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【司法試験】DAIの大冒険【4年10ヶ月】

令和5年司法試験に合格しました。
予備試験を通過した者なら、9割が合格する司法試験
しかし、司法試験合格に至る道のりは、険しく、厳しいものでした。折れた心を何度も修復して、立て直して、また心が折れ…その繰り返しでした。
そんな奮闘記を残しておきたいと思い、書いています。
予備試験3回、司法試験1回のすべての成績・記録は以下にまとめてあります。

第0、予備試験合格

本記事のタイトルには4年10ヶ月とありますが、そのうち3年9ヶ月は予備試験受験期です。この3年9ヶ月について知りたい方は、以下の記事からどうぞ。

本記事では予備試験合格後から、司法試験合格に至るまでの約1年間をメインに、3ヶ月毎に区切って書いていこうと思います。

第1、2022年11月~2023年1月

1、命、激務繁忙期、マイホーム

正直、この時期は忙しすぎて、ほとんど勉強できていないです。
妻のお腹に新しいがいることが発覚し、幸せに包まれたのも束の間、妻のつわりが酷く、初めてのことであるため私も妻も混乱。妻は、精神的にも肉体的にも苛烈なダメージを受けながら、なんとか耐え忍んでいました。気持ち悪さにより、何が食べれるのかも分からない、何が食べたいのかすらも分からないとのことで、妻には家で休んでてもらい、つわりの時期にオススメの食材をネットで検索し、スーパーに毎日買い出しに行っていました。
たまたま買ってきたそうめんなら食べられたとのことで、ようやく食べられるものが見つかったと思ったその翌日には、もう食べられなくなっていたりしていました。この時期は食に対する変化が激しいようです。
妊娠発覚する前までは「美味しいね」と言い合って食べていた餃子も、油・ニンニク・ショウガの匂いがダメということで、私だけ別室で一人餃子をむさぼっていました。美味しいものを美味しく食べられないと涙を流しながらポツリと言った妻がかわいそうでかわいそうで見ていられなかったです。
そして、仕事も年末に差し掛かり激務繁忙期に突入。幸いにもフルリモートで仕事をしていたので、家に引きこもって、妻のケアと仕事をなんとか両立することが出来ました。
ここに追い打ちをかけるように、念願のマイホームが完成。ようやく手に入れたマイホームで嬉しいはずなのに、引っ越しというビッグイベントが待ち構えています。妻はつわりで一歩も動けない状態。仕事も押し寄せてくる。
生活が落ち着くまでは腹を括るしかないと決め、司法試験のことはスッパリと忘れて、妻のケア、仕事、引越しに全力投球することにしました。
旧居の明け渡し日まで3週間程度はありましたが、妻のケアと仕事により、荷造りをする時間などは全く取れませんでした。いちいち段ボールに詰めてマジックで書いて…みたいなことをチンタラチンタラやっている暇はなかったので、荷造りせずに、車に荷物をドサっと詰めて、新居まで往復して、毎日少しずつ引っ越し作業を進めることにしました。
旧居から新居までは、車で往復2時間。仕事を終えた、夜21時~23時頃に往復して荷物を運んでいました。マジでこの時期は体力的に相当キツかったです…。
クリスマスに旧居を明け渡して、新居への転居がギリギリ間に合い、そのまま、勉強については何もせず、年末・年越しを迎えたのでした。

2、2023年の幕開け

転居も無事に終わったこともあり、妻のつわりは波はあるものの、精神的にも少し落ち着いた様子が見て取れました。妻の調子が良さそうな時間帯を見計らって、少しずつ勉強を開始することにしました。
何をしようか悩みましたが、短答で足切りを喰らってしまっては仕方がないということで、短答にコツコツと取り組むことにしました。

