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山瀬まみ 「可愛いゝひとよ」

 近年、ずっとレコード・プレーヤーが夫婦の共有スペースにあったので、夫が使っていないことを確認してから「さぁ、レコード聴きますよ」という居候状態だった。それぞれ別のレコードが同時に配達されたりした日には、のんびりプレイヤーを占拠することもできず、まさに「居候 3枚目には そっと出し」みたいな。
 が、昨年、ようやく自分の部屋にプレーヤーが置ける環境を整えたので、オーディオテクニカのBluetoothを使える便利でお手頃なやつを買った。贅沢をいえばきりがないけれど、ヘッドホンで家じゅう移動しながら聴けるし十分です。仕事やら何やらしながら聴けるし、久しぶりにいろんなものをかけまくっている。で、プレーヤーを買ったのと、そのために部屋を整理したのと、たまたま家の軽リフォームまで重なってかなりの大掃除になり、結果、奥深くしまいこんでいたシングルやらカセットなどもいろいろ出てきてしまいまして、もう、ここはどこのハンター数寄屋橋店ですか状態(笑)。特に、暮れの大掃除で歌謡曲やアイドルものが大量発掘されてからは、それをちびちび引っ張り出して聴くのが楽しくてたまらない。聴き始めると、あれもこれも元ネタも…と、ひとりDJ遊びがとまらない。再発ものを含めてCDは持っていたり、サブスクで聴けたりはするけど、レイト80'sから90年代にかけてのアイドルの“質感”みたいなものは、やっぱりオリジナルのアナログとか短冊CDで聴いてみて初めてはっきり思い出すようなところもある。

 山瀬まみ「可愛いゝひとよ」(作詞 阿久悠/作曲 大野克夫)1987年

スリップマットを匂わせ投稿(笑)。

 うぉー。考えてみたら、これもまだ昭和だったんだ。
 最近、若者が古い音楽を何でもかんでも十把一絡げに昭和呼ばわりして、90年代のものまで「昭和歌謡」というので、まずはちゃんと元号を確かめろ!と荒井注ばりに怒ることも多くなりましたが。1987年。これはまちがいなく昭和ですね。でも、総じて古びていない。音楽はもちろんのこと、ジャケット写真もいかにも昭和アイドル的ではないナチュラルな表情でかわいいー。もちろん、口紅の色とか眉毛幅とか、細かいところはまぎれもなく昭和60年代という時代を反映しているものだけど。

デザインはPATi PATi感またはTYO感あるが、結果的にキング感。絶妙。

 1976年、日本のディスコ・カルチャーのゴッドファーザーズであるクック・ニック&チャッキーが放った和製ソウル歌謡の金字塔を、ダンサブルな80年代ディスコ・サウンドでリメイク。こちらの山瀬まみヴァージョンもスマッシュヒットとなり、今なおテクノ歌謡のマスターピースとして高く評価されている。
 ちなみに、ユーロビート・ディスコ・サウンドで懐かしの歌謡曲をカヴァーした大ヒット曲といえば森高千里の「17才」。これが1989年リリースだ。思えば90年代前後というのはもう、世の中はユーロビート歌謡デフレで大変なことになっていた。が、山瀬の「可愛いゝひとよ」は、それよりも少し早い1987年のリリース。典型的ユーロビートではないものの、その後の歴史からすれば“ナウなディスコ・サウンド+歌謡曲カヴァー”の先駆的な曲ともとらえられるだろう。

 だがな。キング・レコードなんだよ。山瀬まみは。

 キング・レコードといえば、第一次ディスコ・ブームを彩った天下無敵のB級ディスコ・シングル帝国としても知られたレコード会社。なんたって「ディスコお富さん」のキング・レコードである。そのキング・レコードがディスコ・サウンドで昭和ディスコのアンセム「可愛いゝ人よ」をリメイクしたというのだから、これは“早すぎた「17才」”というよりも“第2の「ディスコお富さん」”ととらえたほうが理にかなっているのではないだろうか。

