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CBC⑬「危篤の母に息子としてできることは?」

「どうしても今日相談したいことがあるんです」

緊張の面持ちで彼は言った。

還暦が近いとは思えない若々しさ、元気で明るいバリバリのお医者さんです。

僕「どんな話でしょうか?」
彼「実は母が余命いくばくもない状態なんです。医者としてやれることがもうないのは仕方ないのですが、息子としても何もしてやれないのが辛くて」

息子として?どう言うことでしょう。やれることはなにか「ある」のではないか。

でもやれない。どんな事情なんだろう

僕「息子としてやれること?」
彼「はい。。。実は、数年前までは母と別に暮らしていましたが、父が亡くなり、病気の母との同居を始めました」


彼が話すには、同居し始めるとすぐに、いまさらの嫁姑問題が勃発したそうです(お母さんは80代)。お母さんは彼の奥さんに対して、家事の細かなことから、果ては使っている化粧品にまでダメ出しをします。奥さんは参ってしまいました。やめて欲しいと言っても「うちの嫁として相応しくない」と言い張るそうです。

なんとか一緒に暮らすことに慣れてもらいたい。新しい生活も楽しんでもらいたい。そう思って彼は努力を続けました。でもお母さんは変わりません。奥さんも疲弊し切っていました。

彼「僕は母に『理不尽なことばかり言わないで欲しい。ダメ出しばかりではどうしたら良いかわからない。こっちは母さんのために何でもしたいと思ってるのだから、何をして欲しいか教えて欲しい』と言いました」

僕「そうしたら?」
彼「母は『お前は何も分かっていない』と。。。そして。。。」

普段は明るい彼の声が詰まります。彼の心が強く動いています

彼「そして。。。『私は医者は育てたけれど、私には息子はいない』と。。。。」

俯いて、床を見つめる彼。その悲しみが僕の胸にも迫ります

彼「それだけのことですけど。。。でもその言葉で、私の中で何かが折れてしまって。。。」
僕「。。。。」
彼「それ以来、母に対しては、最低限の関わりしか出来てなくて」

そして、病気を理由に病院で暮らしてもらうことになったこと。もちろん毎日顔を出すけど、特になにもしてあげることがなかったこと。現在お母さんは危篤に近い状態であること。などが語られました。

彼「本当にこのまま何も出来ないで終わるのかと思うと辛いです」

僕にとってはこの言葉がスタートの号令にきこえました

僕「ねぇ先生。。。やりましょうよ。息子にしか出来ないこと。絶対ありますから!」

彼はゆっくり、そして力強く頷きました。

僕「では今から、あの日に戻りましょう」
彼「あの日?」
僕「息子はいない、と言われた日です。あの日の出来事のホントウの意味は何なのか。まずは一緒にそれを探しましょう」

タイムラインの少し過去のあたりを意識しながら、椅子を向かい合わせで2つ置きました。

僕「1つはお母さんの椅子。もう1つはあなたの椅子です」
彼「。。。。。はい」
僕「では、あなたの椅子に座って。。。あの日、あの時の出来事に戻ります。あの場所の風景。。。。その中にお母さんがいます。。。お母さんの表情をみて。。。息づかいを感じます。。。そう。。。。」

彼のモードが変わります。あの場面に臨場感が移り、彼の心身の状態が変化しています。。。僕はそれを感じながら、自分のエネルギーも、その雰囲気にチューニングしていきます

彼のエネルギーと共鳴するようなエネルギーで僕が関わる。そのことで、彼の内側にあるものを一気に開放したいのです

彼は苦悶の表情を浮かべています。

僕「私には息子はいない!!。。。。。。私には息子はいない!!!。。。。そう言っている、お母さんの声をきいて!!!。。。そして。。。なんでだよ!!!なんで分かってくれないんだよ!!!!。。。。いまあなたの内側で動いている気持ち。。。その気持ちをそのまま声に出します!!」
彼「なんでだよ!!!!××(奥様の名前)の気持ちをなんで分かってやれないんだよ!!!一緒になって、お袋のために何でもやってやりたい!!!そうやって頑張ってきたんだ!!!なんでだよ!!!わがままばかり言って!!!!何が不満なんだよ!!!!何が欲しいんだよ!!!!。。。。。。教えてくれよ!!!なんだって、してやれるのに。。。。。いまなら。。なんだって。。。」

