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年賀状の件

年々、年賀状を出す人が減っている。

今年はハガキ代が値上がりすることから、更に年賀状離れは加速するだろう。

  
確かに私も年賀状を出す枚数は減った。

学生時代は一枚一枚手描きの上、全員のイラストを変えるくらいこだわっていたが(故に11月からちょっとずつ準備していたが)
今は印刷にかけたものにちょこっとメッセージを添えるくらいだし、枚数も激減した。

 
ローカルアイドルや地下アイドルは年賀状を販売している。
以前は1000円だったが、今年分から1000~2000円とアイドルによって金額にばらつきが出ている。

私は毎年推し(アイドル)の年賀状を買い、推しからの年賀状を待っている。
また、アーティストのファンクラブに入っていると年賀状が届くので、アーティストからの年賀状を楽しみにしたり、ファンアートを描くファンからの年賀状も近年は楽しみにしている。

 
かつては学生時代の友達との年賀状が主流だったが
今や年賀状交換をする相手も変わってしまった。

 
 
1月1日の元旦8:00頃、早速年賀状が届いた。
ここ数年は意外な人から届いていないので既に投函した相手からの年賀状が届いたのだが
 
 
毎年元旦に年賀状をくれた元利用者からの年賀状が全くなく

私はそれに大いに動揺した。

 
もう10年以上のやりとりだったし、毎年必ず元旦に来ていた。
確かに一人や二人が元旦に届かなかったならば、年賀状やめたのかな、とか、喪中かな、とか思うが
全員となると話は別だ。

 
仕事をしていた頃から毎年元旦に届いた利用者からの年賀状。
立場上、当時は届いてから返事を書くようにしていたが
退職してからは私も元旦に届くように年賀状を送っていた。

 
退職して四年。

もう四年だ。仕方のないことなのかもしれない。

 
私からの年賀状を見たのだろう。
数日後、私が送った利用者からは年賀状が届いたが、空しさが込み上げた。

“利用者が”書いて渡すのはいいが
“元職員が”自発的に書いて渡すとなると話は変わる。

 
来年には退職して五年になる。
もう来年は元利用者に自分から書くのはやめよう、と決めた。

 
仕方ないのだ。
過去より今が大切で
昔そばにいた人より今そばにいる人が大切なのだから。

 
私は所詮過去で、思い出だ。

私は元職場や元利用者を思い出として抱えて歩いていけるよう
距離を置く努力をしなければいけない。

もう傷つきたくない。

 
想っているのは私の方だけなんだ。
私はいなくてももうみんなには関係ないんだ。

そんな風に落ち込んだ。

 
分かっている。
年賀状で全てはわからかい。

ただ単に年賀状離れしただけかもしれないし
私に対してだけやめたわけではないかもしれないし
年賀状一枚で思いははかれない。

 
親友はじめ、休みの日に会う友人や今でも連絡をする友人とは逆に年賀状のやりとりはしていない。
年賀状で心の距離ははかれない。

 
たかが年賀状。
されど年賀状。

分かっているのに
それでも私は元旦から一人傷ついていた。

 
 
仕事始めの日の夕方、利用者や関係者から届いた年賀状を同僚と見た。

利用者らしい、保護者らしい年賀状にホッコリした。
中には「今年も楽しいよ」と書いている利用者がいて、フフフと笑ってしまった。

 
転職先が私の今だ。

居場所まではいっていないかもしれないけれど
年始に挨拶をしたり、みんなの元気そうな顔を見て前向きな気持ちになる私がいるのは嘘じゃない。

転職先で見るみんなの年賀状は私を前向きな気分にさせる。
仕事を頑張らなきゃいけないという気持ちにもなる。

 
私は今と未来を大切にしていかなきゃいけない。
そう密かに思う。

 
前の職場から今の職場に年賀状が届いていた。

宛名は転職先全体ではなく、私の名前宛になっていて、それを見て泣きそうになった。

私を忘れないで。

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