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『ダブドリ Vol.19』インタビュー03 朝山正悟(広島ドラゴンフライズ)

2024年2月9日刊行の『ダブドリ Vol.19』(株式会社ダブドリ)より、朝山正悟選手のインタビュー冒頭を無料公開します。

 出会いが新しい扉を開けてくれる時がある。朝山正悟もまた、素晴らしき出会いをきっかけに自身の道が拓けたと語る。そして広島の街や人々と出会い、人生の山と谷を経験した。そんな朝山正悟と出会い、大きな影響を受けた選手がいる。そんな彼が引き出す、18ページでは到底収まりきらない朝山正悟のキャリアを辿る。(取材日:11月23日)

[ Interview by 寺嶋良/Photo by 橋本龍二 ]

将来の夢は「プロバスケットボール選手になる」ってことだったね。

寺嶋 朝山さんがバスケを始めたきっかけを教えてもらえますか?
朝山 きっかけは両親も兄もバスケをやっていたんだよね。俺は野球と水泳をやっていたんだけど、そんなに上手じゃなかったからあんまり野球が好きじゃなくてさ(笑)。それで両親も兄もバスケをやっていたから、いつの間にか自然とって感じかな。
寺嶋 じゃあ、野球をやっていた経験が広島東洋カープの始球式にも活かされたってことですよね?
朝山 良、それはいじってるわ(笑)!
寺嶋 いじってないです(笑)。
一同 ハハハハハ。
朝山 良もいつか投げさせてもらえる機会があるかもしれないから、その時にわかると思う。でも、あの景色を見れたことは本当にありがたかったな。同じ広島であれだけ盛り上がっているプロスポーツがあることは、自分たちにとってひとつの憧れでもあるし、目標でもあるからさ。まあ、それでバスケは小学校5年生から始めたんだけど、身長も大きかったから一瞬でのめり込んだね。ミニバスのリングでダンクもできたし。
寺嶋 何センチだったんですか?
朝山 170センチぐらいだったのかな。卒業する時には176センチとか。本当にのめり込んじゃって授業中もバスケットボールを持って校庭のリングに1人で行っていたね。ただの問題児だった(笑)。うちの親はよく学校に謝りに来てたもん。でも、それぐらいバスケットが好きになった。その時から自分の将来の夢は「プロバスケットボール選手になる」ってことだったね。

田臥さんのパスが取れなくて先生にめちゃくちゃ怒られた。

寺嶋 中学校はどんな感じだったんですか?
朝山 本来行くはずの中学校にバスケットボール部がなかったんだよ。それでバスケ部がある学校に自転車で通っていた。たまにカバンを背負って走って行くこともあったな。中学の転機は、ジュニアオールスター(都道府県選抜)に選ばれたこと。ひとつ上に田臥勇太さん(宇都宮ブレックス)がいて、田臥さんのパスが取れなくて先生にめちゃくちゃ怒られたんだよ。当時、俺は1年生で1人だけ呼んでもらっていたから、こんなにうまい人たちがいるのかって。その中に田臥勇太っていうさらに飛び抜けた人がいた。あの経験は自分の原点だね。
寺嶋 当時の田臥さんと一緒にプレーできるのはめちゃくちゃ貴重ですよね。
朝山 そうだね。自分ももっと上のレベルを見るようになった。自分たちの代はジュニアオールスターで優勝したんだよ。当時は北海道が強くて、北北海道にいたのがシーホース三河の柏木真介。南北海道にいたのが、今は佐賀バルーナーズヘッドコーチの宮永雄太。千葉にはシャンソン化粧品ヘッドコーチの鵜澤潤もいたね。すごい同期のなかで、全国1位を取れたことがものすごく自信になったし、高校への道が拓けたよね。
寺嶋 じゃあ、高校から話がたくさん来たんですね?
朝山 そうなんだよ!
一同 ハハハハハ。

寺嶋 その中で、どうして世田谷学園だったんですか?
朝山 ひとつは寮生活が嫌だった!
寺嶋 朝山さんっぽいですね(笑)。
朝山 でも、唯一ここならって思ったのが能代工業。やっぱり勇太さんと一緒にやりたいなって気持ちがあった。でも、能代工業からは誘いがなかったんだよ。もちろん、全国の他の強豪校からも声はかけてもらっていたんだけど、その中で世田谷学園から声をかけてもらって、世田谷って意外と近いんだなと知ってさ。試合を見た時に、ハイペースでめちゃくちゃ面白かったんだよね。ここでやったら自分は伸びるんじゃないかなと思って世田谷学園に決めたって感じだね。
寺嶋 中学の時に、よく世田谷学園と練習試合をさせてもらっていたんですよ。当時もちょこちょこ朝山って名前を聞いていて、広島に来た時にパッと思い出したんです。体育館の下が柔道場で……。
朝山 そうそうそう! 高校では、1年と3年でインターハイとウインターカップに出させてもらった。その経験が自分の中では大きかったね。それこそ高校1年のインターハイは能代工業と同じ宿舎だったんだよ。当時の能代工業って言ったらね!
宮本 畑山さん(畑山陽一)の時代ですよね?
朝山 そう、畑山、田臥! 実業団よりも人気があったんじゃないかな。久しぶりに勇太さんに会って色んな話もしたし、俺は洗濯係だったんだけど、能代のリバーシブルとかが干してあるわけよ。もう盗んでやろうかと思ったもんね!
一同 ハハハハハ!

朝山 自分は1年生から1人だけ国体メンバーに選んでもらって、その時の決勝が能代工業単独チームの秋田だったんだよ。すごくいい試合をしたんだけど、最後は負けちゃった。高校2年の時はインターハイに出られないっていう挫折を経験して、その負けた時の悔しさが3年生の時に頑張る理由になったかな。結果的に3年生では国体とウインターカップで3位になれたって感じだね。
寺嶋 能代工業はスラムダンクの山王工業のモデルですけど、あのゾーンプレスってやっぱり凄かったんですか?
朝山 凄かったけど、俺らの頃はプレスどうこうっていうよりもとにかく田臥勇太が凄すぎちゃった。その上には畑山陽一さんっていうすごいプレーヤーもいたしね。プレスよりもゾーンディフェンスからの速攻と田臥勇太のアタックからのキックアウトを菊地さん(菊地勇樹)っていうシューターが高確率で決めてくるわけよ!
宮本 田臥、若月(徹)、菊地!
朝山 そう!! 俺らの世代は東海第四(現東海大札幌)がめちゃくちゃ強かったね。新潟商業とか宮崎の小林高校も強かったんだけど、東海第四のオールコートマンツーマン! 柏木、宮永、小原(和峰/札幌大学HC)の3ガードのディフェンスが半端なさすぎたんだよ!
宮本 やばかったですよね!!
朝山 本当にすごかった!! 俺の高校の同期は、中学の時に全国大会で優秀選手になったんだけど、柏木とマッチアップして高校でバスケットをやめるって決めたからね!「こんなすごいやつがいるなら、俺は上を目指さない」って。
寺嶋 柏木さん恐るべしですね。
朝山 ハーフコートまでボールが運べないんだから! でも、俺らは誰も助けない。無責任なのも世田谷学園だから!
寺嶋 自分の仕事を全うするんですね!
朝山 そう、自分の仕事を貫く!
寺嶋 それも強さの秘密なんですね?
朝山 いやー、でたらめなだけだよ!
一同 ハハハハハ。

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