2023年から再始動し始めました

短答の取り組み方は以下の通りです。
1年度あたりの問題数は、だいたい、民法40問、憲法24問、刑法24問(合計88問)です。
1日あたり約13問ずつ解けば、1週間で1年度分を終わらせられます。これを最低限のノルマにしようと思い、民法3日、憲法2日、刑法2日で解くことを決めました。
加えて、論文については、短答が終わった後、時間が余れば、1日1設問だけは検討するといった姿勢で取り組むことにしました。
当時の記録を付けていた手帳がこちらです。

2023年1月の手帳

おそらく私以外の人間が見ても何も分からない手帳だと思うので笑、一応解説を付け加えておくと、その日解いた短答の問題を記入して(例えばR3/1~12なら、令和3年の1~12問を解いたという意味)、翌日に復習したら赤ボールペンで丸を付けて、さらに1週間後に復習したらピンクマーカーで四角く囲むといったことをしていました(これは予備試験の短答式試験対策でも取り入れていた方法です。詳しく知りたい方はこちらからどうぞ)。
少しずつ司法試験に向けて歩み始めたのでした。

第2、2023年2月~4月

1、頑張れない僕

”燃え尽き症候群”。この言葉がピッタリ当てはまりました。司法試験を受験するための予備試験だったはずなのに、予備試験に合格したらそれで満足してしまったかのようでした。
いつの間にか心の炎が消えており、机に向かう気が起きなかったり、机に向かって勉強していても目が滑ってしまい、心ここにあらずでした。
もう一つ頑張れなかった要素は、「言うても予備試験合格者の9割が受かる試験なんやろ?」という悪魔の囁きです。この囁きは、司法試験の客観的データに基づいている囁きであるため、とても強力です。
燃え尽き症候群+悪魔の囁きにより、何時間も、何日も、無駄にしてしまったような気がします。本当にもったいなかった。
そこで、何か目標がないと頑張れないと思い、4月末に行われるTKC司法試験模試を受けることにし、それに向けて戦略を立てました。戦略は以下の通り。

  • 短答7-8割まで得点できるように仕上げる

  • 労働法だけはトップクラスの成績を取れるように仕上げる

この2点です。基本7科目の論文は守りの答案で逃げる作戦です。

2、短答はコンスタントに

予備試験の短答式試験の経験から、年度別に解いていった方が全分野を並行的に学習できると感じていたので、司法試験でも採用することにしました。また、全年度を解く時間はないため、解く年度をH23~R4の12年分絞ることにしました(H18~H22は捨てる)。
計画としては、3月末までにH23~R4を解き、4月に入ってからは間違えた肢を追加でもう一周解くプランで行くことにしました。
この際も、翌日と一週間後の復習は欠かしませんでした。

3、論文迷子に救いの手

問題は論文です。私は、

"予備試験に合格した人って司法試験の問題も軽々解けるんだろうなぁ~。自分もそうなんだろうか"

と淡い期待を抱いていましたが、それが大間違い。予備試験とは問題文の分量が倍くらい違うし、設問も独特。問題の難易度は、予備試験より全然難しいと感じました。しかも、上記のように約2~3ヶ月程度のノー勉強期間が存在するため、基礎基本も忘れているような状態。加えて、論文は予備論文の本番以来、半年以上書いていない状態。「こんなん解けるようになるんか?」と、非常にマズいと感じていました。
そんなとき、Twitterで一通のDMが届きました。

DM掲載について小猫さんの許可を得ています

そうです。小猫太郎さんです。初めは何気ないメッセージのやり取りから始まりましたが、そのうちに、論文を添削し合う1vs1のゼミを開催することに。

小猫さんから嬉しいご提案を頂きました

計画としてはTKC模試前までに7通、TKC模試後に7通書いて添削し合うことにしました。
予備試験後、1通も論文を書かなかった僕にとって、週2通というのは最初はハードルが高く大変でしたが、徐々に論文作成の勘を取り戻すことができました。これを機に、ゼミ以外でも自発的に論文を書くようになり、最終的には週3-4通書けるまで復活しました。さらに、小猫さんの答案は奇麗で美しく、ほとんど指摘するところがない答案であったため、「こんな書き方があったのかぁ」と勉強になることも多く、たくさんの技術を盗ませてもらいました。また、添削は自分が理解できていないと出来ないため、理解の促進にも繋がりました。小猫さんからの提案は、論文迷子の私にとって、救いの手でした。本当にありがとうございました。

