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【日々の感想文 その3】滝本晃司(ex,たま)23'クリスマスライブ〜『ふたつの天気』歌詞を読む〜

 明けましておめでとうございます。今年になったと思ったら、日本中(世界中も)色々ありすぎますよね。自然災害、人災、芸能界のゴタゴタ……ついつい世相なんかを切りたくなりますが、こんな哀れな世の相を切れるほどの傑物じゃありませんので、昨年のクリスマスに時を戻してみようと思います。
〜僕はヤーレンズだったなぁ…〜

 昨年のクリスマスの夕方は滝本晃司さん(ex,たま)のクリスマスワンマンライブを観に、APIA40というライブハウスに行ってきました。15時半からのスタートという何とも優しい時間のライブでして、この辺りからも滝本さんらしさが感ぜられる気がしました。

・・・・・

 私は世代ではないのですが、〔さよなら人類〕で著名になったバンド「たま」が大好きです。中でも滝本さんの楽曲は陰鬱ながら優しさに満ち、ジトジトしながらも心地よい旋律、歌詞、歌声、人間味……その至情に惹かれ……要するに大好きです。そしてこの日は、往年のたまファンには垂涎のセットリストだったもので、宝物のような1日となりました。
〜1曲目から、青空→ふたつの天気→日曜日に雨、でしたからね…〜
〜ちなみに本記事のカバー写真は、たまのメジャーデビュー前、ナゴムレコードから発売された初LP盤『しおしお』。今回の話題とは無関係。〜

 特に興奮したのは〔ふたつの天気〕。たま時代からの楽曲で『そのろく』というアルバムに入っております。このアルバムは、「4たま」なんて称されるオリジナルメンバー4人で制作された最後のアルバムで、メジャーでは録音できなかった歌を集めたインディーズ盤になります。少々過激な歌詞が多いアルバムでありながら、この〔ふたつの天気〕は本アルバム(他は別の3メンバーによる作詞作曲)の中では異質なほど、問題のない楽曲であり、ちょうど良い箸休めになっていると私は感じます。
〜故にむしろ浮いている感じもします。〜

 ポップに聞こえるようで何処となく切なさが残る旋律、癖のあるコード進行がGさん(滝本さんの呼称)らしく味わい深い楽曲ですが、私は今回、歌詞を紹介したいと思います。

 これがとても秀逸なんです。

ぼんやりと縁側でながめてたら
洗濯物は もうすぐ乾くために
ゆれつづけ ゆれる度にそのうしろの
まっ青な空 見せたり隠したり

遅く起きた朝は
こんなふう動いているのか
止まってしまっているのかわからずじまい
きみは何処へでかけたの

からっぽの部屋
からっぽの朝
はがれた時刻

ぼくはここできみはどこかで
ふたつの天気

遅く起きた朝は
こんなふう動いているのか
止まってしまっているのかわからずじまい
きみは何処へでかけたの

からっぽの部屋
からっぽの朝
はがれた時刻

ぼくはここできみはどこかで
ふたつの天気

からっぽの部屋
からっぽの朝
はがれた時刻

ぼくはここできみはどこかで
ふたつの天気
ぼくはここできみはどこかで
ふたつの天気

作詞:滝本晃司

 まず、1行目です。

  • ぼんやりと縁側でながめてたら

 言葉足らずな1文です。普通に読めば「何を?」となります。英文法で言うところの目的語がありません。でも、これが重要です。ここではまず、この作中での「ながめる」という様子がよく表現されています。

 「ながめる」とか「見る」という動詞には必ず、その手前に、目線の先にある対象物を据える必要があります。しかし、その対象を隠すことにより、縁側で「何を見る」わけでもなく「何かを目に映」している⇨「ながめている」といったふうに、ただ縁側で目を開いて過ごしている様子が表現されています。

 そして、つづいて2〜4行目に、

  • 洗濯物は もうすぐ乾くために

  • ゆれつづけ ゆれる度にそのうしろの

  • まっ青なそら みせたり隠したり

 ここで視線の先の対象に「洗濯物」が出てくるのですが、洗濯物が風にゆれる様が「乾くためにゆれつづけ」と表現され、続けてそのうしろのまっ青な空を、その洗濯物が見せたり隠したりしてくるというふうに、洗濯物が擬人化されています。これにより、より「ぼんやり感」が際立ってきます。

 というのも、この歌の主人公の目線は意思や意識のようなものを有しておらず(見ようとはしていない)、あくまでもその光景を見せられて(目に映されて)、只々その空間にある事物の意思や意識に従っているだけというような状態が強調されるからです。

 ここからBメロに入って、 "遅く起きた朝は こんなふう動いているのか 止まってしまっているのかわからずじまい きみは何処へでかけたの” と続いて行きます。

 この辺りからは想像のしようによってあらゆるシチュエーションを想像できそうですが、朝起きてからっぽの部屋から眺める元気の良い洗濯物、変わらない青空、見え隠れする、晴れたり影ったり、きみとの時間は止まっているのか、動いているのか、きみの天気とぼくの天気……といったような見えないふたつの時間とか、空気とか、気分とか、が交錯しながら時を同じくして流れている様子、何も言葉にならない − できない − 喪失感がとても秀逸に表現されています。
〜と、思います。〜

 これが、先に目的語が来ていたらどうでしょうか?

・・・・・

 旋律に添って歌詞を書き換えてみました。これは私が勝手に書き換えた物です。

  • ぼんやりと縁側で洗濯物を

  • ながめていたら もうすぐ乾くために

  • ゆれつづけ ゆれる度にそのうしろの

  • まっ青な空 みえたり隠れたり

 とでもなるでしょうか?

 やはりこうなってしまうと、主人公の「洗濯物を見る」「そのうしろの空をみる」という意識が前に出過ぎてしまい、先にも記した何も言葉にならない − できない − 喪失感が無くなってしまいます。この感覚こそ「ぼんやり」とも言えそうですね。
〜と、思います。〜

 滝本晃司さんの楽曲には、天気だと雨、季節だと夏、水と光が多く登場します。Gさん作品の数々はそんな空気が上手に摘まれ、歌の中に浮き、言語化されています。私は雨天も暑さも大いに苦手ですが、そんなふうが大好きなのです。

 皆さも是非♪。Youtube に上がっていたものを数曲あげておきます。

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