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みつをだもの


つまづいたって いいじゃないか
にんげんだもの みつを


有名すぎるほど有名な、相田みつをの詩である。あなたはこの詩が好きですか?


 私が見てきた狭い観測範囲によると、サブカルチャーの世界にいる人(たとえば作家とか)のけっこうな割合が、相田みつをに薄めの反感を示している。大嫌い! というほどの強い拒絶ではなく「ああ、相田みつをね……」みたいな冷めた姿勢になりがちである。というか僕がそのひとりだ。居酒屋のトイレのカレンダーなどに「アレも コレも ほしがるなよ」などと大書してあると「ぎゃっ」と小さく叫んで走りたくなってしまう。


 僕はこれを、相田みつをの詩の内容の、よくもわるくも説教くさい感じ、のせいだと思っていた。しかしどうも違うようだと考えを改めたのは最近のことだ。


 彼の詩は海外でも読まれているらしいのだが、英訳された詩を読んだら、なんというかグッときてしまったのだ。

It's alright to make a mistake, we are human.
(間違いを犯しても構わない、われわれは人間だ)


 あれ、なんかカッコいいぞ。

 翻訳を経ることで意味を残したまま文体が硬質になり、良い感じになっている。どうやら僕が苦手としていたのは、説教臭い内容というよりも、その語り口だったようだ。あの「気のいいおじさん」のような語り口と「素朴」な字体に、得も言われぬ忌避感を抱いてしまっていたのはなぜだろうか。


 相田みつをほど大衆の支持を受けた詩人もなかなかいない。教訓的であり、素朴な口語調はマネしやすい。そのため、無数の「みつをフォロワー」が現れるのは必然だった。彼らは都合よく「みつを」を引用し、安直に模倣した。そしてそれはまんまと市場に流通した。だから僕たちは相田みつをの死後、添加物入りの大量生産食品のような「みつを」的ポエムを知らず知らずのうちに摂取している。

 そのせいで、一部の人間はアレルギー反応を起こすようになってしまったのではないか。つまり「相田みつを」を苦手な理由は「相田みつをみたいだから」だと言えるのではないか……。


 真実はたいてい、もう誰かが気いているし、何度も言われ尽くしている。そのせいでかえって言葉が陳腐になり、拒絶されるとすれば。

 難儀なもんだなあ。


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