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心の余裕とはって話。

正確に時を刻むより心安らぐ自分のリズムで生きていたいなぁと。

工業化が進むにつれて、生産ラインの拡張や調達ルートの重層化、生産性の向上の必要などに迫られて、「時刻通りに何かする」ということが求められるようになった。

時刻が正確であること。一秒一秒を刻む間隔の精度をギリギリまで高めることによって、人々の行動を規制する。それは、生産規模を拡大し、資本主義経済がのびやかに成長していくための基礎になる。

同時に、人間から自然を奪う。

自然の時刻は気まぐれだ。心臓の鼓動は気分で変化するし、日の入り日の出は季節によって早くなったり遅くなったりする。どんな動物も正確に一定のペースで動くことはできないし、その必要もない。

時刻を正確に刻まなければ!なんて考えるのは人間だけ。もうそれが当たり前すぎて、考えてすらいないだろう。時刻は正確なものだ。正確なリズムに合わせられないのは、時刻ではなく自分のほうが悪いのだ。

そうやって、正確に時を刻むことで、心が自然にたゆたうリズムは崩れていく。

心の余裕とは、時計を外すところから来るのかもね。

なんてね。

んじゃね!

尾崎豊『誰かのクラクション』
正確に時を刻むものがあるとするならば
心安らぐ君のリズムは
かみ合いはしない


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