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価値とは何か

大学時代の大親友が価値について書いていたので、価値について書く。

マーケティングの本らしい

ファンベースとは、ファンを大切にし、ファンをベースにして(ベースには、土台、支持母体などの意味がある)、中長期的に売上や価値を上げていく考え方だ。
ファンとは「企業やブランド、商品が大切にしている『価値』を支持している人」

ありがたいことに僕を事例に出してくれている

彼の考え方は、非常にロックな部分があって、人によって好き嫌いは分かれるかもしれない。だがそれはつまり、その「価値観」を強く支持する人が一定数いるということを意味する。そんな彼が今日クラウドファンディングを始めた。

その存在にあたるかどうかは自分ではよくわからないが。

僕が価値を感じたもの

僕が「価値」を定義しようとしたけど、あまりうまくできなかったので価値を帰納的に考えてみる。この一年間で僕が価値を感じたものをまとめてみる。


①VR(HTC Vive): 90000円 + PC代11万円

僕は去年の10月に、HTC Viveを買った。VRのヘッドマウントディスプレイだ。その当時、まだVtuberなんてものはあまりはやってなかったし、Oculus Goもない。こんな機械何に使えるんだという感じ。

だけど、VR彼女を試した瞬間に、直感にVRが目指している社会が見えた。SkypeではできなかったSocialな社会が出来上がりそうなことや、もっとわくわくする未来が技術的にできそうだと。

そしてそのときには実現できていなかったとしても、「たぶんできるっしょ」と実感させられるもの、それがVRだった。

②クラウドファンディング奨学金:3万円

僕は、みずしらない高校生に、何もリターンを期待せずに3万円払った。その辺のいきさつの説明は面倒くさいので、過去のnoteを読んでほしい。

彼は文化祭の資本金をクラウドファンディングで調達すること以外、真新しいことは実はしていない。だけど、僕は騙されてもいいから、好きなことにお金を使ってほしいと思って、3万円寄付した。

再考:価値とは何か

まあサンプルが少ないけど、僕が価値を感じたものとしてはそんなものだ。そして、これらから価値とは何か考えてみた。

結局、リターンがなくても「これってイケてるんじゃね?」と信じさせてくれるものに、僕は価値を感じているのだと思う。ぶっちゃけ高校生は僕の支援金をOculus Goに使ったらしいけど、何も困ることはないし、むしろ好きなものに使ってくれと信頼している。

技術だってそう。ほとんどの人は、たった今現在そのデバイスができることを考えてお金を払うけど、僕はそのデバイスが将来僕らにどんな夢を見せてくれるのか、そういった信頼をもとにものを買う。VRもそうだしこれから買うARもそう。別に現時点で何もできなくても構わない。欲しいのは、僕らが投資する理由だ。価値を感じられる理由。


よく考えたらほとんどの商売、実際にものを買ってから価値を調べているというより、価値を認識してから使っている。つまり、僕らがやることは、価値を使う前に認識してもらうことなのかもしれない。

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