4、基礎・基本はLEC矢島先生に

趣旨・定義・規範・判例などの基礎知識は、LEC矢島先生のスピードチェック講座を繰り返すことに。模試の直前には1-2周程度、通読をしたと思います。
矢島先生の講座については以下の記事で書いていますので、ご興味があればご覧ください。

5、いざTKC模試

模試の結果は総合B評価でした。模試は模試なので、結果はあまりアテになりませんが、一応合格水準には乗っているそうだったので、一安心するとともに、11~1月のノー勉の時期を考えれば、よく頑張った方だと思いました。
むしろ、5日間にもわたる長期戦が、肉体的・精神的にどれくらいキツイのかを体験することに意味があったと思いました。
TKC模試については以下の記事で詳しく書いていますので、ご興味があればご覧ください。

一応、2月~4月の手帳も掲載しておきます。

2023年2月の手帳
2023年3月の手帳
2023年4月の手帳

第3、2023年5月~7月

1、頑張れない僕との付き合い方

TKC模試を経て、軽傷ではあったものの、また燃え尽き症候群が発症しました。そして、「模試は模試」と割り切りながらも「なんだかんだ言ってB評価は取れるんか」と、またしても悪魔の囁きが復活しました。
予備試験のときはフルマラソンを余裕で走れていたのに、司法試験になった途端に脇腹が痛すぎて走れない感じ。
なかなかメンタルを立て直すことは難しく、一度ぬるま湯に浸かるとなかなか抜け出せないものです。もうこうなったら、ぬるま湯の中で頑張るしかないと決め、自分の今の与えられた環境・メンタルで出来る範囲に絞っていくことに。具体的には、1日のノルマを決めて、それだけは頑張ること。ノルマが終わったら、残った時間は家族や自分のために時間を使うか、あるいは気分が良ければ明日以降のノルマを先取りするか、を決めるといったことでした。
あとは、試験は5日間に渡って行われるため、少しでも良いホテルに泊まって、気分をアゲアゲにしようと思いました。試験会場が日本橋浜松町のどちらかになるか分からなかったので、どちらにも行けるように新橋の宿を予約しました。

2、短答はコツコツが命

短答はある程度の土台は出来ていると実感できたので、引き続きコンスタントに取り組むことにしました。この時期になると、3周目・4周目となり、分かる肢も増え、解くスピードも速くなったので、1日に20問程度解いていたと思います。また、憲法統治民法家族法については、辰巳の肢別アプリでも学習を進めました。
短答は裏技なんてものはなく、とにかく量をこなすことが必勝法だと思っているので、根性で続けました。

3、論文は基礎基本を忘れずに

TKC模試でゴミムシ答案を作成してしまった刑法がとても悔しかったので、この直前期に基礎・基本をもう一度叩き込むことにしました。予備試験の過去問と司法試験の過去問を徹底的に理解することにして、大塚裕史先生のレジュメに一元化して、基礎基本から離れずに、何度も何度も読み返しました。
それ以外の科目は、矢島先生の過去問講座・スピードチェック講座と心中することにし、何周も取り組みました。
小猫さんとの1vs1ゼミも復活し、お互いに提出し合い・お互いに添削し合うことで、一緒に頑張っている仲間がいると感じることができ、とても心強かったです。

4、頑張れない僕がもがいたラスト1ヶ月

6月あたまになると、小猫さんとの1vs1ゼミも終わってしまいました。添削をし合って、ときどきコメントで励まし合ったりしていただけに、1vs1ゼミが終わると、また孤独との戦いが始まったような気がしてしまい、しかも超直前期ということでメンタルもかなりえぐられるようになっていました。

