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「帰れないふたり」

 恋したことはありますか?ちゃんとした恋。肉が削がれ、骨が痛むような恋のこと。はい!っと大きな手を挙げられるひとは、どれくらいいるだろう。こんにちのこの体たらくは、ひとえに恋を経験してこなかったひとの集まりが招いた事態だといってもいいのかもしれないとすら思う。
 ジャ・ジャンクーの新作を観ながら、どういうのだろう、すべてのカットに「絶好調!」という音が鳴っていることに驚いた。とにもかくにもストーリーだとか演技だとかではなくて、スクリーンから発せられる「絶好調!」の音頭に、ただただ気持ちよく身を委ねるばかりであった。
 これはなんとも伝えづらいので、実際に映画館に足を運んでもらうしかないのだが、いかにフィルムが躍動しているかというお手本のような映画だった。
 「Cold War」でもそうだったのだが、この映画もなにひとつとして「新しい」ものはない。すべてが定型の積み重ねでしかないかのようにすらみえる。しかしハンガリーのあの映画で、恐るべき知性を私たちは目撃したように、この「帰れないふたり」では、映画が持つ勢い、これは見逃されがちだが映画にとってとても大切なファクターである、その勢いを感じさせてくれる。
 ひとくみのカップル、それは男と女でも、男と男でも、女と女でも、そんなことは関係なく、ひととひとが交わる、その高貴な劣情を、痛いほどに描けることができるか否か、それが文化の質の高さを示す、ひとつの試金石なのだと、いまさらながらに思う。
 ひとに誇れるような恋をしたことがあるか。もちろんそれはひっそりと、自分のなかの勲章としてほかに吹聴してまわるたぐいのものではないだろう。
 でもあえて問う。もしあなたの心の宝石箱に、すべてを賭して向かった恋がなかったとしても、それは決して残念なことではなく、いまからでも遅くはないといいたい。愚かなほどに焦がれ、あやまちを犯してきたものにしか、未来への地図は見えないだろうし、そのための変革もできないだろう。
 邦題は「帰れない二人」だけど、原題は「Ash is purest white」だ。
現代中国は問題の嵐である。しかしそこにむかう勢いは、いまや「絶好調!」だ。
 すべてのカットに勢いが感じられる映画を、ほんとうにひさしぶりに観た。

 
 

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