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『ダブドリ Vol.9』インタビュー04 ジャワッド・ウィリアムズ(宇都宮ブレックス)

2020年5月9日刊行(現在も発売中)の『ダブドリ Vol.9』(ダブドリ:旧旺史社)より、ジャワッド・ウィリアムズ選手(現 長崎ヴェルカAC)のインタビューの冒頭部分を無料公開いたします。インタビュアーは、ライター・翻訳家の大西玲央。なお、所属・肩書等は刊行当時のものです。

2005年に名門ノースカロライナ大学で優勝し、2007年にはレラカムイ北海道で1年プレー。その後NBAや海外リーグを経て、10年後に再び日本に戻ってきたジャワッド・ウィリアムズ。その特異なキャリアについて語ってもらった。(取材日 3月6日)

玲央 日本では2007年に一度プレーしていますが、どういう経緯で10年後に戻ってきたのですか?
JW 日本が大好きなんだ。もし北海道でプレーした後にクリーブランド・キャバリアーズに行っていなかったら、日本でずっとプレーしていただろう。日本はずっと自分の中で大切な場所で、僕の家族にとってもそうなんだ。妻とは北海道で婚約している。だからまた戻ってこれたことは、とても嬉しいんだ。
玲央 昨季はアルバルク東京でプレーし、右足アキレス腱断裂という形でシーズンが終わってしまいました。しかし完治後に、B2の越谷アルファーズと契約。どういう経緯があったのですか?
JW 選手によっては、あれは選手生命が終わってしまうような怪我だった。36歳にしてアキレス腱を断裂して復帰するなんて、できないだろうと疑っている人が多かった。でも自分はどれだけ努力するかわかっていたし、復帰できる自信もあった。そこでアルファーズが復帰する場を与えてくれたんだ。ほかのB1チームはまだ懐疑的な目で見ていた。どれだけ僕のリハビリが進んでいたかわからなかったからね。アルファーズは僕に賭けてくれ、僕も賭けようと思ったんだ。
玲央 では他のチームに自分の状態を見せる場にもなった訳ですね。
JW そうだね、結構すぐだった。(アルファーズでは)4試合しかプレーしていないからね。みんな僕が完治しているんだなと気づいた時点で、動いてくれたんだと思う。良い結果になったよ。
玲央 アルバルク時代に対戦していたライアン・ロシター選手やジェフ・ギブス選手と一緒にプレーするのはどんな感じですか?
JW 最高だよ。どちらも良い選手で、練習中はお互いを高め合っている。今日も練習で競い合っていたのを見てくれたと思うけど、そうすることで個人も強くなるし、チームも強くなる。最終的には是非ここでも優勝したいね。
玲央 前号でジュリアン・マブンガ選手(京都ハンナリーズ)をインタビューしたときに、ギブス選手相手にポストアップするのはまるで壁を相手にしてるみたいだと言っていたのですが、実際そんな感じですか?
JW 間違いないね。ジェフはもうアメフト選手だよ。アメフト選手がバスケをやってるようなもので、重心の低さと強さをうまく使っている。彼を動かすのはなかなか難しいだろう(笑)。
玲央 あなたはキャリアを通してスリーが打てる選手でした。今ではバスケットボールが変わり、NBAは完全にスリー主体のリーグとなりましたが、B.LEAGUEはまだ多くの外国籍選手がインサイドでプレーしていたり、まだ過渡期にあるのかなと思っています。ただブレックスはジャワッド選手、ロシター選手、ギブス選手とそれぞれスリーが打てますよね。このリーグにもその変化は訪れていると感じますか?
JW ああ、感じているよ。各チームが、バスケの変化に対応し始めていると感じている。コートをストレッチすることで、ドリブルからのプレーやポストでのプレーで中を攻めやすくなる。そして僕はここのコーチ陣からそれを求められていると思っている。ライアンとジェフは僕ほどスリーを打たないからね。
玲央 大学時代からスリーをしっかりと打ってますよね。ずっとストレッチ4的な存在だった印象があります。
JW そうだね。でも当時のバスケはまだストレッチ4の時代ではなかったから、僕はビッグマンなのにスリーを打ちすぎると批判されたものだよ。ちょっと時代を先取りすぎていたのかもしれない。小さい頃から、ただ背が高いからという理由で、ポストだけでプレーする選手にはなりたくないと思っていた。そんな選手ばかりだからね。だからポストでプレーしていたとしても、できるだけアウトサイドのスキルを練習したりするようにしていた。いざやるとなったときにできるに越したことはないからね。

