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CBC⑪「出版できない自分とインナーチャイルド」

前回投稿の出来事から10年経った頃。僕の人生は大きく変わっていましたが、相変わらず難しかったことがあります。

それが出版です。

なんども出版チャンスがあったし、書いてみたいという気持ちもあったのに、全然すすまなかった(すすめなかった)のです。

もともと書くことに苦手意識がありました。だから書籍化を期待してくれている人の期待には、応えられないだろうと思っていました。
また人に批判されるのが苦手で、何か言われたら落ち込むだろうし、それは嫌だな、とも思っていました。

でも、流石に何年も、出版を現実にできない。何かを変えないとこのままだな、と思って、この件でコーチングを受けることにしました。

僕がお願いしたコーチは、コーチングを始めてまだ半年くらいの新人コーチでした。

自分的には難しい問題だったので凄腕ベテランコーチに受けようかとも思いましたが、なぜかフレッシュなコーチに相談したくなり話してみたのです。

僕「2020年でプロコーチ養成スクールをスタートしてから10年になります。そこまでには本を出したいのだけど、書こうと思っても動けなくて、固まってしまう。今日はそのことを話したい」
コーチ「だいじゅさん。もし書けるなら、どんな本を出したいですか?」
僕「コーチ歴15年の集大成。スクールやって10年の集大成。全国のコーチが『コーチがやりたいことはこれだよね』と言ってくれる本。。。。あとは、コーチングに興味ある人が『これやりたい!やれそう!』って言ってくれる本」
コーチ「いいですね!!私も読みたいです!!!だいじゅさん。それを書きたい!って思うけど、動けない。。。だいじゅさんの中で何が起きてるんでしょうか。。。」
僕「。。。。。うーん。自信がない。。。。怖い。。。。こんなもんかと言われそう。。。。ここまで引っ張ったんだから、良いものにしないと。。。みんなすごい本を期待しているだろうな。。。。。僕自身もいろんな本からものすごい影響を受けたのだから、自分の本もそうなったら。。。でも出来るのだろうか。。。」
コーチ「。。。。。あとは」
僕「こんなもんかと言われるのが怖い。。。。人に言われるというより、自分にがっかりしたくないのかな。。。。」
コーチ「自分にがっかりしたくない。。。。どういうことなんだろう。。。。」
僕「。。。。。あ、なんだか悲しい気持ちになってきた。。。。なんだろう。。。」
コーチ「だいじゅさん。いま、どんなこと思い出してますか?」

コーチはシンプルで無駄のない関わりをしてくれました。本当にこのコーチに頼んでよかった。

じつはコーチング、カウンセリングでは、ラーニングも大切だけど、アンラーニングも大切なんです。ずばり言うと、今まで無意識でやってきた余計なことをしないようになることが大切なのです。余計な質問や、コメントをしない。非言語の振る舞いもそうです。クライアントの集中をそいだり、邪魔になることをやめていくことが大切なのです。

その点、本当に無駄なく、集中させてくれ、引き出してくれるコーチでした。そうであれば、シンプルな構造や簡単なスキルでも大きな効果が出せるのです。

それにしても「いまどんなこと思い出してますか?」という質問には驚きました。僕はまさに、過去の出来事を思い出していたところで、それに気づいて言葉をかけてくれたことから、このセッションは大きく動き出します。こういうことができると言うことは、共感(相手に起こっていることを相手の体で感じようとすること)が高いレベルでできていることを示しています。

続きです。

僕「。。。。いや。。。。なんだか分からないけど、保育園の頃の自分の思い出が出てきてて。。。」
コーチ「どんな思い出ですか?」
僕「思い出というか、断片的な記憶ですけど、保育園で一人でお迎えをまっているイメージです」
コーチ「一人で待ってる?」
僕「はい。お迎えが一番最後になって、広い部屋の片隅で一人で遊んでいるような。。。」
コーチ「そうなんですね。。。。いまどんな気持ちですか」
僕「その子を見てたら可哀想な感じ。。。。でもしようがないとか諦めみたいな感じもあります」
コーチ「。。。。だいじゅさん。もしよかったら、その子のところに行ってあげませんか?」
僕「え?」
コーチ「その子に会いにいってみて欲しいんですけど」

