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CBC①「お父さんを殺した母の見た夢」

今日からしばらく「コーチがするカウンセリング」について書いていきます。

コーチだけど、カウンセリング的なサポートもできるようになりたい人。コーチでもカウンセラーでもないけど、悩んでいる相手の力になりたい人。

そんな人のために、役立つサポートに関する理論や技法の紹介をします。といっても僕が体験したケースを具体的に紹介しながらの解説がメインなので読み物として楽しんでもらうのも歓迎だし、読んで癒されたという人がいたらそれも嬉しいです。

ということで何日続くかわかりませんがスタート。まずはセミナーなどでも良く話しているこのエピソードから

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「だいじゅさん。今日はパワーオブコーチングを見せてくださいね」

九州地方のとある空港に迎えにきてくれたTさん(30代男性)が運転席から僕に声をかける。冗談はやめてくれよ。と思ったけど、彼の気持ちもわからないではない。

九州に来たのは彼に頼まれたからだ。

彼のお母さんは、もう何年も寝たきりだそう。きっかけはTさんがまだ幼い頃のこと。彼のお母さんは夫を刺し殺した。

Tさんのお父さんは酒乱だったそうだ。酒を飲むと人格が変わる。怒鳴る、殴る。ある晩、自分と子どもの命に危険を感じたお母さんは、持っていた包丁でお父さんを刺してしまった。

寝ていたTさんがただならぬ気配に目を覚ますと、立ち尽くすお母さんと、倒れているお父さん。床は血の海だった。

正気を取り戻したお母さんが警察に連絡し、真夜中で引き取り手もいなかったためTさんも一緒に警察署に行くことになる。

幼いTさんは警察官に「お母さんは悪くない。お父さんが悪いんだ。僕を守るためにしてくれたんだ。だからお母さんを捕まえないで欲しい」と必死に訴えた。その願いは届くことなく、お母さんは勾留され、翌朝おばあちゃんがTさんを迎えに来た。

警察署から出ておばあちゃんに言われた言葉。

「これから私の生まれ故郷に引っ越して、そこで暮らすことになる。名前も変わる。誰かにお父さんお母さんのこときかれたら、両方病気で死んだといいなさい」

そんな子ども時代を過ごした後、刑期を終えたお母さんが帰ってきた。

帰ってきたのは彼が知っていたお母さんではなかった。夫を殺した後悔から、自分を責めて、死にたい死にたいというお母さん。実際に何度も失踪し、その先で自殺未遂を繰り返した。家族ではどうもしようがなかった。

精神病院に入院していた時期もあるというが、よくなったわけでもないらしく、現在は家で寝たきり。幻覚が見えたり幻聴が聞こえたりして、統合失調と鬱の薬を飲んでいるという。

「死にたい死にたいと。。。薬のせいか一日中ぼーっとしていてほとんど会話にならないし、どんどんできることも少なくなってきて。。。甘いものだけは喜ぶので食べさせてあげるのだけど、それでますます太ってしまって」とTさん。

Tさん「だいじゅさん。母にコーチングしてくれませんか」
僕「無理だと思うよ。コーチング受けられる状態じゃないでしょ」
Tさん「他に頼る人がいないんです」
僕「薬出してくれてるお医者さんは?」
Tさん「母は何年も前に精神科を嫌がって行かなくなり、内科のお医者さんが薬だけ出してくれてる状態で。。。」
僕「。。。はぁ。。。地元にちゃんと関わってくれそうな人いないの?」
Tさん「カウンセリングも受けてたんですけど、受けるとますます状態が悪くなると言って母が辞めてしまって」
僕「いずれにしても今僕が関わってできることはないと思うよ」
Tさん「そうかも知れないけど、他に頼る人がいなくて。。。だいじゅさん。一度家まで来て母の様子を見てくれませんか。ただ僕の実家に遊びに来た感じで、それで母の様子を見て、感じたことだけ教えてください。それだけでいいんで。今とにかくどうしていいかわからなくて」

Tさんと仲が良かったこともあり「できることがあればするけど、期待しないでね。お母さんと会った後で、必要ならTさんの相談に乗ることはできるから」と言った。それで九州に来たのだ。