勉強をしていないと不安になる→勉強しようと問題文を読んでも不安で頭に入ってこない→論証を確認しようとすると覚えていないのがあって不安になる→短答を解いても間違えて不安になる→全部嫌になって勉強から離れてリフレッシュしようとするも勉強していないと不安になる(以下繰り返し)

このような状況になると、なんで僕は頑張れないんだと余計に苦しみ、負の無限ループにハマっていきます。
なんとか抜け出そうとして以下に取り組んでいました。

  • 仕事をしている間は忘れられるので、仕事に集中した

  • 朝、昼、晩の1日3回の散歩を欠かさなかった

  • ドライブに出掛けて(ほとんど聞いてないけど、一応)音声講義を流していた

  • 週末の午前中はカフェでコーヒー飲みながらゆるりと勉強した

予備口述の直前期も物凄く辛かったけど、司法試験の直前期もストレスが半端ではなかったです。
早くこの苦しみから解放されたいという思いと、今受けても落ちるからもっと勉強しなければならないという思いが、永遠と繰り返されるスパイラル。
自分なりのメンタルコントロール術を早いうちから探しておくと良いと思います。

第4、司法試験本番

1、7/12(水)論文式試験1日目

初日の手応えは最悪でした。
好きだし、しかも得意(だと思っていた)な労働法で出鼻をくじかれたのが大きなショックでした。設問1が知っている判例と少し違った事案であり、判例の規範を使って当てはめても否定するのがミエミエな問題文だったので、その規範を使っても意味がないと感じ、何を求められているのか分かりませんでした。結局、自分で規範を捻り出し、当てはめたわけですが、手応えがまるでなく、いきなりメンタル瀕死状態でした。
さらに、気を取り直して挑んだ午後の憲法でも生存権という苦手なテーマ。途中まで平等権の問題も含んでいることに気付かず、気づいたときには全身の毛穴から汗が噴き出したのではと思うくらいにパニックに。答案では、挿入に挿入を繰り返し、全体力を持っていかれた気分でした。
加えて、行政法では設問2小問⑴までで時間を使いすぎてしまっていました。裁量については直前にめちゃくちゃ勉強しただけに時間さえあれば書き切れる自信があったのに、時間が足りずに、設問2小問⑵を十分に書くことが出来ず、後味最悪な状態で試験会場を後にしました。

手応えが本当に最悪だったのですが、相対評価だと自分に言い聞かせて、なんとかメンタルを保ちました。

2、7/13(木)論文式試験2日目

司法試験の山場はなんといっても前半の2日間だと思います。出来不出来はともかく、この2日目を乗り切れば、精神的に少し楽になります。
しかも、民事系は、これまで予備試験や模試でもあまり沈んだことがありません。「きっと大丈夫」と自分に言い聞かせて臨みましたが…やはり爆死してしまいました。
民法では設問1で超丁寧に条文を引っ張りまくって説明できたので良かったのですが、時間が圧迫されてしまい、設問3の事案の整理が追いつかず、ろくに検討することが出来ないまま終えてしまいました。さらに、設問2では損害の認定で大ポカをしていることに試験後に気付きました。お昼休みはもう最悪の気分でした。
商法では、一人会社に気付くことすらできず、さらに設問2では原則の検討しかしておらず、問題文を誤読しており例外に全く触れない答案しか作れませんでした。ひたすらに原則論をつらつらと書き続けなんとかページ数を埋めたので「そこだけは点数が入るはず…」と自分に言い聞かせました。
民訴は全体的に意味不明だったので、部分点狙いで分かっているところは分かっていますよアピールだけして、あとはもはやお気持ち表明のみ。設問3に至っては第一印象を信じることが出来ずに、誘導やわざとらしく書いてあった問題文に振り回され余計なことを書いてしまう始末(第一印象で合っていた)。ひどい有様でした。

正直、1日目より肩を落として会場を後にしました。果たして1日目と2日目の正解筋は何だったのかが気になりすぎて仕方なかったですが、そんなことを気にしても点数が変わるわけではないし、残りの刑事系と短答を頑張るしかないと心に決めて、ホテルへ帰りました。

