こんにゃく日記 #16


なんだか目が覚めてしまったので、朝っぱらからnoteを書いている。ふと、僕がこの何の役に立つでもないnoteを書き続ける理由はなんだろうかと考えてみた。

ひとつは単純にnoteが好きだからだ。シンプルで広告もなく、文字数を気にする事もなく、とても使いやすい。文章を書くだけなら他にもあるけど、思った事を思ったまま書けるnoteがいい。


あとは少し気取った言い方をするなら、note書くことが僕が生きている、生きていた証明だからだ。

でも、あとで見返して「変なこと書いてるな」と思う可能性もあるので、こんなもの残さない方がいいのかもと少し思ってはいる。


先日、「君たちはどう生きるか」の原作を友人にすすめられて読んだ。考えさせられる内容だった。特に主人公コペル君の母親が話した「石段の記憶」の部分が、個人的には印象的だった。丁度、似たような事がつい数日前にあったからだ。

驚いたのは1937年に書かれたということだ。読む前は時代背景が違うから、どうなんだろうと思っていたが、普遍的な内容がテーマとなっていたので、あまり気にならなかった。それに本にも書かれていたが、時代に合わせて細かく修正が加えられてきたことで、あまり違和感なく読めたのだろう。

ストーリーはコペル君の立場で進む。コペル君は思慮深く、優しく、人として正しい行動を取る。じゃあコペル君のように生きればいいのかというと、この本が言いたいのは多分そういう事ではないのだろう。

この本を読んで「はい、わかりました」とコペル君のように、素直に誠実に生きたとしても、おそらくどこかで壁にぶつかる。本当にどう生きるかが問われるのは、その時ではないかと思う。コペル君ほど快活な人間ではないが、僕もどちらかといえば優等生的に生きてきた。そして今めちゃくちゃ壁にぶつかっている。だから、今この本を読んでよかったと思っている。

ジブリの映画はまだみていないのだが、映画に関する記事を見てみると、内容は全然違っていて、タイトルだけ本から借りてきたようだ。何で宮﨑駿はこのタイトルにしたのか、映画も見ていないのでわからないけど、それをきっかけに原作を読む人も沢山いるだろうから、それだけでも十分な影響だ。


全然関係ないけど、
「もう映画は作らない」と言っていたのに、詐欺じゃないかと思ったら、今回の作品は宮"崎"駿ではなく、宮"﨑"駿らしいので、嘘はついていない。

そんなん誰も分からんよ。

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