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「東京クルド」

 こんなにも暑いときは映画館に避難だ。幸い自転車を使えば十分で行ける「吉祥寺オデヲン」で、「アメリカン・ユートピア」がかかっていた。しかも誕生月割引ということもあり、涼しい、安い、楽しいの三拍子揃った真夏の午後である。
 二回目の「アメリカン・ユートピア」は、熱狂的な痺れではなく、じんわりと暖かいものが身体の内側からわいてきた。テーマのひとつひとつが、リズムとメロディとハーモニーに乗っかって、力強いメッセージになって響く。
「このバンドはいろんな国や地域から集まっています。かくいう私もスコットランドからの移民です。もはやこの国は移民なしでは成り立ちません。」
デビッド・バーンの言葉に、共感の大きな拍手が観客席から送られる。

「すべての人が自己ベストを目指し、一人ひとりが互いを認め合い、そして、未来につなげよう。」と、高らかに謳った東京オリンピックが終わった。
 差別や偏見を排し、多様性と調和を理念の核にした平和の祭典だそうだ。
だとしたらなぜ差別と偏見に満ちたすぎやまこういち氏の曲がオープニングで流れ、そのことがなんの問題にもなっていないのだろう。この大会の一部始終が、決して「調和」のもとにおこなわれてこなかったのは、だれもが知るところだ。そして大会を通して、いったいどんな未来のビジョンが語られたというのだろう。
 この国は差別と偏見が横行し、多様性をないがしろにし、いままさに埋めがたい分断のなかにある。すくなくとも、この国の法務省の外局である「出入国在留管理庁」は、なんらのベストも尽くさず、互いを認め合わず、未来につなげる努力をしていない。
 いわゆる入管のひどさはずいぶんまえから取り沙汰されてきたではないか。移民や難民申請はことごとく却下され、助けを求める声を門前払いし、無関心な態度で無理難題を課し、ルールを破ったら捕まえて身柄を拘束する。東京入管の外観は、どこまでも東京拘置所のそれに似ている。なかにはたくさんの外国人たちが収容、いや収監され、きょうも不当な扱いを受け続けている。

「東京クルド」には、そのヒリヒリとした現実が痛いほどに焼き付いている。ラマザンの叔父は東京入管に一年三ヶ月押し込まれていた。体調不良を訴えても、診察されるまで三十時間も放置された経験を持つ。
「このなかで死にたくない。」
精神は限界までやられていた。
 名古屋入管で亡くなったウイシュマ・サンダマリさんもまた、重篤な状態で放置された。

 ぼくたちはクルド人だけでなく、身の危険を感じ、逃げて難民となったたくさんの外国人たちを、認め合い、調和を持って迎い入れているだろうか。そのためのベストを入管のひとたちは尽くしているだろうか。日本は難民も移民も一切受け入れませんとはっきり国際的にメッセージを発したほうがいい。
 定期的に入管での面談を強要されるオザンは、苛立ちまぎれに問いかける。
「じゃ、どうすればいいというの?」
それに対して、入管職員は吐き捨てるようにこたえる。
「帰ればいいんだよ、自分の国に。よその国に行ってよ、よその国。」

 高い理念を持った平和の祭典をやるまえに、この国にはやらなければならないことがたくさんあるはずだ。スポーツで目をそらしていても、このツケはいつかたいへんな事態を招くことになる。
 そういえば「アメリカン・ユートピア」で、一曲カバーがあった。「Hell You Talmbout」だ。差別や偏見から不当にも命を奪われたひとたちの名前を呼び上げるプロテストソング。
 入管に収容中に亡くなった十数人のひとたちの名前。そこには五人の自殺者がふくまれている。ぼくたちは高らかに彼ら、彼女らの名前を呼ばなければならないだろう。

SAY HIS NAME !
SAY HER NAME !
HELL YOU TALMBOUT !

東京オリンピック?
なに言ってんだよ。

HELL YOU TALMBOUT !
SAY HIS NAME !
SAY HER NAME !


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