つくづく面白いコーチ。そして素晴らしいコーチでした。こういうときに出てくるイメージや身体の反応って、無意識の訴えなんですよね。

だからこのケースだと「出版したくない」ということと関連して、無意識(まだ言語化されていない内面)が何かを伝えるために、保育園時代の自分のイメージを出してきてると考えてみるわけです。

それが何なのか、理解したくて「会いに行こう!」と言っているなら、初心者なのに、すごいコーチだと思います。(たんなる思いつきだったかも知れませんけど)

僕「はい。どうしたらいいですか?」
コーチ「子どもの自分はどの辺にいるイメージですか?」

僕は部屋の少し離れた場所を指さしました。

コーチ「では、そこにいる、その子の近くに行ってみてください」
僕「はい。。。(と言ってそこに移動)」
コーチ「近くで、よーく小さいだいじゅさんを見てみて」
僕「。。。。。」
コーチ「かがんでみたほうがよければ、かがんでみて」
僕「(かがむ)」
コーチ「。。。。。だいじゅさん。その子になんて声かけたいですか」
僕「。。。。。何してるの?」
コーチ「何してるの?。。。。そう声かけたら、その子はなんて言いそうですか?」

この迷いのなさはすごい。コーチは一直線に「内面に向き合う体験をさせる」ことを推進しています。

どんなことでもいいのです。思考ではなく、体験をさせること。そのことが本質的な気づきや変化に近づけてくれるのです。

僕「うーん。『遊んでるの』。。。。かな」
コーチ「どんな感じで言ってますか?」
僕「こっちに目を向けず、おもちゃの方を見ながら、小さな声で言ってる感じです」
コーチ「じゃあそんな風にその子が言ってるのを感じて。。。。だいじゅさん。その子に対して、次にどうしたいですか?」
僕「。。。ただ横にいて、いいね!って言ったり、一緒に遊べそうことがあればやってみるとか。。。。かなぁ」
コーチ「では、時間をとりますから、イメージの世界で、本当にそれをやってみてください。小さいだいじゅくんを感じながら」
僕「。。。。。。。。。。。。。。。。。」
コーチ「十分やれたら、教えてください」
僕「。。。。。。。。。。はい。やれました」
コーチ「。。。では、だいじゅさん。いま、その子になんて言いたいですか」
僕「。。。。ねぇ。本当は何したいの?ってききたい」
コーチ「そうなんですね!ぜひ、きいてあげてください!」
僕「ねぇ。本当は何したいの?」
コーチ「その子はなんて答えてくれますか?」
僕(子ども)「。。。。。。おかあさんが来たら、一緒に遊びたい」
コーチ「おかあさんが来たら、一緒に遊びたい。。。。。」
僕(子ども)「保育園にあるおもちゃ全部使って一緒に遊びたい」
コーチ「そっか。。。。だいじゅさん!どうしてあげたいですか?」

僕の中で様々な思考が走りました。

遊ばせてあげたいって思いもありましたが、この時間からそんなの無理でしょ。保育園の先生にとっても迷惑だし、母もそんなこと言われても困るんじゃないの?とか、そんなに欲張らなくてもいいじゃん、なんでそこまでしたいんだよ、とか。。。。

でも、思いました。必死で仕事をして、ギリギリの時間に駆け込むようにお迎えに来てくれる母。そして一生懸命ご飯の用意して、お風呂にいれて寝かせて。。。。でも寝る前に絵本の一冊でも読もうとしてくれた母。

