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【ブリッジ】Vol.33 はい上がってきた琉球ゴールデンキングスの#8 植松義也…チャンピオンチームで成長を誓う12人目のあり方とは?

2021年1月――植松義也は大学卒業を控えて参加したBリーグ主催のトライアウトB.DREAM PROJECTで「Bリーグに行きたい」と、強い気持ちを明かしていた。その後、彼はライジングゼファーフクオカでプロキャリアのスタートを切るもベンチ外を味わい、昨シーズンも琉球ゴールデンキングスには練習生として加入。心が折れそうになる時期を乗り越え、約3カ月間のロスター入りを勝ち取り、今シーズンは開幕からキングスのユニフォームに袖を通す。はい上がってきた男のこれまでと、チャンピオンチームでのあり方とは……(取材日:10月27日)。

ルーキー時代から特指に押し出されて

大橋 大学4年生のときに参加したB.DREAM PROJECTで「スカウトから声が掛からなかったけど、Bリーグに行きたい気持ちがあります。トライアウトに懸けています」と話をされていて、今でもよく覚えているんです。その後、2020-21シーズンの途中からライジングゼファーフクオカに特別指定選手(以下特指)として入り、1シーズン半過ごしました。どんなルーキーシーズンでしたか。
植松 福岡のときは、1年半で3人のヘッドコーチの下でプレーをしました。特指のときにコーチ・ペップ(ジョゼップ・クラロス・カナルス)、1年目になると梅嵜(英毅)さん、シーズン途中で吉永(大器)さん(HC代行)に代わって、幅広くバスケットを知ることができました。でも、1年目のシーズン中頃、年が明けたころです。特指が2人来ると僕がロスター外になることが増えて、もう来シーズンはチームに残れないかもしれないと感じていました。でも、絶対にキャリアの中でB1にチャレンジして活躍したいという気持ちがあったので、ジムへ行ってトレーニングを続けたり、試合がある日もベンチ外であれば試合後にジムへ直行したり、1人で朝から公園でドリブルをしたりと、目標だけはぶらさずにその時できることを取り組んでいました。

大橋 1シーズン目が終わって、キングスに入るまでSHOEHURRY!(=植松選手のエージェント、マネジメント所属先)でワークアウトしたり、ALLDAYに出たり、色々とトライをしていたように見えました。どんなきっかけでキングスの練習生になったのですか。

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