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讒文芝居

差別とは、虐めであり虐めとは差別だ。
まあ、「虐め」と謂う語彙自体が弱いので、
「差別に伴う虐待」だ。無視もそう。


世界中で、コロナ以前からの差別の宿痾が
これを契機にと、一緒になって猛威を奮っている。
戦争と同じく、一皮剥けば此の21世紀にも全く前世紀と進歩がないのに、
学校で「虐めは無かった」等涼しい顔で云える学校長、
教育委員会や其の取り巻きに吐き気がする。するが、
これは、もう人間である以上仕様がないのかも知らんとも思う。
アメリカだって、表向き黒人差別はないよとの顔をしてあんなだったし
(南部は未だ差別根強いとは知っていたが)

自分も自閉症ほどとはいかないが、内向的で不器用、
人と価値観が違うので随分「差別とはいかないが、区別された」
酷い面皰ヅラだったのもあろうが、殊に女子からは
蛇蝎の如くとは誇張ではなく、自分が触ったモノは丸で
コロナ・ウィルス感染のおそれのように扱われ
私が見ている同じTV番組は見るな、とも要求され

挙句、無視もされ。文化祭などで同じ班になった
イケてるヒエラルキーの奴らと「何でなかよくできないか」を
教員に問い詰められ「理由のない邪慳を押し付けてくる」と
本当の事を云えば「ダメだって、本当の事云っちゃ」
と、そいつらに窘められた。

林間学校、修学旅行とて代替一緒の地獄だったが、
すでに儘父から自衛隊仕込みの虐待をイヤってほど受けて居たので
「希望を持たない、この程度の不幸がお似合い」と
ハナから諦めの人生だったし、其れがラクだったし、
それしか術が無かった。
彼らに根っこから叛旗を翻す、元気も勇気も信念もなかったのだった。

そういうのや、陰湿なガキ大将番長っぽいリーダーからの陰湿な虐待は
未だ耐えられたが、完全に絶望したのは

「そういうのを見てて、知っているのに弁論大会などで
大嘘の綺麗ごとを涼しい顔で書いて、演説して大賞貰って剰え涙を流し、
上気している級友の全部がウソ塗れのサマだった」


それからは、絶対賞は貰えないだろうが
「何故弁論大会はウソばっかだったのに、あんなにウソの感動で
燃え上がれるのか、世の中本当にあんな狂気ばっかなのか」
という主題で弁論文書いて0点取ったり、
以前に真面目に描いた作文が県の賞を貰っても、
賞状を紙飛行機にして、直ぐ様ゴミ箱に棄てていた。

しかし、そういう自分も同時に肥って醜いばっかりに
物凄い差別と侮蔑の的の子と仲良くしていたら、
そのほかの奴や親友までもがイイ顔をしなかったので
真正面から裏切ったりした。


差別に絶望する黒人さんの如く、
明るかった表情が、みるみる絶望に染まり、
その絶望は最後の砦だった自分の所為だと解ってい乍ら
見て見ないふりをしたり、
自分より弱そうな人、良さそうな奴に人がいない時を見計らって、
物凄い運動ができる奴よりは弱めではあったが、暴力を働いていた。
後年思うが、人間は抗いがたくそういう残酷を憎みながら
自分も行ってしまうのだ。それが戦争や差別による虐待や殺人の火種だ。

高校に入ると、もっと凶悪な連中や最早腐り切った人たちと
生活を共にするのが耐え切れず
(自分はそこまで酷くなかったが、文化祭の度に腹に膝蹴りを喰らう人や
トイレで頭から血を流し倒れる級友を見た、そして卑怯にも逃げた)
持病を理由に何年か単位に影響が出ない期間休み、病院から学校に通った。
事実、持病も悪化していたので、イロイロな意味でたすかり、クラス替えでまあまあ、穏当に気のあう穏やかな人たちのクラスに変わって
事なきを得た。でも、長年の家庭崩壊や学校の地獄に心は枯れ果てて、
自分も他人も信じられなくなってしまった。
数年は、喜怒哀楽の喜だけの表現しかできなくなり

気味悪くずっと笑って誤魔化していた。そのどん底で出会ったのが、
デス・メタルであった。
今を思うと、殺意や怨念、取り繕う
オシャレやキレイさ等すべてへの復讐心を
受け止めてもらっていたのだろう。
本当に、デスがなければ、ナニかやっていたかもしれない。


醒めて、初老になった今は何故だったのかはもう実感はできないが、
鬱結自尊感情(ルサンチマン)の虜になるかならないかで
人間の一生は決まってしまう。
誰でもイヤなことをされたりすれば殺意を感じ、
心中で殺人計画を練ったり、
知らず、抑圧から来る自分も意識せずに誰かに危害を加えてしまう。
子供の頃ならまだ大丈夫だが、大人になっても乗り熟せない人もいるし、
抑抑そういうヤバい環境でもやる奴はやるし、
やらない奴はやらないのかもしれない。
愛ゆえに憎悪もおこるし、憎悪なくして愛もない。

些細な事だが、ネットでも意見が割れたときに、少し空気の読めない事で
絶大に信頼していた人が、不平等としてもこちらとの絆で
味方してくれると思いきや、大多数の意見に靡いて、
身を翻すのを解り易く露呈してしまっていた。


絆みたいな幻想を真っ直ぐに信じていた自分に、
薄気味悪い気持ちにさせられ
正直、残念や恨みがましい気持ちにチョットだけなってしまった。
でも、ネット上で文字だけのやりとりでの誤解や議論が一番危ない。
その心情の動きだけを心にとめ、やはりこの人とも表層の付き合いか、
と溜息で今回も諦める。
その人も平素は、人種差別職業差別はいけない、
みたいな事を云ってはいたが、
多分、いざとなったら、価値観の良し悪しや主義主張に胸を張るのではなく
大多数の意見と損得のみの天秤にかけ、諾諾と靡く
自分の心が孕む危険性を感じていない。
しかし、それとて「誰もがそう」なのであって、
その人が特別でも罪でもない。

長じた自分は「最後の一線を越えないで済んだ側」だったが
(これからも自戒しないとわからない)
無期懲役のドキュメントで「この時間あったら結婚して子供がいて」と
後悔できる人よりも人生に疲れてしまったし、
人を愛せなくなってしまった。
結婚願望もなく子供もどちからといえば苦手だし怖いので
家庭を持つ資格はないとは我ながら思う。でもさみしいとかもそうだが、
孤独死は一丁前に怖いのである。
結局人生は絶望しながらウソでも希望を焼(く)べる、
終わりなきSLの機関助士みたいなもんかもしれぬ。


■遊佐未森「夏草の線路」


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