幼心にそれをわかっていたからこそ、わがままを言わないでおこう、と考えていた自分。

でも、やっぱり大好きなお母さんに、もっと遊んでもらいたいと思っていた自分。

せめて、イメージの中でくらい、小さな自分を存分に遊ばせてあげたい。やりたいことをやらせてあげたい。そう思いました。だから

僕「この子と一緒に、先生のところに行きます。そして『おかあさんきたら、一緒に遊んでもいいですか?』と言わせてあげたい。先生が難色示したら僕が『ほんのちょっとでいいんです。この子の人生にとって本当に大切なことなんで』と頭を下げてお願いしたい。。。。」
コーチ「だいじゅさん!!!そうしてあげてください。。。。じゃあイメージして。一緒に先生のところにいってお願いしてください。先生に気持ちが通じるまで」

僕は、幼い自分と先生のところに行って、お願いしました。イメージの世界では、先生は意図を理解して受け入れてくれました。それをコーチに報告すると、コーチは言いました

コーチ「よかったですね。ではおかあさんが帰ってきますよ。今度はどうしてあげたいですか」
僕「本人からお母さんに『一緒に遊びたい』と言ってもらいます。もし通じなければ僕も手助けしますが。。。」

本人に直接言ってもらいたい。そのことに迷いはありませんでした。アドラー心理学をやってきた身としては、幼いとはいえ、自分のことであるので、自分でできる範囲で意思表示をすることが良いと信じているからです。

とはいえ、忙しい中で帰ってきた母、そして他人への迷惑を嫌う母が、どのように反応するのかには不安を感じてもいました。

でも、子どもの自分に言わせてあげたい。押さえていた気持ちを表現させてあげたい。そしてそれを全力でサポートしたい。そう思いました。

コーチは言いました。

コーチ「だいじゅさん!やらせてあげましょうよ!!!」
僕「はい」

そっと小さい自分の背中を押してあげると、母の前にすすんだその子は言いました

僕(子ども)「おかあさん。このおもちゃで一緒に遊びたい。先生はいいよって言ってくれた」

僕は「どうなるのだろう」とドキドキしていました。

イメージの中で、母は幼い僕に即答しました。

「そっか!遊ぼう!!どうやって遊ぼうか?」

僕は泣きました。子どもの頃の自分は楽しそうに遊んでいました。母も楽しそうでした。

僕は自分が愛されていたことを知りました。

子どもの自分は自由奔放でした。このとき僕の中で何かが変わりました。

コーチも泣いていました。永遠にその時が続いたような、一瞬の出来事だったような、不思議な時間でした。

コーチ「だいじゅさん。だいじゅさんの中で固まっていたものは、どうなりましたか」
僕「。。。。動いてる。。。動き始めた感じです」
コーチ「だいじゅさん。未来に行ってみませんか?だいじゅさんが、ありのままに生きている未来はどっちの方向にありそうですか?」

僕はベランダの方を指さしました。

コーチ「せっかくだから、外に出てみませんか?外にでてイメージしてみましょうよ」
僕「。。。。はい」

コーチと一緒にベランダに出ました。爽やかな風。真っ青な空。東京湾の先にお台場が見えます。フジテレビの丸い展望室が光っています。空には飛行機が飛んでいます。海には船を浮かんでいます。気持ちが一気に広がりました。

コーチ「だいじゅさん。教えてください。だいじゅさんが、その人生の中で、見たい世界ってどんな世界ですか?だいじゅさんが見たい世界を教えてください」

その時、僕は見ました。世界中のあらゆる場所で、子どもたちが、いっぱいの勇気をもって、楽しく、やりたいことをやっている姿。その生命力。その創造力。そしてそれを支える大人たちの知恵と勇気。

僕「全ての子どもたちが、人生に何があっても乗り越えていけるだけの勇気を得ている。10歳までの間に、全ての子どもが『自分は何があっても大丈夫だ』と思えるだけの勇気をチャージできている。そして大人たちには、それを支える知恵と勇気を持っている」