3、7/14(金)お休み

ゆっくり10時間くらい寝た気がします。ドン底だったメンタルも、ホテルの朝食バイキングで少し回復することができました。
ホテルの部屋を清掃してくれる時間帯は外を散歩したり、カフェに滞在して短答の不安な箇所と、刑事系全体を確認しました。
受験仲間が同じ新橋に宿泊していたとの情報を得ていたので、お茶でも誘おうかと思いましたが、試験の話をして落ち込みたくなかったので笑、ぐっとこらえました。夜まで勉強をして、ビールを飲んだら、宿にある露天風呂に入ってゆっくり休みました。

1日3回は入っていたホテルの露天風呂

4、7/15(土)論文式試験3日目

刑法だけは絶対にAを取りたいと思っていました。なぜなら、大塚裕史先生に直々に教わっていた時期があり、最後の授業のときに「司法試験ではぜひ刑法はA評価を取ってきてください」と言われたのです。予備試験がFだっただけに、必ずその約束を果たしたいと思っていました。

大塚先生にサインを頂いた基本刑法をベースに、手厚く学習しました。
大塚先生の講座については以下の記事で詳細に書いています。気になる方は以下からどうぞ。

設問1は少し特殊な問われ方でしたが、設問2はオーソドックスな問われ方だと感じ、設問2は書き負けないように丁寧に議論を積み重ねたつもりです。出題趣旨から外れたことを書いてしまった論点はありましたが、あの試験現場で出せる力は出し切ったと思います。

刑訴は、領置伝聞からの出題。領置はLEC矢島先生が合格した年のH22に司法試験で出題されたことから、矢島先生が自信満々に「これだけ覚えて書いてくれば大丈夫!」と紹介して下さったことをそのまま書きました。
伝聞は要証事実の把握が難しく、果たして正解筋だったのかは分かりませんが、自分なりの理解を答案に置いてきました。

論文3日を書き終えての感想としては、刑事系はなんとなく沈まなそうだけど、1日目と2日目がヤバそう…という感覚でした。
ともあれ、解放感がすさまじかったので、ソッコーで新橋のビアバーに駆け込みました。

2杯程度ビールを飲んだ後は、ひたすらに短答の対策へ切り替えました。脳みそタプタプになるまで択一六法を読み込みました。

5、7/16(日)短答式試験

昨日確認したところをもう一度確認すべく、5時起き。

短答は毎日コツコツ取り組んできたから絶対に裏切らないと信じて、落ち着いて臨むことにしました。

まずは民法。解いている感覚としては9割くらい取れていてもおかしくないような感じでした(蓋を開けてみれば全然そんなことなかったですが笑)。ただ、8割は取れているのではないかと思っていました。幸先が良い感じ。
憲法。これが地獄だった。解いている最中は、自信をもって肢を切ることができない聞かれ方ばかりで、足切りに遭うのではないかという不安が半端ではなかったです。TwitterのTLも「憲法の短答難しい」というつぶやきで溢れかえっていたので、僕だけではないんだと安心しました。とにもかくにも、あと一科目で司法試験が終わります。
刑法自信あり満点もあり得ると思っていました。一問、法改正に対応していない問題があり戸惑いましたが、刑法が足を引っ張ることはなさそうな手応えでした。

試験を終えて解放されたときの快感は今でも忘れられません。「やっと終わったんだ…。受かってても不合格でも、とにかくこの5日間の拘束、ひいては受験に至る4年間の拘束から解放されたんだ…」と翼が生えた気分でした。

試験後は、受験を応援してくれた後輩社労士の面々と打ち上げ。
真夏の大決戦は幕を閉じました。

第5、2023年8月~11月

1、抜け殻からパパへ

試験後、燃えカスも残っていない抜け殻でしたが、その後子供が生まれました。パパ業に専念していたため、勉強という勉強はほとんどしていないです。取り組んだ勉強と言えば、

