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#19 やっぱり『それ』が好きなんじゃないか

あれから4年ほど経ったのだろうか。

「指導」とか「教育」という名の下で自分に対して浴びせられたさまざまな言葉たち。自分が自分じゃ無くなっていく感覚。最初はポロポロと何かが欠けていく感覚だったものが、気づいた時にはそこにあったはずのものがゴッソリと抜け落ち、何も残っていない。ただ、そこにあったのは空虚な心だった。


「ああ、、、何がしたかったんだろうな。自分。」


それから色々と考える日々が続いて、人に教えるとか伝えるってなんだろう。指導って?教育とか何?ってぐるぐるぐるぐるして『それ』に出会った。


『コーチング』???


調べれば調べるほどナイフのような言葉たちを投げてきたその人に対して「コーチングを勉強してください。」「あなたのしていることは教育でも指導でもなく、ただ人を潰していることです」って言いたかった。もちろん言えなかった。


同期からその当時、「お前じゃなかったら鬱にでもなってるよ!笑笑」って言われて、「言われてばっかでたまるかよ!」って笑顔で自分にも同期にも言い聞かせて、なんとか乗り越えた。だけど、今振り返ると「いやーしっかり鬱だったよ。先生に診てもらえば診断書もらえたよ。」って自信を持って言える。笑


そんな環境に自分がいて、そういうタイミングで『コーチング』を知って、だからこそ何か心に響くものがあったのだろう。最近はオンラインのコースを受けたり、説明会に参加したりしてコーチングについて学んでいくと、いろんな違い見えてきてこれがまた面白い。今後はこのNoteもコーチングを学んでの気づきみたいなものが増えていくと思う。


コーチングの学びを深めていく過程には必ず自分と向き合う時間がつきものだ。僕はどちらかといえば、誰かにコーチングをしたいというものはない。感覚的にだが、相手の悩みを一緒に考えさせてもらったり、自分の在り方・自分自身を知るための一つのツールとしてのコーチングという認識だ。



コーチングの中でも左脳的な思考・論理で考える部分よりも、右脳的な知覚・感性にアプローチしていく技術(問いかけ)の方が僕は好きかもしれない。もちろん上手く質問を使えばどちらに対しても働きかけることができるのだが、自分自身を知る過程では自分が気づいていない無意識に働きかける。『まだ知らない自分』を発見したときに自分でも計り知れない喜びを感じている気がする。



そういった自分を知る過程でたどり着いた、「なぜコーチングを学んでいこうと思ったのか」という問いかけ。その答えが過去の職場での言葉のトラウマみたいなものだったんだと今、気づく。


こないだ受けた説明会で担当の人が、「コーチングって自分のなりたい姿を実現するためのポジティブなものが一般的だと思うんですけど、、、」って言ってて、「へーそうだったんだ」ってなった。その時、僕が今後コーチングを学んで、その学びを還元していきたい未来が見えた気がした。


もちろんそれはたまたま説明していた担当者の方の意見かもしれないが、周りの多くの人にとって一般的なものを自分は一般的だとは思っていないんじゃないか?と話を聞いていてふと感じた。何かイラッとするタイミングだったり、自分にとっては当たり前だったけど、周りから見たら(熱中しているという意味での)異常みたいなところに『自分らしさ=強み』のヒントみたいなものがあると思う。だから、その点についてはもう少し考えて「らしさ」を探してみようと思う。



そして、気づいたら目の前の画面には無数のタブが開き、もうそれぞれが何のページかわからないカラフルなアイコンたちがだけが映っていた。ふと、時計を確認すると2時間も過ぎているじゃないか。



なんだよ、

やっぱり『コーチング』が好きなんじゃないか。



Fumfum…
これまでの人生で起こったこと、してきたことが今日までの自分を形作ってきた。けどね、これから未来の自分を創るのはたった今からの自分だよ。と。memo🤓


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