彼の意識ではなく、無意識が、身体そのものが叫んでいました

フリッツ・パールズの質問に「あなたの身体が声を発するとしたら何て言いそう?」と言うものがありますが、この時の彼は、まさに身体が叫び声を発していました

彼の心は折れたのではない
彼が自らの心を折ったんだ

僕はそう思いました。このあまりにも強い、直接的なエネルギー。それを母に直接ぶつけないように、そのことでお互いが更に傷つかないように、この人は自らの心を折った。。。。

僕「。。。言えたかな。。。あの時、蓋をしてしまった思いを。。。。」
彼「。。。。はい。。。。母は苦労人で。。。だから、わがままも受け入れて、その上で母には何でもしてあげたかった。。。。でも、長い時間の中で、どうしたらよいかが、もう、わからなくなってしまって。。。」

さっきの怒りは、もうどこにもありませんでした。

そこにあるのは、ただただ大きな悲しみ

怒りは二次感情と言います。彼が閉じた心の下にあった怒りは二次感情で、その本体は悲しみだったのです。。。だから

僕「。。。悲しかった。。。」
彼「。。はい。。。」

彼は怒りを出さないために心を閉ざしたとも言えるし、これ以上の悲しみを避けるために心に蓋をしたとも言える。。。

僕「では、ゆっくり深呼吸して。。。。しっかりと立ち上がったら、今度は反対の椅子、お母さんの椅子に座ります。。。。」

彼の椅子でやれることはやったので、次はお母さんの椅子に座ってもらいました。そして


僕「お母さんの。。ご病気の身体の中に入ってみます。。。。お母さんの目から我が子を見ます。。。そして。。お母さんの声で。。。わ、た、し、に、は。。。もう。。。むすこは。。。いない。。。。。ねぇ、お母さん。。あの子の言っていることをきいてください。。。ねぇ。。お母さん、彼に何を分かってもらいたいの。。。」
彼(母)「。。。。。お前は何も分かってない。。。。私は何も欲しいものなんてない。。。私はただ、あの頃みたいに。。お父さんと3人。川の字で寝ていた。。。貧しかったけど。。。。幸せだった。。。あの頃みたいに。。。。ただ。。。(涙)」

慟哭。。。ボロボロと涙が溢れます。。。まるでお母さんの心が、涙のカタチになってこぼれ落ちているようでした

僕「おかあさん。。。ありがとう。。。そっか。。。お金で買えるようなものではなく。。。ただただ繋がっている。。。素朴だけど。。。暖かい。繋がり。。。深い。。。繋がり。。。」
彼(母)「。。。。。。。。」

静かな時間。。。。そして悲しみも消えて、穏やかで静かで、深い愛情。。。そんなものが空間を満たします

僕「お母さん!ありがとうございます。。。ではもう一度しっかりと、息を吸って!!!立ち上がってください。そして自分の椅子に座り直して」

彼は姿勢正しく自分の椅子に座ります

僕「これから飛行機に乗って地元に帰ったら、お母さんに会いに行きます。管をたくさん繋がれたお母さん。声をかけても反応しないお母さん。。。ねぇ、先生!それでも、あなたの声は、お母さんにきこえるんじゃないですか?お母さんに、、、何て言いたい??」

彼は、突然目の前の椅子の座面を優しく、優しくさすり始めました。。。そして

彼「おふくろ。。。ぜんぜんわかってなかった。。。。許してほしい。。。。おふくろが何を求めてたのか。。。。勘違いしてた。。。。おふくろ。。。。本当に今までありがとう。。。こうやってやれてるのは、おふくろと親父のおかげで。。。何も出来てなかった。。。。おふくろ。。。。本当にありがとう。。。。」