そして彼の実家への車中での「だいじゅさん。今日はパワーオブコーチングを見せてくださいね」だった。。。ふざけるな。と思ったあとに考えた。

パワーオブコーチングって何だろう。実際に彼は何度か僕のコーチングを受けてくれたことがあって、そこに大きな可能性を感じてくれていた。僕も自分自身の体験から、コーチングには大きなパワーがあると信じていた。

けれど。。。コーチとして何かできることがあるのだろうか。。。この状態で。。。

空港から1時間ほど走り、彼の実家についた。山の中のような場所で、隣の家ともそれなりに距離がある。

彼の後について家の中に入り、居間に通された。介護用ベットが置いてあり、お母さんが寝ていた。

Tさんがベットの背もたれを起こしながら言う。

「お母さん、東京から先生が話をききにきてくれたよ」

このとき僕の中でスイッチが入った。一呼吸してから

「こんにちは!!東京からきました。Tさんの友達で宮越といいます!何かお母さんが色々と困ってらっしゃるとききまして、少しでもお力になれたらと思っています。お話きかせてもらえますか?」

意識してやったわけではないが、まるで明るい訪問介護のスタッフみたいな感じで話し始めた自分がいた。

お母さんは、黙っている。ゆっくりと顔をこちらに向けて、表情の乏しい顔で、こちらをぼーっと見ている。

少し声のトーンを落とし、感じの良さはキープしながら続けた。

僕「おやすみになっていたところすいません。Tくんから色々大変だときいていますけど、お母さんの口からも良かったら、どんな状態なのかきかせてもらえたら」

お母さん「あぁ。。。。。」

ゆっくりと話し始めてくれたけど、とにかく話すのが大変そう。それでもとにかく困っていることを少しずつ話し始めてくれた。

お母さん「きこえないかな。。。。死ね。。。。死ね。。。。って。。。」
僕「。。きこえるんですか?」
お母さん「。。。。あそこの。。。庭の。。。。石の後ろから。。。宇宙人みたいな。。。」
僕「。。死ねって?」
お母さん「そう。。。」
僕「。。僕には聞こえませんけど。。。。ずっとですか?」
お母さん「。。うん。。。ずっと」
僕「。。。そうですか。。。それは苦しいですね。。。」

幻聴とか幻覚とか言われていたものだろう。幻聴幻覚とか、統合失調を何とかするのは僕の仕事ではない。だから寄り添って話を聴くしかないが、最初にやりたいことがあった。

それは、困っていることをなるべく全部聴き出すこと。最初に話してくれたことが一番解決を必要としていることかわからないし、解決しやすいことかどうかもわからない。

困っていることで、解決可能なことを探して、まずはそこから変えることで、少しずつ変化の階段を登っていきたいのだ。

だから僕はきいた。

僕「お母さん。他にも困っていることを教えてもらえますか」

お母さんはゆっくりとだけど、少しずつ困っていることを教えてくれた。

・どんどん身体が動きにくくなり、やれることが減っていること
・年寄り(実母)に世話をしてもらっていて申し訳ないこと
・時に失禁をしてしまうことがあり、その世話をさせるのが辛いこと
・実母に「あんたといると気が滅入る」と言われること
・息子(Tさん)にも心配をかけてしまっていること
などなど

話すことになれてきたのか、徐々にテンポも良くなっていた

僕は話をききながら、お母さんの人柄に打たれていた。初対面の僕に対して、率直に話してくれている。自分も苦しいだろうに家族のことを想っている。何十年も苦しかっただろうに、何とかしたいという気持ちが伝わってきた。

僕「お母さん。たくさん話してくれましたけど、まだ他にも困っていることあったら、教えてください」

しばらくの沈黙の後

お母さん「母を買い物に行かせるのがつらい」
僕「どういうことですか?」
お母さん「家が不便な場所にあるから。母は一時間くらいかけて歩いて買い物にいっている。それをさせていることが辛い」

