過去の可能性 26
藤林邦夫の3分メッセージ(『生きる楽しみ』1991年版、pp.35−36。)
人は現在に生きているのですが、時として、過去に生きる傾向があります。
あるご婦人ですが、友人の家族と一緒に一家揃っての旅行中、突然の交通事故に遭って、夫を亡くしてしまいました。彼女はそれ以来、メランコリーの状態に陥りました。
「もしも私が、あの旅行をしようなどと、提案しなかったら、こんな悲しい思いをしないでもすんだでしょうに。そして、今まで通り、楽しい生活が続けられたでしょうに……」
と涙に暮れることが続きました。
このご婦人の心の痛みには深く同情しますが、しかし「もしもあの旅行に行かなかったら……私が誘いさえしなかったら……」と、過去の可能性の中に入ろうとする時、そこには、何の可能性もないのです。
既に済んでしまったことの中に、自分の可能性を見出そうとする人は、未来の真の可能性に目を閉じてしまうことになります。
聖書は
と語ります。
それがどんなに良い想い出であろうと、また、悲しいことであろうと、その過ぎ去った出来事に生きることは避けたいものです。
私たちの未来には、今までになかった、良いことを神は用意して下さっているのですから、それに挑戦していく者でありましょう。
真の可能性は、過去では無く、未来にあることを知って、前進する人こそ、有意義に1日、1日を過ごすことができます。
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<著者紹介>
藤林邦夫 1935年(昭和10年)生まれ。日本純信聖書学院自主退学、京都福音教会で、35年牧師として従事。ホザナ園園長も務めた。1992年2月26日、56歳で召天。この一連のエッセイは、亡くなる直前に、4年間にわたり、3分間テレフォン・メッセージとして書き溜めたもの。
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