見出し画像

『ダブドリ Vol.18』インタビュー03 角田太輝(佐賀バルーナーズ)

2023年10月27日刊行の『ダブドリ Vol.18』(株式会社ダブドリ)より、角田太輝すみだ たいき選手のインタビュー冒頭を無料公開します。

昨シーズン、B2を優勝、B1昇格を決めた佐賀バルーナーズ。優勝を決めた試合で31得点の大活躍で地元佐賀をB1に導いた角田太輝が満を持してB1に挑戦する。そんな彼は一体どんなキャリアを歩んできたのか。日本バスケが角田太輝を知るときがやってくる。(取材日:8月24日)

[ Interview by 宮本將廣/Photo by 三浦雄司 ]

ディフェンスをしないっていうよりはしなくてよかった(笑)。

宮本 いきなりだけど、どうですか(笑)?
角田 ハハハ。外国籍選手が入ってきたばかりなので、まだまだこれからって感じですね。
宮本 昨シーズンはB2を優勝して、B1に昇格しました。ファイナルでは31得点とインパクトを残したから、地元選手としてオフもかなり稼働している印象です。
角田 そうですね。ありがたいです。
宮本 今回、角田選手のインタビューに来たのは、B1昇格を決めた西宮戦の翌日にばったり佐賀で会って、「次のダブドリで行くからね」って話をしたけど、覚えてる?
角田 はい、覚えてます!
宮本 ということで、本当に来ちゃいました!
一同 ハハハハハ。
宮本 聞いていきたいのはやっぱり地元出身選手としてこれからB1を戦うこと。あとは角田選手にとってターニングポイントになったところがどこなのかを聞いていって、たくさんのバスケファンに佐賀バルーナーズの角田太輝を知ってもらいたいと思っています。そもそもバスケを始めたのはいつごろなんですか?
角田 始めたのは小学校で、元々両親がバスケをやっていたんです。地元のクラブで兄が先にやっていたので、そこで始めました。
宮本 いろいろ調べたら、鳥栖工業で県の優秀選手になっていた角田勇輝っていう選手がいたんですけど、お兄ちゃん?
角田 そうです。国体メンバーにも入ってました。
宮本 じゃあ、バスケを始めた頃も年上の人に混ざってやっていた感じ?
角田 そんな感じでしたね。
宮本 その頃に自分のバスケの礎が作られたみたいな?
角田 いや、小中高はもう自由にやらせてもらっていたって感じでした。
宮本 中学校は地元の江北中に進学して、県のベスト4ぐらいの成績を残していました。ジュニアオールスターにも選ばれていたけど、中学校の時はどんな感じだったんですか?
角田 江北中の時は、同級生が僕ともう一人しかいなかったんですよ。あとは後輩だったので、自分の世代の時は自ずと中心になるというか。むしろ下の世代は小学校の時に県で優勝していて、そっちの方がメンバーが揃っていましたね。
宮本 当時はどんなプレーヤーだったんですか?
角田 ポジションでいうなら、2番、3番ぐらいです。基本的にディフェンスはしてなかったです(笑)。
宮本 ジュニアオールスターとかウインターカップを見ていても、佐賀のすごい選手ってそもそもポジションはないというか。ボールを持ってくるし、得点も取るし、リバウンドも取るけど、その分、「すまん、俺はディフェンスはしない」みたいな感じの子が多いよね。
角田 そうですね、そんな感じでした(笑)。正直、佐賀県内ではレベルの差がかなりあるので、僕の時の高校の大会は決勝までは絶対に行ける感じで、ディフェンスをしないっていうよりはしなくてよかった(笑)。それこそ零也さん(野﨑零也/川崎ブレイブサンダース、佐賀東出身)の時はもっと差があったと思います。
宮本 高校の時、野﨑零也選手の登場は衝撃的だった! あの佐賀東はものすごかったから。まあ、得点を取っていれば県内は勝てちゃうみたいな。
角田 はい。しかも得点を取っていたら、ディフェンスもできるって印象が勝手につくので(笑)。だから、オフェンスばっかりやっていましたね。

