コーチングのゴールと『12の物語』⑥【CBC】

コーチングカウンセリングの落とし所集。12の物語。カウンセリング編の続きです。


12の物語(2)

⑧あの時なりによくやっていた。今は別のこともできる!

今日は僕がカウンセリングで一番よく使っているといっても過言ではないパターンの解説になります

ベストセラー『嫌われる勇気』の中に

当面の目標は①わたしはできる②人々は仲間である。と思えるようになること

との記述があります。

この感覚がベースにあれば、人々は勇気をもって未来を切り開いていける。そして人と協力しながらすばらしい世界をつくっていける。そういうのです。

僕はこのことをとても大切にしています。コーチングでは自己効力感が大切と言いますが、それは①の「わたしはできる」のことですね。

私はできる!と思っていない人は、夢も描かないし、そこに向かって行動もしません。だって「私はできない」のですから当然です。

なのでコーチはクライアントが「私はできる」と思えていない場合は、その人が動けるのに必要なだけ「私はできる」と感じてもらうための関わりをする必要があります。

例えば、過去の「できた体験」をたくさん思い出してもらってり、今「できること」をできるだけやってもらったりして、少しずつでも「私はできる!」と思ってもらえるようにしていくのです

そして

人々は仲間である!

も同様に大切です。

「人は信じられない」「仲間でない」「敵対する存在だ」。もしあなたが、そう思っているなら、「人を頼ろう」「助け合おう」「喜びあえる」そんなイメージがもつことは難しいですね。

それでは希望をもって建設的に生きづらいですし、仮に「私はできる!」と思えていたとしても、自分だけの夢を独力で実現し、一人で喜ぶしかないのです。

かんがえてみて欲しいのです。もしあなたが生まれた時からずっと

「自分を信じて応援してくれる人がいて、色々なことにチャレンジできたし、成長できた」という体験しかない人生だったら。。。。そして「自分らしく貢献することができた」「人のことも信じられたし応援できた」「その人も成長し自分らしく貢献できた」という体験だけをして生きてきたなら。。。さらには「失敗しても、受け入れてもらえ、そこから学べて、やり直し、望む結果に向かうことができた」思えるような体験をしていたら。

自然と「私はできる」「人々は仲間である」と思えるのではないでしょうか。

でもそんな風な体験ばかりできる人はレアケースで、ほとんどの人は自己不信に陥るようなできごとや、人間不信にならざるを得ないような出来事を多く体験するわけです。

そして

うまくできなかった。やりきれなかった。人に迷惑かけた。がっかりさせた。

そんな体験で傷ついたときに「自分はダメな人間だ」と言う思い込みをつくってしまうことがあるのです。

できるとおもって行動した自分を戒めるために、そして自分がもうこれ以上傷つくことがないように、「私はダメな人間だから、積極的に何かしない」と決めるのです。。。。

そのことに僕は異議を唱えたいのです

確かに人は弱く浅はかで、思い込みが激しく、おかしなことをする存在かもしれない。けれど基本的には善意の存在であるし、そのときなりに良かれと思って行動したり、最悪を避けようとして行動しているのが私たちではないのか?と

例えば僕はご主人を殺してしまった女性とセッションしたことがあります。彼女がしたことは決して褒められることではないでしょう。けれど自分やお子さんを守るために、パニックに近いそのときの状態でのやむを得ない行動だった側面もあるのです。

彼女は、その後、自分の罪に向き合い、ご家族にも一生懸命向き合おうとし続けました。その過程の中でも苦しさで何度も自殺未遂を繰り返し、措置入院となり、鬱になり、統合失調になり、それでも懸命にいきました。彼女は人生の最後まで、懸命にいきました。

彼女は自分を責めたし、彼女を責めた人もいました。

でも誤解を恐れずに言うなら、僕は誰も彼女を責めることはできないと思うのです。

わたしがもしあなたなら、あなたと同じことをしたでしょう

カウンセリングを学ぶなかで出会った言葉です。本当にそうだなと思うのです。

もし僕が、彼女だったら、僕もご主人を殺してしまいます。

僕は決してそうしない。なんてことはないのです。

僕が、彼女が生まれた年に、彼女の家に生まれ、彼女と同じように育って、彼女と同じようにご主人と出会い、家庭を持ち、彼女と寸分違わぬ体験をしていきたなら、僕は彼女と同じタイミングで、夫を刺し殺すのです。

彼女だって、そのような人生は望んでいなかったし、避けられるなら避けたかったと思います。でも彼女の人生においては、それは避け難い結末だった。

違う人生を生きた人が「私ならそうしない」と言っても、それは違う人生だからね、という話なのではないかな。そう思うのです。

※気分を害された方がいたらすいません。僕はもちろん殺人は肯定しません。自傷も他害も可能な限り防ぎたいと思って活動をしています

私がもしあなたなら、あなたと同じことをしたでしょう
私がもしあなたなら、あなたと同じことを言うでしょう
私がもしあなたなら、あなたと同じことを考えるでしょう
私がもしあなたなら、あなたと同じことを感じるでしょう