これを聴いたとき、僕の中にいるコーチが動いた

僕「そっか。。ねぇお母さん。。本当は、どうしたいですか?なんでも夢が叶うとしたら?」

それをきいたお母さんは目を瞑り、しばらく何かを考えているようだった。

そして

お母さん「。。。わたしはね。昔ね。営業だったのよ」

遠い目をしながら話し始めた姿は、それまでとは別人のようだった。少しだけだけど楽しそうな表情を纏って、お母さんは続ける

お母さん「車に乗ってね。九州中を走り回って。。。。楽しかった。。。きっと私に向いていたんだと思う。。。」

そうか。。。そういうことか。。。僕の心が熱くなり、静かに涙が溢れた。。。

お母さん「。。。。そう。。。だからね。。。もし、あのときみたいに、車に乗れたら。。。お母さんを乗せて、ジャスコに連れて行ってあげたい」

すごいものに触れた。ジャスコに連れて行ってあげたい。こんな想いが、この状態から出てくるのか!!!!

興奮のまま僕は言った

僕「行きましょう!」
お母さん「え?」
僕「どれだけ時間かかってもいいじゃないですか!可能性ありますよ!」
お母さん「。。。あり。。ますか?」
僕「あると思います。なにより素晴らしいじゃないですか。僕も手伝いますからやりましょうよ!」
お母さん「。。。。。。」

そして僕は2つ具体的な提案をした

僕「いまからリハビリの先生に電話をします。ベッドの上でもできる、失禁に効く運動があるはずなので。まずはそれから始めてみませんか?」

失禁が特に悩ましいのは、お母さんの話ぶりから察していたので、この提案には乗ってくれるのではという計算だった

お母さんは興味を示してくれたので、その場で知り合いの専門家に電話。必要な道具とやり方と教えてもらった。そして息子(Tさん)の協力のもと、一緒に取り組む約束を取り付けた。

そしてもう一つ

僕「お母さん。僕、この近くで信頼できる先生がいる病院探すの手伝いますから、一度病院行って欲しいんですけど。もしかしたら薬があってないかも知れないから」

これも息子と行ってみるという約束を取り付けて、気がつけば90分ほど時間が経っていたので、Tさんの実家をあとにした。

帰りの車中でTさんから「パワーオブコーチング。見せてもらいました。ありがとございました」と言われ、ホッとした。そして思った。

コーチングってすごい。

「本当はどうしたい?」と問いかけることのパワー。

そして「本当に望んでいること」に気づいたときに相手が見せてくれる変化。

あれだけ大変そうだったのに。。。あんなにシンプルな問いかけで、スイッチが入り変わっていく。。。人って本当にすごい!!!

その後、お母さんは、精神科を訪れ薬を見直してもらった。自宅での運動に手応えを感じたので、デイケアにも通い始めた。少しずつ身体が動くようになった。トイレはおろか2階まで上がれるくらいになり、家事も手伝ったり、Tさんの仕事の宛名書きなども手伝うまでに回復した!!

残念なことに、その後、急な脳出血で帰らぬ人となったが、日常の中で笑顔も増えていて、遺影に笑顔の写真が選べたことが何より嬉しいとTさんは言う。

「車の運転までは間に合わなかったけど、母はどんどん変わっていったし、やりたいことをやれるようになっていった。それをみて僕たち家族も変わっていきました。本当にありがとうございました」

そう言われたが、僕が関わったのはたった一回。しかも「困っていることは?」「他に困っていることは?」「ねぇ。本当はどうしたい?」ときいただけだ。

その後の全てはお母さんとご家族、そして関係する人たちでやったこと。

でも同時に僕たちコーチは無力じゃない。全身で話を聴く。真剣に問いかける。いっしょに考える。行動を勇気づける。

タイミングが合えば、それだけで素晴らしことが起こる。

すべての人は、その内側に素晴らしい力をもっているんだ。そして世の中にはたくさんのリソースがある。それらが噛み合ったときに人の人生は大きく変わっていく。

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ちなみに厚労省のサイトには以下のような説明があります。

「カウンセリングは、どうしたらよいのかのアドバイスを受けたり、答えを出してもらったりするためものではありません。自分自身の力で立直っていくきっかけをつくったり、気持ちや考え方を整理していくサポートを行ったりするのがカウンセリングなのです」

明日に続く。





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