 ましてや1987年の山瀬まみだ。この前年、松本隆=呉田軽穂コンビによる「メロンのためいき」で歌手デビュー。実力派であり、その後もエヴァーグリーンな佳曲の数々に恵まれたものの、典型的なアイドル歌手としては伸び悩んでいた。が、いっぽう、すでにバラエティ番組や司会MCとして頭角をあらわしつつあった。のちにバラドルと呼ばれるようになるキャラクターでブレイクした時期の彼女だったからこそ、それまでのお嬢さんポップス系イメージから、アイドルらしからぬ“はっちゃけた”路線(今ならば全然フツーな感じだが、当時、これはこれでかなり大胆なイメチェンとされていた)へ…というストーリーも可能だったのかもしれない。
 「可愛いゝひとよ」ならば、おじさん世代にも親しみがわくかも…という思惑もあったのだろう。なんたって、ディスコ旋風のなかで置き去りになっていたオジサン世代を「ディスコお富さん」で振り向かせるというウルトラCをやってのけたキング・レコードだもの。

 デビュー当時は、バラエティ番組で見る山瀬まみのキャラクターと、歌っている声の雰囲気とのイメージがけっこう違っているように感じた。どっちが本当なのだろう、と思ったり。でも、「可愛いゝひとよ」を歌う山瀬まみは、テレビで見る彼女の姿と重なり合っていて、だからこの曲はすごく好きだった。

 70~80年代頃のディスコ黄金期には覆面ディスコ歌手みたいな人がたくさんいて、実はソロ・キャリアがあったり、ばりばりのベテランだったりする実力派ばかりだった。彼らはものすごくうまくて、だけど自己主張を出しすぎず、それでいてスタジオ・セッションのように他人行儀ではなくて、ちゃんと聞き手であるこちら側を見ているような“マナザシ”を感じる歌声を持っていた。
 突然、それまでとはがらっと路線が変わった曲を歌うことになり、それでも「可愛いゝひとよ」を演じる主人公になりきって、テレビではハードに踊りながらパワフルな歌声を聴かせる…そんな山瀬まみの歌には、かつてのディスコ・ブームを支えた覆面シンガーたちのようなプロフェッショナル精神をも感じる。

 彼女の声は、ちょっとだけ“甘さ”が足りない。
 そこが大好きだ。
 甘くない、のではない。苦くもないし、しょっぱくもない。もちろん「女の子はこうでなくちゃ」と無理やり人工的な甘みをつけ足すような小賢しさもない。

 ちょっとだけ甘さが足りない、という甘み。わかるひとだけわかればいい。そんな幸せで贅沢な、ちょっとノーブルで上品な甘み。「可愛いゝひとよ」は、彼女のそんな絶妙スウィート・ヴォイスが堪能できる曲でもある。
 カップリングは英語ヴァージョン。これまた、さすがキング・レコード。片面が日本語で片面が英語ヴァージョンというのは「ジンギスカン」の昔から、和製ディスコの定番だもの。しかも、その英語訳詞を書いているのがSandiiさん!
 おお、まさに和製ソウル歌謡の由緒正しきDNA!

 その後、世の中にユーロビートを中心とするダンス歌謡があふれだした頃には、山瀬まみはもう次の場所に行ってしまっていた。“山瀬まみロック化計画”なる戦略のもと、もっとも旬なロック/J-POP系アーティストたちとのコラボレーション・アルバム『親指姫』(1989年)をリリース。当時はまだ“脱アイドル”な作品、と評されたりもする時代だったけど。“脱”というよりも、異世界にワープしたようなアルバムだった。彼女はものすごく楽しそうで、“ロック化”とか“脱アイドル”という言葉が邪魔に思えるほど生き生きのびのびと歌っているようすが痛快だった。この続編にあたる『親指姫ふたたび…』(1990年)をリリースした時には、取材でご本人にお会いする機会もあった。インタビューが始まってしばらくはちょっと人見知りな感じでぽつぽつと話していたのだけど、あれこれ音楽の話とか制作中の話をしているうちにだんだん盛り上がって。いろんなことを話してくれた。やっぱり音楽が何よりも好きで、ずっと真剣に丁寧に作ってきているんだなーと思った。大昔の話だけど、お人柄にも触れることができてほんとにいいインタビューだったことを覚えている。 

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