本当にそこにお母さんがいるかのように、その脚をさすりながら、心に響けと、その想いを伝え続ける彼。。。

彼が想いを伝え終わったタイミングで僕は言いました。

僕「では、またしっかり深呼吸して、再びお母さんの席に座ります。そして。。。。お母さん。。。息子さんがあなたの脚を優しくさすりながら、心を込めて伝える言葉を聴いてあげてください。。。。息子さんに。。何と伝えてあげたいですか?」
彼(母)「。。。。お前は、私の。。。誇りだよ」

暖かく、そして力の籠った声でした。そして彼は泣き崩れました。

少し間を置いてから、立ち上がってもらい、2人の椅子を眺めながら、彼に問いかけます

僕「ねぇ、先生。いつかは分からないけど、お母さんは亡くなりますね。。。それまでに、絶対にやりたいことって何ですか?」
彼「はい。今から帰ったら、すぐに病院に行って、今みたいに母の身体をさすりながら、声をかけます。明日も。明後日も。時間の許す限り、毎日」

別の機会に紹介しますが、相手が亡くなっているようなケースでも出来ることが「心理の世界」にはあります。

ましてや意識不明とは言え肉体があるなら、出来ることはいくつもあるのです。

諦めや無力感を超えて、今出来ることに心を込めること。そして、その行動によって相手に、自分自身に何が起きるか注意深く観察すること。

そのことが私たちに人生の意味を教えてくれます。

彼の気持ちはお母さんに届くかどうか分からない。届いたとしても確認のしようがないかも知れない。

でも

少なくとも、彼にとっては

自分は大好きな母の「誇りである」息子として、最期の時までやれることをやった。

そんな体験となるのです。そのことが彼の人生に与える影響。彼の周りの人々に与える影響は決して小さくないと思います。

足早に空港へと向かっていく彼の背中はなぜか少し眩しく見えました。

昨日の投稿の繰り返しになりますが、過去も他人も変わります。そしてそれによって、未来の世界も変わるのです。

しばらく経って、また彼と再会した時のこと。僕はどう声かけようかと思いました。時期的には、もう亡くなっている可能性が高いのではないか、と。

簡単な挨拶を済ませてから

僕「先日のお母様のこと。あれからどうなりました」
彼「だいじゅさん!きいてください。私は奇跡を体験しました!!」

彼の話はこうです。あれから毎日身体をさすりながら声をかけていた。そうするうちの主治医がお母さんの身体の変化に気づいたそうです。

彼「主治医の先生がECMOを回してみようかと言ってくれたんです」

ECMOはのちのコロナ騒動で有名になった人工心肺装置です。当時の僕はもちろんECMOなんて知りませんでした。

当初はお母さんの年齢的にも症状的にもECMOの適用外だったそうです。ところが、もう戻らなかったはずのお母さんの身体が、どんどん変化してくる様子を見て、主治医の先生は回復の可能性を感じて、ECMOを回す提案をしてくれたそうです。

彼「簡単に言うと、心臓と肺の代わりになる装置を外付けして、それに仕事をしてもらっている間に、肺を休めつつ回復を支援するのです」

そして

彼「驚くべきことに、それによって母は意識を取り戻しました。当初の状態からしたら、医学的な常識ではちょっと考えにくい話で。。。だから僕は奇跡を体験したと。。。」

なんとすごい話なのでしょう。もちろんどのようなメカニズムでそんな奇跡が起こったのか、僕には理解が及びません。。。

でも素晴らしいことがあります。お母さんは回復した。

その時に彼は『自分が母に何を伝えたいか分かっていた』のです。

もしあのとき彼がカウンセリングセッションを受けていなければ、

お母さんが回復しても、そのとき自分がどう関わったら良いか分かっていないままだった。その可能性が高いのです!!!!

お母さんが回復しようとしなかろうと、どうして行きたいかの明確な指針を彼は持っていた。

それを手伝えたこと。それが僕の誇りです。

この話にはさらに後日談があります。それから数ヶ月後。再び彼と東京で会った夏の日のことです

僕「あれからお母様は?」
彼「あ、母ですね!今日も僕が家を出る時、草むしりをしながら見送ってくれましたよ!」

そして、そのときに彼が見せてくれたお母さんの写真は、ふくよかで血色も良く、幸せなエネルギーに満ちていました

僕にとっても、改めてポジションチェンジの凄さを体感するセッションでした

続く





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