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死ぬ前まで食べたい100の美菓 松江の和菓子


「日本三代銘菓」と言われる落雁がある。最初は石川県金沢市の「森八」で作られている最高級品「長生殿」。紅白で、徳島県産の和三盆と北陸産のもち米で出来ている。

加賀藩3代藩主前田利常より七夕のための落雁を作ることを命じられた、三代目森下屋八左衛門(森八の前身)によって作られた和菓子で、藩主利常自ら、唐墨をまねた上品な形を考案し、文字は、茶道遠州流の始祖、小堀遠州の筆によるものだそうだ。名前の由来は、漢詩「長恨歌(ちょうごんか)」の末章から唐玄宗と楊貴妃が七夕に愛を語りあった場所である長生殿に由来しているとされ、ラブラブの落雁だ。

二つ目は、新潟県長岡市「越乃雪本舗大和屋」の「越乃雪」で、褐色がかった色をしてるが、まぶされた粉砂糖で雪原のようなイメージを描いてる。こちらも徳島県産の和三盆と越後産のもち米が使われている。安永7年大和屋庄左衛門が病中の長岡藩藩主牧野忠精を見舞う際、白雪糕(はくせつこう)を真似て、もち米と和三盆の白玉粉で作った落雁が基とされている。この菓子を食べて、忠精の病気が完治したのち、越路の山々に降る雪になぞらえて「越乃雪」の銘を与えたとされている。

そして三番目が島根県松江市の「風流堂」の「山川」という落雁で、茶人として知られた、松江藩七代藩主松平治郷が考案した菓子だ。治郷は茶人大名として知られたお殿様で、藩の財政を立て直す一方で、美術品を愛好し、料理や書道、また作庭等など諸般に通じ、特に茶道は自流の「不昧流」を起こすほどの才人だったとか。

松江は茶の添え菓子として和菓子作りを奨励し、松江を茶の湯文化と和菓子が根付く街になっている。「山川」という名は、大正時代に風流堂が復刻したもので、困難を極めて製法を研究し、復刻後はその技術を他の菓子屋に広く伝えたという。

松江が和菓子の三大産地だったというのは意外だった。松江といえば宍道湖七珍がある。

宍道湖は日本海とつながっているため、淡水と海水が入り混じった「汽水湖」で、季節ごとにたくさんの魚や貝がとれる。

七珍のラインナップは、スズキ・シラウオ・コイ・うなぎ・モロゲエビ・アマサギ・シジミだが、ここは美菓の話。七珍はまた明日のココロだぁ〜、


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