UNCには夏になると、あらゆる世代の選手たちが集まってくる。

玲央 怪我をしているときに真っ先にUNC(ノースカロライナ大学)に行きましたが、UNCのトレーナーがリハビリを手伝ってくれたのですよね? OBも現役選手のように扱ってくれるのは通例なのですか?
JW ああ、みんなそうだよ。僕はキャンパスから8分くらいのところに住んでいるんだ。だから怪我をしたとき、まずアルバルクのトレーニングスタッフと話をして、そのあと妻に伝えるより先にカロライナに電話したんだ。コーチングスタッフと話をして、ドクターから電話をもらった。「所属チームの許可をまず取って、帰ってきてこっちで手術をしよう」ってね。怪我をしたのは土曜の夜で、月曜には飛行機に乗って、水曜にはもう手術していた。到着した時点で全て準備が整っていて、僕が移動に使えるスクーターなんかも用意してくれていた。
玲央 ではリハビリは全て大学で行なったんですね。
JW そうだね。怪我をしている間のコンディショニングなんかは僕のパーソナルトレーナーが担当して、リハビリはUNCのヘッドアスレティックトレーナーが担当してくれた。
玲央 UNCのファミリー感って凄い強いですよね。日本でもUNCの繋がりってありますか?
JW あるよ、ケネディ・ミークス(元レバンガ北海道)とかね。去年はジョエル・ジェームズがいた。それにブレックスのストレングス&コンディショニングコーチのタカ(畝挟孝洋)は、UNCのストレングス&コンディショニングプログラムでインターンをしていたんだ。
玲央 そうなんですね!
JW 彼とは夏にトレーニングしているときに出会ったんだけど、今こうしてまた一緒にやっている。
玲央 じゃあもうUNC出身者はそこら中にいる感じですね。2018年にダニー・グリーン(現ロサンゼルス・レイカーズ、UNC05-09)が来日した際に、僕は彼の通訳だったんですが、ビューイングパーティーの楽屋に挨拶に来てくれましたよね。
JW ああ、覚えてるよ。
玲央 あのあとダニーが、「ジャワッドが日本で成功していてとても嬉しい」と喜んでいたのが印象的でした。彼はあなたがNBA2年目のときにルーキーとして同じチームに入ってきたんですよね。その前から面識はあったのですか?
JW もちろん、それもカロライナファミリーであることの特権だ。夏になると、あらゆる世代の選手たちが集まってくる。僕はまだプレーしているから、いつも若い選手たちとワークアウトしている。だから新しい選手がキャンパスにやってきた初日からもう知り合いだ。ダニーも同様で、彼が大学にやってきたときから付き合いがあって、キャブズでも少し一緒にプレーすることができた。
玲央 あの2年目はあなたとダニーとアントワン・ジェイミソン(95-98)と、3人のUNC選手がいましたよね。
JW そう、あとマネージャーのひとりもカロライナ卒だったから、クリーブランド・ターヒールズ(UNCスポーツチームの愛称)って呼んでたんだ(笑)。
玲央 ほんとそこら中にいますね(笑)。
JW とても強い絆だ。大好きだよ。
玲央 大学時代とNBA時代で、面倒を見てくれた先輩って誰でした?
JW チャペルヒル(UNCがキャンパスを構えている街)で面倒を見てくれたのはシャモン・ウィリアムズ(94-98)。チームメイトのジェイソン・ケイプル(98-02)にもお世話になった。あとはブレンダン・ヘイウッド(97-01)やジェイミソンといった、若い頃にテレビで見ていた選手が、僕を家族のように受け入れてくれ、導いてくれた。僕のプロ1年目はスペインだったんだけど、当時シャモンはバルセロナでプレーしていたんだ。だからそこでも面倒を見てくれたね。NBAには出身選手がたくさんいるからね、すっと入り込むことができた。
玲央 では今は、逆に若い選手の面倒を見たりしているのですか?
JW もちろん。毎年夏は毎日いるようにしている。若い選手たちとワークアウトしたり、コーチたちと話したり、若い選手の育成を手伝ったり、自分のプロとしての経験を伝えたり。大学時代にどうすれば活躍できるか、そしてプロがどういう世界なのかというのを早い段階から伝えているんだ。
玲央 カロライナ出身の選手ってプロレベルで成功するイメージがあるんですよね。大学のプログラムがそういう風に作られているからなのでしょうか?
JW そうだね。カロライナはプロチームの様なプログラムで組み立てられている。常に自分の場所を狙っている選手がいるから、毎日しっかりと競い合う必要がある。とてもハードに練習し、お互いに切磋琢磨しているんだ。そんな環境だから、プロになっても驚きが少ない。殿堂入りしているロイ・ウィリアムズ(UNCの現ヘッドコーチ)ら素晴らしいコーチから学ぶことができるのだから。
玲央 大学では1年生時に8勝20敗という厳しいシーズンを送りましたが、4年生時には優勝。大学で天国と地獄を両方味わう選手ってあまりいませんが、当時の経験はいかがでしたか?
JW 最高だったよ。忍耐強さ、逆境に立ち向かう力をつけてくれた。そして最後に優勝できたというのが、全てをうまく包み込んでくれた。大学で4年プレーする予定ではなかったのだけど、気付けばそうなっていた。そして忘れられない思い出を作ることができた。バスケットボールの思い出としては、最高のもののひとつだよ。

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