、受験生時代から気になっていた市販の教科書を購入し、空いた時間でダラダラ読む

、予備試験の短答式試験を解いてみる

、予備試験受験生向けに添削サービスを開始する

、予備試験の論文式試験を解いてみる

、予備校各社の分析会・速報会をYouTubeで見て回答筋を知る

これらを子育ての合間に行っていました。
とても勉強していたとは胸を張って言えませんが、落ちていたときのために少しでも学力を維持しておかなければという思いで続けていました。

2、11/8(水)16:00 法務省へ

朝からソワソワして仕方がないことが想定されたので、仕事は休みを取りました。
家族とゆっくり過ごしつつ、散髪に出かけたりして時間を潰しました。
お昼過ぎに、法務省方面へ向かいますが、やはり落ち着かないので、銀座ライオンでビールを飲んでダラダラと過ごしました。

エビスハーフ&ハーフ

全く酔えない

16時が近づいてきたので、銀座から霞が関まで歩いて、法務省へ向かうことに。緊張により動悸・息切れがひどく、ゆっくりトボトボと歩きました。やたらと天気が良かったのだけが救い。
掲示される祝田橋交差点付近には、すでに数十名の受験生が並んでいました。

20分前なのに並んでいる人がいる

この方たちは合格を確信しているのでしょうか…。ものすごいメンタルです。
あと20分程度時間があったので、日比谷公園をぐるぐると散歩。落ちていたらどうしよう…もう1年頑張れるだろうか…と悪いイメージばかりが過ります。
16:00には長蛇の列となっており、そろそろ掲示されるということで、私も列に並びました。

16:00近くなり人が増えた

16:00になり、掲示が始まりました。列の前の方に並んでいる受験生から、順番に掲示板に向かって歩き始めます。先頭付近にいた受験生は、自分の番号を見つけたのでしょうか。声高らかに喜び拳を天に突き上げる姿が見えました。いいなぁ…。僕もあんな風に喜べるのだろうか…期待の波不安の渦が脳内を駆け巡ります。
列が徐々に短くなっていき、いよいよ掲示板が目の前に。右手に握りしめていた受験票はぐちゃぐちゃになり、しかも手汗でベチョベチョに
手汗で滲んだ受験番号をもう一度確認し、掲示板を見る。
探す。
上からなぞっていく。

あった
手元にある5桁の番号と同じ番号が目の前にあった

嬉しい。
信じられない。
受かっている。
家族に報告しなきゃ。
人混みを離れて電話をしようとするが、スマホを持つ手が震えて電話が掛けられない。
でも本当にアレは自分の番号だったのだろうか。
もう一回人混みに潜り込み、掻き分けて掲示板の前に行く。
やはり同じ番号があった。
妻に電話をする。妻の声を聴いた瞬間に泣き出してしまい、嗚咽がひどく「受かった」の一言しか言えなかった。妻も泣いていた。

家に帰る途中、会社や親に連絡を入れ、おめでとうという言葉を貰いました。
長く、暗く、苦しい4年10ヶ月の旅が終わりました

第6、終わりに

上位合格ではないが、僕なりに頑張った

こっそりと目標にしていたことは、予備試験の論文式試験の順位(393位)を超えることでしたが、達成することはできませんでした。
ただ、与えられた環境で、限られた時間で、自分が自滅しないように、メンタルを保てるギリギリの勉強量・勉強方法で挑んだ勝負でしたから、この成績を真正面から受け止めて、今後も頑張っていくつもりです。

予備試験・司法試験を目指して、勉強仲間が欲しくて始めたTwitter(X)でしたが、こんな私を1,600人以上の方がフォローして下さり、応援して下さり、本当に感謝しています。ありがとうございました。

最後に僕のモットーをここに記して、終わりたいと思います。

努力は実力を生み、実力は自信を生む。
自信は幸運を呼び、幸運は勝利を掴む。

今まで、応援をありがとうございました。
まだまだ勉強の日々が続きます。
今後ともどうぞよろしくお願いいたします。

DAI

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