4月18日、歌が歌いたい。

4月に入ってから定期的に路上ライブをするようになった。

歌を歌うようになって感じたことの1つに、歌は見る人、聴く人がいないと成り立たないなと思った。

俺を見てくれる人。

俺の歌を聞こうとしてくれる人。

歌を作るのは自分で、それを言葉にするのも自分なんだけど、

常にそこには誰かの存在がないと成り立たない。

シンガーソングライターだろうと

客のいないライブなんて存在しないのだ。

 

 

歌をはじめた頃は、ずっと歌うことの先を見てこう考えていた。

 

アイドルや歌手なんて、やはり人気やカリスマ性あってなんぼ。

じゃあ、俺は人から必要とされるのだろうか?

と。

歌は、まぁ、必要だから聴くって感覚じゃないのかもしれない。

歌は、たまたま聴いたらグッと惹き込まれて、

魂の片鱗に触れたものには心が揺れ動かされてしまう。

そんな、数奇な出会いだ。

 

数奇な出会いの中で、だいてぃーの歌を聴いて

命を感じる。言葉を感じる。なんかいい。なんかすごく心揺さぶられるようだ。

そんな歌を歌いたい。

 

経歴や過去の話は、その場合意味をなさない。

だって、昔話に花を咲かせても感動は生まれないから。

歌手ってのは実にキザでクソ青臭い生き物だ。

 

アートなんて呼ばれるほど芸術性とイコールで想起されない。

なのにアーティストと呼ばれる。

歌で表現するという言葉とメロディを筆のように使い分ける。

 

だから吐いてる言葉の一つ一つが実際は価値なのだと思う。

 

リアルな言葉は説得力があるが

それ以上に、世界観を持った言葉は

理屈抜きにイメージをそのまま脳へと伝える。

 

言葉の真実性より世界観が大切なのだとつくづく思う。

じゃあ、僕の場合、どんな世界観を持ってるのか。

 

悲しい歌、寂しい歌、熱い歌、無骨な歌。

少なくとも、ハッピーは歌えないのが俺の歌なんだ。

ハッピーはなんつーか、歌いたくない。

ハッピーな事実よりも、辛いことのほうが人間多いからかな?

自分自身、辛いことのほうがより鮮明に思い出される生き方だったし。

 

だからといって、ただただ、悲しいだけの歌も嫌いだ。

悲しいからこそ、戦っていくべきだと思う。

悲しいことにイチイチ気にしてたら身が持たない。

というより、未来を見てない。

 

先の未来でいくら面白いことがあっても、過去を見ているうちは今や未来を生きようとしない。

そんな歌に共感する人もいるだろうが、俺は嫌だね。

 

生き死にも全て込みで人生だし。

人間なんてめんどくせぇことを暇つぶしながらなんとかこなして今日を生きてるんだよ。

 

つまらねぇことも込みこみで、仕事したり、麻雀打ったりしてる。

っていう時にさ、

ほんとに辛い時ってのがあるわけよね。

現状が一切開かれない時とか、

なんか知らないけど苦しいときとか、

まぁ、多くはマジメすぎるときなんけど。

 

でもマジメに生きるのってそれはそれでいいことだと思うし。

もちろん死んだら何も意味はないんだけど。

 

まぁ、だから、戦う歌を歌いたいのよね。

幸せな歌も歌ってみたいけど。

戦うような歌が心から欲しいと俺自身も思ってる。

熱さを、どんなところに感じるのかによって違ってくるし。

 

そんな感じで、6月ワンマンライブをする予定で進めてます。

まだなんも決まってません。

自分の歌とほんの少しcoverソングいれようかな?

場所はいつもお世話になってる高円寺のライブスペースかな?

とかとか、そんなぐらいです。

 

まずは、やってみるけどね。

意外と足りないもの多くて困るんだけど

やってみようと思う。

 

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