行為においては等価である。これに我々はどう向き合っていくべきなのだろう(さりげなく主語を我々にしている)。まあ極端な話、キャラクターが酷く陵辱される二次創作なんかも溢れてるわけで、そういうのも含めて可能世界が作られているというのはけっこう重いときがある。

そういえばかなり以前、ツイッターでフォローしている直泰さんが「キャラが陵辱される同人誌のほうが、キャラを淫乱に改変されている同人誌よりもキャラクターの人格に対して誠実」(意訳)ということを言っていて、かなり感心した。

人がアダルト同人誌を描きたがるモチベーションには性的願望の充足以外にもキャラクターの可動域を確かめたい、という思いがあるような気がする。「こういうとき、あのキャラはどんなことを言うんだろう」という好奇心の暴走の先にそういう表現がある、という感じで。想像ですが。


2018年9月25日の日記

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ピーポのメスは形質的に色素が薄いんだな。こういうのを性的二形という。あるいはオスの色が濃いのか? 色が派手だと交尾相手を探すとき有利なのかもしれない。婚姻色という。

また、頭部に注目すると、ピーポの触角の先端にある丸いものは中央のピーポにのみついていて、その他は多様だ。これは体のパーツなのではなく、髪の毛につけたアクセなのかも。

また、彼らにとっての衣服はどんな文化的扱いなのか。中央のピーポはほぼ全裸だが、ほかの連中はわりと服を着ている。かと思うと左から3番目のピーポは上半身が背広で下半身が裸だ。羞恥心などはなく、人間の服飾文化を形式的に模倣しているだけなのではないか、という気がする。


2018年9月27日の日記

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