いつでもそう思って、相手のよこにいたいな。と思うのです。それがロジャーズの言う無条件の肯定的関心というものではないかな。と

そして、

でもわからないのです。僕は所詮他人だから相手のことはわからない。だからその人の世界で何が起こっているかを知りたいと思うのです。行動にいたるまでのメカニズムが知りたいとおもうのです。ロジャーズの言う共感的理解というものですね。

そしてそのときに、

その行動の奥にあった肯定的な目的に、クライアントと一緒に気付きたいのです。行動は浅はかだったり不注意だったり、未熟だったかもしれない。

でも、何かを避けるための、何かを守るための、そのときの自分なりの精一杯の行動であったのではないか。そのときなりの目的があったのではないか。そういった視点で検討してみてほしいのです。

私たちはそうやって健気に生きている存在なのではないか。

これはべつに過去の行為をごまかしたり、自分を甘やかしたりするための行為ではありません。

自分は基本的に善意の存在であるということに勇気を得て、今後は建設的な行動をとっていくこと。それを支援するためなのです。

人格を貶めず、行動を変えていくためなのです

過去の場面にもどって再解釈する

人生の意味についてのわれわれの認識の誤りは、誤った解釈がなされた状況を再考し、誤りを認め、意味づけを見直すことで修正される。

アルフレッド・アドラー

「夫を殺した私はダメな人間だ。死ぬべきである」

彼女がそう思っているとしましょう。そのことによって無気力になり、自分のためにできる行動や家族のためにできる行動を諦めている。もちろん、世の中の人々のためにできる行動を諦めているとしましょう。

もったいないことだと思います。上の引用文でいう「人生の意味についてのわれわれの認識の誤り」というのは例えばこのようなもったいない認知のことを指しているわけです。

そして「誤った解釈がなされた状況」というのは、ご主人を殺してしまったときの出来事や、その後の、ご家族が大変な体験をしたときの出来事を指します。

この例えば、殺してしまったときの出来事を「再考し、意味づけを変える」ことで、認知を修正して、今日から建設的な人生をいきよう、というのがアドラーの提案なのです。

だから、例えば彼女と一緒に、ご主人を刺してしまったそのときの出来事に戻ってみるわけです。

そのときの状況の中で、彼女自身が何を守ろうとしたのか、何を避けようとしたのか。そのことに気づき、手段は間違っていたとしても、自分の目的には建設的な部分があったと確認したいのです。

そしてさらに、いまの自分がそのときの自分と入れ替わったら、そのときとは違った対応ができるということを確認したいのです。

人は経験と内省により成長しています。そしてこれからも成長を続けることができます。

だから、過去の出来事をもって、「わるい人間」だとか「できない人間」だとか断じるのは合理的とは言えないのです。

今の彼女がそのときに戻ったら
・息子を抱えて外に走り出す
・大声で隣家の人に助けをもとめる
・夫が酒を飲みすぎる前にたしなめる
・あらかじめ実母にきてもらっておく
・夫のつらさや不安の話をきいてあげる
・しばらく子どもと実家にもどる

さまざま手段の中から、効果がありそうな手段を取ることができるのです。彼女がさまざまなアイディアを出すのを助けながら、

「そうだよね。あのときはお子さんを守るために、反射的にそうするしかなかったけど、今の自分はもうそれを繰り返すことはないものね。だから、このときの自分の行動を反省したり、もう繰り返さないと誓うことは良いと思うけど、『自分はダメな人間で生きていることに意味がない』とまで思わなくても良いのではないかな」

と問いかけ、そのことについて彼女に真剣にかんがえてみてもらうのです。

そしてそのことを通じて

⑧あの時なりによくやっていた。今は別のこともできる!

に近しい認知、例えば「あのときは仕方なかった。でも今の自分はそうでなく別のやり方をとれる」と彼女が納得することがあれば、彼女の人生は、そこから変わっていくと思うのです。

マニュアルのない人生

わたしたちは誰も人生のマニュアルを貰わずに人生を生きてきました。たくさん教えてくれる親、助けてくれる大人に育てられた人でも、すべての出来事に関するマニュアルはもらわなかったはずだし、教えてもらったことの中に正しくなかったこともあったはずです。

だから少なからず、困惑したり混乱したりしながら、自分なりに人生を切り開いてきたのだと思います。

そんな中で、なんどかおかしな行動をとってしまったからといって、そのことで自分の人格を否定してしまうのは、厳しすぎる行為だと思います。

自分の内側にあった肯定的な目的に目をむけ、私たちは大切な目的にむかって、より建設的な行動をとることができる存在であることに気づいて欲しいのです。

そうして、自分を勇気づけ、自分のために、人のために、役に立つ行動をとっていって欲しい。

そうすることによって、すべての人が自分の人生を肯定でき、素晴らしいものにしていくことができるのではないか。

そんな思いをもって「私はダメだ」「私はできない」という人たちに出会った時には、こんなコーチングカウンセリングをしています

つづく

僕たちと人生を変えるコーチングカウンセリングを自分のものにしたい方は



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