言いながら本当にそうだな。と思いました。「きっとできるよ!やってみよう」「あ!できた!!」「すごい!」「すごい!」そんな人々の声をイメージしながら、

僕がコーチングをやってきたのはそのためだな、と思いました。そのときコーチがいいました。

コーチ「だいじゅさん。後ろを振り向いて、部屋の中のあの辺に、昔の自分がいます。本を書けないと言っている自分です。この自分は、あそこの自分になんていってあげたいですか?」

僕(未来の自分)「。。。。。書けるよ。ただそれは、君が書かなきゃと思っている教科書みたいな本ではないよ。君が書く本は叫んでいる本だ。『こういう世界ってすばらしくない?僕たちはそんな世界を作れる。僕はそう思っているんだ!だから一緒にやろうよ!』って叫んでいる。そんな本だよ。読んだ人の心に訴えかける本だよ。それを書いて欲しい」

ああ、本当にそうだな。と思いました。それが自分だな。何年先生をやっていようが、周りからどんな期待をされていようが、これが自分だよな。と。

まだどこかで思っていたのです。両親の期待に答えられなかった自分。またがっかりさせるかもしれない自分。そんな自分に向き合うのが嫌だった。だから書きたくなかった。

本を読むことの素晴らしさを教えてくれたのは、父と母でした。だからこそ、彼らに「すごい」と言ってもらえるような本を書きたかった。でも自分で勝手にハードルをあげて難しいものにしていた。

自分が書く本は優等生になって欲しかった。かつて僕がなれなかった優等生に、せめて自分の本にはなって欲しかった。そしてそれを無理だと思っていた。

でも僕は、自分らしく世の中の役に立つ自分は、優等生な僕ではなくて、信じたことを叫び続け、目の前の人に問いかけ続ける僕だった。

そのことが腹に落ちたのです。

セッションが終わり、コーチに言いました。

僕「実家に行って、母に伝えます。本を書くと。どんな本を書きたいのか話します。それさえしたら僕は書き切るはずだから」

すぐに連絡をとって、実家に戻り、母にそれを伝えました。

母は「いいじゃない。そんなチャンスがあるなら書きなさいよ!!」

拍子抜けするくらいあっさりと母はいいました。

イメージの中で「そっか!遊ぼう!!」と即答してくれた母と同じでした。

僕はそれまで長い間、母に対して「できてるところよりも出来てないことを指摘する人」「世間体を大切にして無理そうなことをやめさせる人」みたいなイメージを持っていました。だから出版のことも、否定されたり、変なことを書かないように釘をさされたりするのではと思っていたのです。

でもそれは杞憂でした。

この体験を経て、僕は自分でもびっくりするくらい、あっさりと原稿を書き切ってしまったのです。

何年もかけなかった本。書き始めてみたらたった1週間で初稿が完成しました。そうして出来上がった本が『人生を変える!コーチング脳のつくり方』です。

コーチがするカウンセリング⑩で書いたように、YouTubeを始めた時は目的論で考えるセルフコーチングで、動き出せたのです。

でも「本」ということになると、僕の奥底にあった「きちんとしたものを出さねばいけない」「そうでないと(親に)評価されない」「親の期待を裏切ってはいけない」などの思い込みが発動し、動けなくなっていたのでした。

新人コーチがその直感を信じて、思い切りよくしてくれたセッションは僕に勇気をくれました。子どもの僕も思い切って先生と母にぶつかることで「思ったように生きていいんだ」ということを体感できました。

私たちは体験を通して学びます。私たちがガラッと変化するのは、私たちをそうさせてくれる体験によってなのです。

アドラーはいいます

「人生の意味についてのわれわれの認識の誤りは、誤った解釈がなされた状況を再考し、誤りを認め、意味づけを見直すことで修正される(『人生の意味の心理学』)」

コーチは僕を過去の状況(出来事)に戻してくれて、認識の謝りを見直すことができるような体験をさせてくれたのです。

Tちゃん!ありがとう!!あなたにコーチングを教えたことは僕の誇りです。あの日、直感を信じて、あなたに相談してよかった。

続く

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