違う人生

僕は19歳ながらにして、半径100メートル以内の人とは絶対に違った経験をしてきていると思う。
いやまず、人は一人一人違う人生だ、同じ人生だと、皆んな一卵性の双子と一緒だ。

まぁ、そんなことを踏まえて、僕の話を聞いてほしい、いま、進路に悩んでる人、僕の伝記だ。

小学校一年生
親が離婚している、まぁ、そんなことは今の時代を生きている人はたくさんいるだろう、

小学校二年生
の時、学校から家まで片道40分の通学で、下校の時だった。帰りはいつも、寄り道寄り道の毎日、そんな中、1メートルくらいのところから飛んだその時に、下に小さな木みたいのがあり、ズボンとパンツが貫通して金玉袋に、穴が開いた。
人間て、想像を絶する痛みだと、泣きもしない、でも、そのとき、すぐに金玉袋に入っていた木の屑をとった。その時金玉が、穴の横を通った。白かった。

小学校5年生
友達がやっていた万引きにバレて、僕も捕まった、
中学一年生の時、じぶんは頭がいいもんだと取っていたが、県の偏差値テストで39をたたきだした。
しっかりやったつもりだった。

中学2年
友達がいじめられていてそのいじめてたやつに膝蹴りを入れたら。その子は、倒れて血尿を出し二週間学校に来なかった。その件で相手の親が訴訟を起こすといい、学校の校長と副校長が止めてくれた。
その時、親は毎日泣いていて、僕は謝り続けた、そこで親に言われた、そのいじめてたやつより頭良くなりなさいといわれ、自分の家庭は裕福ではなかった、だから、離婚した親父に、塾に通わせてくれと頼んだ、2教科しか受けれなかったけど、塾に通うにつれ、学校のテストで点数が上がることに楽しさを覚え、え?俺頭いいんじゃねと思い。毎日勉強をし続けた、その時県の偏差値テストで53に上げた。

中学3年生
受験の時期と自分はサッカー部でスタメンだった。

部活は楽しくもなかった、むしろきつかった、体罰教師、早く終わって勉強させてくれと言う頭になっていた、中学一年の時はそんなことすら思わなかったのに変わった、受験に関しては地元の工業高校に通おうと思った、偏差値的には引き算しても余るほどだった、親はそれに対して、もっと頭のいい高校に行きなさいと言った。だか、僕は夢があった。本田のエンジンを作ると言う、なので、高校生活三年間普通科に通って、ただ単に毎日学校に行き、大学から工業を学ぶのは、本当に嫌だった、なぜなら、三年間のスタートダッシュで差がつくなら、その三年間で周りの人よりも自身のスキルをつけて、大学にいきたかったからだ、それをいったら、親は理解してくれた、だが、勉強ができてて、成績表などで5を取るのも見ることが初めての親だった。テストで100点を取る僕なのに。親が一番喜んでいた。だから頭のいい学校を調べてくれたそれは違う県にある高専だ、僕の県には高専はない。だか、通学費など馬鹿にならないけどいいのかと聞いた、親は気にしないで、夢があるならそれにまっすぐ言ってほしいといわれた。
受験の時は終わった瞬間に自信があったので公衆電話で、電話をかけ。大丈夫うかったよと。まだ合格発表も出てないのに、いった。
だがいま、高専四年になり。三年の時から夢が変わった。
三年の時
友達と兄貴の車をかり、ドライブに向かった、その日は台風の日だった、車は冠水した、その友達が運転していて壊した、焦った、
親同士で裁判になった、僕は今でも弁護士に会う。
そこで自分は思った、人のために生きよう、そのため自分探しもしたく、バックパッカーになる、そこで物を見定め、エネルギー資源などもみたい、
物流で繋げたい。

このアウトローな人生を僕は後悔せずに語れることで楽しかった。まだ、話をしていない人生もある。

暇な時また語ります。

結論として親に感謝!

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