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あらたな戦時下

 大好きなダニー・ボイル監督の、それも「トレインスポッティング」の続編が上映されている。さっきから出かけようと支度をしながらも躊躇している。ずるずるしたまま、とうとうやめにすることにした。腰の調子が思わしくないからだけが理由じゃないのはわかっている。どうしてもワクワクしないのだ。映画にではない。ぼくのなかに、えもいわれぬ中途半端なわだかまりがあって、どうにもなにかを楽しむ気になれないのだ。
 そのもやもやを記すべきかずいぶん悩んだが、アメリカの巨大空母が朝鮮半島沖に迫るなか、悲劇が起こらないことを祈りつつ、やはり自分にとっての備忘録として残しておこうと思う。

 いったいなにが起こっているのだろう。そしてなにが起ころうとしているのだろう。生ぬるい風がときに強く吹いて、あたりはどこまでも静かだ。たくさんのひとが行き交いながらも、茫洋とひろがる荒野に立つような寂寞感に包まれている。足元の地面がかすかにであるがこまかにゆっくりと揺れている。いや、ぼく自身の足そのものが震えているのかもしれないが、判然としない。
 もちろん思うようになんてなりはしないし、だからといっていきりたつようなこともない。しかしいま目の前にひろがっている景色は、どうにも異様なまでにゆがんでいて、じっと見つめていると眼底がにぶく痛むようなのだ。
 にもかかわらずまわりはまるでなにごともないように、いつもと、そしていままでとなんら変わりがない様子で、それがとても自然だからこそ、むしろぼく自身の視界と視点のほうに微細な狂いをきたしているのではないかと思わせる。どこにいるのかさえおぼつかない。そんな不確かさが、地面を揺らし、足を震えさせるのだろう。

 いわゆる森友学園問題は、地方都市で起きた国有地売買に関する不透明な取引だけにとどまらず、実に多岐にわたって、さまざまなことを露呈させた。
 そこから噴き出してきたものの、グロテスクさ、面妖さ、横暴さ、幼稚さと恐ろしさに、心底怖気たつ思いがした。いまいる場所と時間の、あらゆる面、それまでうっすらとしかみえなかった隅っこや裏側に光をあて、見たくもないものまで、むき出してみせた。
 「日本会議の研究」の著者である菅野完氏は、こういった。
「森友問題は人権問題にほかならない。」と。
 ほんとうにそう思う。この国の為政者たちの人権に対する意識が、ごろっとでた。それだけではない。もはや立憲主義でも議会制民主主義でもない、さらにいえば法治国家であることすら脱ぎ捨てようとする、あさましいばかりの獣性が、なにはばかることなく、大手をふるっている。
 さらにカルトまがい極右主義や科学に基づかない似非科学、ヘイトと紙一重の民族主義が、この国の中枢に深く食い込んでいて、為政者のすぐよこで微笑んでいる。もはや近代国家としての体裁がぼろぼろにはげ落ちて、見るも無残な姿をさらしている。
それらが白日のもとにひろく可視化されながらも、とんでもないことと驚愕する感性はそれほどおおくはないようだ。その静けさには、心底、戸惑うばかりだ。むしろその静けさのほうに真の恐ろしさが潜んでいるように思う。
 あたかもなにもなかった、起こらなかった、よしんば起こったとしても、それは騒ぎたてるたぐいのものではないのだと、そうまわりから諭されている気になって、ぼく自身の見当識はますます不確かになっていく。
 考えようによっては、その静けさは、世界を覆う潮流としての右傾化、民族主義化、内省化、そしてポスト・トゥルースの時代へと向かうながれの、その先端にいる証左なのかもしれない。

 もはやすぐ近くで「核」ということばが使われ、現実にそこで行われようとしていながら、どうして無感覚でいられるのだろうか。逼迫した戦争の危機と緊張を肌にひしひしと感じながら、なぜ無表情でいられるだろうか。
 孤立した小国、独裁国家をどこまでも追い詰め、困窮させ、窮鼠猫を噛むをもって軍事介入の好機としたことは、歴史のなかでなんどもくりかえされている。巨大な軍事力を見せつけて他国を従わせようとする超大国。かたや独裁国家は「核」をちらつかせて威嚇する。この危険きわまりない一触触発を回避するためのあらゆる平和的な外交手段を、この国は、その双方にたいして、全力をあげて尽くしただろうか。
 どうやらその気配はどこにも見当たらない。むしろやってしまえと、つぶしてしまえと、そんな冷ややかな気持ちが、その無表情の裏に、ふっと浮かんでいるとするなら、それはこのうえなくおそろしいことだと思う。
 超大国の軍事行動を、この東アジアに許してしまうなら、もはや紛争は中東、ヨーロッパとともに世界規模に拡大していくことになる。
 たしかに安倍首相が願ったとおり、「戦後レジーム」は、その息の根を完全にとめつつある。いまや、ぼくたちは、あらたな戦時下のただなかに身を置いているのだろう。

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