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第五章の47◎日清日露戦争でも日本は負けていた

 歴史の教科書では、日清戦争は日本が勝利し、下関条約では朝鮮国独立、遼東半島、台湾、澎湖諸島など付属諸島嶼の主権、多額の賠償金を得た全面勝利となっています。
しかしながら、実際にはここでも日本は負けていたのでした。
なぜなら、朝鮮の「東学党の乱」から始まる内戦に乗じて朝鮮の両班は日本を欺いたからなのです。
また、朝鮮国閔妃は日本を裏切り、それが伊藤博文首相の暗殺へ発展し、そして遼東半島は三国干渉後によりロシアに占拠されてしまったからなのです。
 なお、賠償金のテール(両)は、1テール=37.3gで2億両(746万kg相当)の銀払いでした。
その後の、三国干渉による遼東半島の代償の3000万両(111.9万kg)を上乗せして合計857.9万kg(現在価値(2011.4 日中銀取引相場価格)で、銀1kgが12万円程度なので、1兆294億円前後でした。当時価格で、日本の国家予算8000万円の4倍強の3億6000万円前後)以上の銀を日本は清国に対して3年分割で、英ポンド金貨で支払わせたのでした。
 日本はこれを財源として、長年の悲願だった金本位制への復帰を遂げた事になっているのですが、実際はイギリスに全て持ち出されてしまったらしいのです。
一方賠償金の支払いは、清国にとって大きな負担になり、清国は更に弱体化したのでした。
 ですから、日清戦争も欧米の罠だったのです。
イギリスは、中国、満州、朝鮮、最終的には日本まで全て植民地にする計画だったに違いないのです。
その為には、まずは力のある国同士を戦わせて、「漁夫の利」を得て金儲けをする事が目的だったのです。
自分たちの手を汚さずに、日本を泳がせる方法が最も良いとする、アクドイやり方だったのです。
 当初は、想定外であったかもしれませんが、日本と清が戦争する事で、両国を疲弊させて、ボロボロになった所で最後には、美味しい所を全て持って行ってしまおうという作戦だったのです。このことは、後の三国干渉によっても明らかになります。
 三国干渉は、1895年(明治28年)4月23日にフランス、ドイツ帝国、ロシア帝国の三国が日本に対して行った勧告でした。
 日本と清の間で結ばれた、下関条約に基づき日本に割譲された遼東半島を、清に返還することを求める内容でした。
 日本が、満州までシャシャリ出て来る事は、植民地主義者達にとってとても目障りであったに違いないからのです。
 幸い日本は清国に勝ち、莫大な賠償金と確保しました。だだし、日本は植民地主義では無いので、その後も朝鮮を欧米式の植民地にはしませんでした。
ここが一番大事なポイントなのです。
日本人は、日露戦争にも勝利し「初めて有色人種国家が白人国家に勝った戦争」と喜んで来ましたが、実際にはこの戦争で日本は罠に掛かり、イギリスと米国に負けたも同然だったのでした。
 イギリス人にとっては、自分達の代わりに日本人が、ロシア人を徹底的に痛めつけてくれれば、それで良かったのですが、まさかのまさか、想定外の展開で日本が最後にロシアに勝ってしまったのでした。
 日本は、戦後処理を米国のルーズベルトに仲介してもらいポーツマス条約を結ぶのですが、ここでも米国に騙されてしまったのです。
日本は、国家予算の4倍の19億円をも戦費で使ったにもかかわらず、賠償金は一銭も取れず、樺太などの北方の領土は得ましたが、肝心の満州は支那に渡され、満州鉄道や租借地利権のみを得る形で押し切られてしまったからなのです。
 さらには、満州鉄道の利権も「桂ハリマン協定」で丸ごと盗まれる寸前となってしまったからなのです。
賠償金を取れなかったことで、国民は怒り狂い、日比谷公園での暴動が起こり、反対に満州を返還されたシナの留学生達が喜び勇んで1万人も集まったという理由も、なるほど納得が行きます。
当時の情勢では、イギリスも米国も競い合って中国、満州、朝鮮、最終的には日本まで全てを植民地にする計画だったに違いないのです。
 清国を完全に手中に収めるために、今度は最も力のあるロシアと日本を戦わせて、金儲けをする事。さらに自分たちの手を汚さずに、日本を泳がせる方法が最も良いとする、アクドイやり方だったのです。
 日本とロシアが戦争する事で、両国を疲弊させて、ボロボロになった所で最後には美味しい所を全て持って行ってしまおうといった魂胆だったのです。
 彼らの目的は、まずは戦争で金儲けをする事、そして両国が共倒れになる事、最悪でもロシアに多大なダメージを与える事だったのです。
 もし日本が、戦費として貸した借金を返せなくなれば、借金のカタに日本を侵略して行こうと考えていたのではないでしょうか。ところが、予想に反して日本はロシアに勝ってしまったのです。
このあたりからは、英国も米国も中国・満州の利権争いに対して、日本への危機感が高まり、だんだんと焦りを見せ始めるのでした。
 特に米国にとっては、出遅れ感があり、どうしても形勢を逆転したかったものと考えられるのです。
そんな時に出て来た、「桂ハリマン協定」を小村寿太郎が潰したことから、日米関係は泥沼化していくのですが、なんのことは無かったのです。
裏では、ロスチャイルドとロックフェラーがスパイ合戦とロシア革命を手伝っていたからです。
 最終的には、ロシア革命が成功し、ロスチャイルドとロックフェラーの利益になるような共産主義国家体制ソビエト連邦が誕生する結果となったのでした。


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