ちょこっと勉強して就職しようと思っていました。

宮本 高校から県外に出ようみたいな意識はなかったんですか? 佐賀出身のBリーガーだと県外に出たのは、土浦日大に行った本村亮輔選手(熊本ヴォルターズ)ぐらい?
角田 多分そうですね。あとは本村さんと同じ世代で引退されちゃいましたけど、松尾啓輔さんが福岡大附属大濠に行ったぐらいかな。
宮本 佐賀の人からすると、公立の佐賀北、佐賀東あたりがバスケも強いから、学力的にあえばそこに行こうって感じななんですか?
角田 そうですね。大体そこの2つです。私立はそこまで強くないので。今だったら福岡第一とか延岡学園にいってる子もいるみたいですけど、僕の頃は県外にいくことは考えなかったです。推薦が来れば別ですけど、僕も特になかったので。
宮本 それで佐賀北に進学したと。佐賀北を選んだ理由は何かあったんですか?
角田 当時は大学でバスケをする気がなかったので、普通に佐賀北に行って、ちょこっと勉強して就職しようと思っていました。そもそも大学自体に行こうとも思ってなかったです。
宮本 え、そうなの?
角田 はい。勉強はもうしたくないなって思っていて、働くことしか考えてなかったです。
宮本 バスケに対する向上心とかも中学とか高校の時はそんなになかった?
角田 高校に入ってからは一生懸命やってましたけど、中学校の時は正直それほどではなかったですね。そこそこバスケの強い高校に行ければいいぐらいだったので、そんなに練習をした覚えもないです。中学は練習しても2時間半ぐらいだったし、自主練とかもやる時間はなかったから、終わったらすぐに帰ってました。
宮本 遊び半分でどこかにバスケをしに行くとか、体育館の開放で練習に参加するとかもなく?
角田 そういうのはあまり好きじゃなかったです。外でやるのも好きじゃないし、それこそ近くの体育館で夜にバスケをやるみたいなのもあったんですけど、そんなに行きたくもなかったし、親も行かなくていいよって感じだったから、興味はなかったですね。
宮本 でも、佐賀北に行った時は1年生の時から活躍してましたよね?
角田 1年の時から試合に出させてもらってました。
宮本 2年の時はインターハイ予選で最優秀選手賞にもなっています。当時は自分中心にチームが回っていた感じだった?
角田 1年の時は先輩たちがやってくれる中でちょこちょこって感じで、2年からは中心でやらせてもらっていましたね。高校でも自由にはやらせてもらっていたんで、そんなに……(笑)。
宮本 ハハハ。高校はどれぐらいを目指してやっていたんですか? やるなら負けたくないって感じなのか、佐賀では1番を目指したいって感じだったのか。
角田 佐賀では1番を目指したいって感じではありました。2年の途中ぐらいから大学でもバスケが出来たらいいなーって思い始めましたね。
宮本 2年といえば、決勝で佐賀東の猛追を振り切って、5年ぶりに優勝をした時ですよね。
角田 あ、そうです。
宮本 最後に佐賀東がバスケットカウントのスリーポイントでフリースローを得て、そのフリースローが外れて佐賀北が勝利。5年ぶりのインターハイ出場を獲得しました。
角田 懐かしいですね。あの時は嬉しかったです。
宮本 やっぱり佐賀東がいつもライバルで、最後はそこにどう勝つかって感じなんですか?
角田 毎年そうでしたね。その前の年も佐賀東に負けましたし、それこそ僕が3年の時は正直佐賀東だけだったんで、他の試合のことはそんなに覚えてないです。

★ ★ ★ ★ ★

つづきは本誌でご覧ください↓


この記事が参加している募集

Bリーグ

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?