ある日、イビージャが仕事を終えて帰宅すると、静かにリビングに座るバラモスの姿があった。バラモスは身支度を整えていた。
　何もいわなくても、イビージャにはわかっていた。

『今まで世話になった。感謝している』
『仕事、決まったのね』
『ああ』
『どこで働くの？』
『ホーソモスだ』
『そう』

　ホーソモスといえば、自分やアルタシアの生まれ故郷だ。
　ホーソモスはセテオスよりも大きな都市で、人口が多く家具や生活用品の制作工房なども集中している。だから、外部からやって来た者はそこで働くことが多い。
　そのため、バラモスがそこで働くことになったと聞いても、何ら不思議なことではなかった。

『では』
『ええ。さようなら』
　イビージャが手を上げると、バラモスは軽く頭を下げて出ていった。

　あっさりとしたものだった。正直、イビージャもバラモスに対する気持ちはすでに冷めていた。
　以前と変わらず街へいけば自分になびく男は多いし、複数の男ともすでによりを戻していた。

　ただ、バラモスがアルタシアと一緒になることだけは、何としても阻止したかった。そして、その目的はどうやら達成できたようだ。
　バラモスも、もう諦めたのだろう。それに、アルタシアもバラモスのことなどもう忘れているだろう。

　目的が達成できたというのに、イビージャはなぜかむなしさに襲われた。その感情をかき消すために、イビージャは男をひとり家に呼んだ。

　部下もできるようになって、自分がいなくても仕事を回せるようになってきた頃、アルタシアは久しぶりに実家へ帰ってみようと思い立った。セテオスへ来てから、まだ一度も帰っていない。
　家族とは常に連絡を取っていたし、特別寂しさは感じていなかったけど、帰ると決めたら心が弾んだ。

　一緒に帰らないかとイビージャも誘ったけど、断られた。バラモスが寂しがるから、といっていた。それを聞いて、アルタシアはなぜかチクりと心が痛んだ。
　でも、関係ない。わたしは、わたし。わたしの帰りを心待ちにしている家族もいる。それに何より、わたしには使命に後押しされた仕事もある。

　ドラゴンに乗って、ホーソモスへと帰ってきた。
　久しぶりの故郷。何ひとつ変わらず、懐かしい。
　いつもアーロンとチャンバラごっこをしていた公園に、アルタシアは降り立った。公園には、かつて自分がしていたように魔法をかけ合って遊ぶ子供たちがいる。

　イビージャとも、この公園で出会ったのだった。
　自分と歳が変わらないのに、何でも知っていて色んなことを教えてくれたイビージャ。自分にとって、イビージャは先生だった。
　今でこそイビージャとは部署は違えど対等な立場だし、プライベートでは友達だ。しかし、イビージャがいなかったら今の自分はいないし、あらゆる面でイビージャには敵わない。やはり今でも、イビージャは尊敬すべき先生だ。

　そんなことを考えながら家へ帰ると、母親とアーロンが笑顔で出迎えてくれた。
　アーロンは、養生校の教師になっていた。体術や魔術を教えているということだ。
　それについてアーロンは、『いつもお前のチャンバラにつき合っていたおかげだ』と笑いながら話した。

　父さんは？と聞くと、工房にいるとのことだった。
『行って驚かせてあげて』と、母親がいった。
　実は、今回アルタシアが帰省することを、父親には内緒にしていたそうだ。サプライズにしたかったのよと、母親が茶目っ気たっぷりにいった。

『あと、そうそう。父さん、ひとり地表から来た男の子も雇ったのよ』
　工房へ向かっている途中、母親がいった。
『とても手先が器用な子でね。それに、すごくハンサムよ。お父さんも気に入っていて、婿に来ないかなんてよくいっているのよ』
『もう、父さんたら勝手なこといって。わたしは自分の相手くらい自分で決めるわよ。それに、今そんなことに興味なんてないし』

　そんな話をしながら歩いていると、工房の前で金属を加工するひとりの青年の姿が目に入った。アルタシアたちの存在に気づいた青年は、手を止めて顔を上げた。
　額の汗を拭う青年の顔を見て、アルタシアは言葉を失った。