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「地域活性化」について考える(後編)

中編では、「変態」を育てる場としてコミュニティの存在について指摘した。変態(自分が人とかかわったり自主的な活動を通じて自分も地域も良くしたいと積極的に考える人)という性格に自分で気づいていない”潜在的変態”が、すでにそれと自分でわかっている顕在的変態に出会う場がコミュニティであるならば、コミュニティこそ変態を作りだすひとつの重要な要素になる。

この後編では、そうしたコミュニティは地域活性化にどういう貢献ができるかということについて考えてみたい。

経済成長とコミュニティの崩壊

100万年以上も前から・・・(中略)・・・家族やコミュニティは、あらゆる人間社会の基本構成要素であった。ところが、産業革命は、わずか2世紀余りの間に、この基本構成要素をばらばらに分解してのけた。そして、伝統的に家族やコミュニティが果たしてきた役割の大部分は、国家と市場の手に移った。

これは、ユヴァル・ノア・ハラリが世界的ベストセラーとなっている著書『サピエンス全史』の中で言っていることだ(下巻第18章)。動物としての人間は、100万年以上もの間基本的にコミュニティの中で生き残ってきた。個人主義という考え方やライフスタイルが出てきたのは人類史の中でごくごく最近のことに過ぎない(文明というものが作られたのも、せいぜい5000年ほど前で、人類史全体で見れば「昨日のこと」とすら言える。ジャレド・ダイアモンド『昨日までの世界』参照)。

でも、このコミュニティの破壊は、経済成長と裏腹の関係でもあった。1950年代からの高度経済成長は、人口の約半数は農村で暮らすというそれまでの日本社会の姿を根本から変えてしまったが、それと同時に日本人を経済的に豊かにした。コミュニティが破壊されても、経済的恩恵はそれを上回るリターンを人々に与えた。むしろそうでなければここまでの大転換は起こらなかったに違いない。こうして、高度成長期からバブル経済へと進むにつれて、経済成長の裏でコミュニティは破壊されていった。

経済成長は終わり、コミュニティは復活しなかった

1990年代前半、バブルははじけて日本経済は長期停滞の段階に入る。

上のグラフは、総務省が発表している消費水準指数(2010年の水準を100とた値)だが、1991年まで右肩上がりだった消費は、バブルの崩壊後継続的に下がり続けている。旭川市の中心市街地も全盛期の活気は見る影もなく、旭川駅に降り立った旅行客を迎える玄関的位置にある百貨店とホテルのビルは、すでに営業していない(その手前、駅と直結しているイオンは元気に営業中である)。

その一方で、よく知られているように、1998年以降年間の自殺者数は3万人を超える年が続くようになった(2013年以降は2万人台になっている。厚生労働省発表の速報値では2017年は21,140人)。その動機の大半は健康問題だが、経済生活問題が動機の自殺は全体の1/3ほどにもなる。また、人のつながりが途絶してしまい孤独死を迎える人々(老人だけではない)が増える「無縁社会」と呼ばれる現象が報告されて久しい。旭川市の広報誌でも、2011年には孤独死に関する特集が組まれている。(http://www1.city.asahikawa.hokkaido.jp/koho/h23_09/html/tokusyu.htm

コミュニティと地域活性化

経済的に不振が続いていると感じられる地方都市では、「前編」で述べたように常時なにがしか「地域活性化」の声が聞かれる。それは、こうした社会状況を何とか打破したいという思いからだろう。さて、コミュニティは地域活性化にどういう貢献ができるのだろうか?

正直なところ、僕にもまだはっきりとした結論は無いし、一般的な理論化ができるほど事例や知識があるわけではない。もともとこういうジャンルの研究者ではないし、興味もなかった。状況に対応しようと行動する間にいろいろと活動するようになったに過ぎない。

とは言えひとまず問題点をざっくり整理してみると、地域が抱える課題は経済的課題と社会的課題という大きな2つのカテゴリーに分類できると思う。もちろん、これらは互いに複雑に関係しあっていて、簡単に切り分けることもどちらかだけを解決出来るという類のものでもない。

そして、コミュニティが重要とは言うものの、もちろん経済成長の過程で崩壊したコミュニティをそのまま再生しようなんていう話でもない。それは不可能だ。以前に存在したコミュニティは地縁や血縁で結ばれた人間関係であって前編で言うところの「である」コミュニティだ。

これも前編で述べたことだが、地域活性化が「である」ことではなく「する」ことだとすれば、コミュニティもやはり「する」ものでなければならない。

経済的課題に対してコミュニティができること

無縁社会など、人の繋がりが切れてしまったことに対してコミュニティが一定の役割を果たしうることは理解しやすいが、経済成長、とくに所得・消費の減少や雇用確保(若者が地域から流出する大きな要因の一つが地域に雇用が不足していることである)などの経済的課題についてコミュニティはどのような解決策を与えるのか?

よく言われることだが、現代は真にイノヴェーションの時代である。創造性やアイデアが必要で、それは沈思黙考することや学校・職場などの同質的な人々が集まる場よりも、異質な人々、多様なバックボーンの人たちが集まるところの方が生まれやすい。意図を持った仲間という意味で、それはやはりコミュニティであり、「知識はコミュニティにある」という中編で紹介した『知ってるつもり』の言葉にある通り、コミュニティから生まれるアイデアは大いにありうると思うのだ。

実際、筆者が運営するコミュニティスペース“常磐ラボ”に集まる人たちの間でも、少しそういうビジネスアイデアの卵が出てきている。筆者一人では具体的な形にまでイメージができないが、得意分野が異なるいろんな人が関わることで相乗効果が生まれ、実現性が高まる。実際に実行に移すかどうかはともかく、コミュニティからかなり現実的なアイデアが生まれうるというのは非常に興味深いし、あまり適切な表現ではないかもしれないが、「今の経済の形に合っている」と思う。

課題とコミュニティの形の対応

地域社会が抱える課題を大きく経済的課題と社会的課題に分けてみたが、その内容も解決のためのアプローチの仕方も違う。また経済的課題の解決になるコミュニティ(コミュニティEと呼ぶ)と社会的課題の解決になるコミュニティ(コミュニティS)は違ったものになるのだろう。

そしておそらく、地域社会でより重要なのは、コミュニティEとコミュニティSが生まれる共通の土壌が必要だということだ。

東京などの大都市圏では、多くの人材が集まり、多くの取り組みが行われ、なにより多くの情報がある。でも、地方都市にはそのようなリソースは少ないし、地域の規模が小さくなるにつれてますますそれは少なくなるだろう。

だからこそ、「中編」で述べたようなコミュニティの「教育機能」が重要になる。自分では気づいてないが、そこに巻き込まれることで何かに目覚め動く人(つまり変態)になっちゃうことがよくある、というアレだ。

何か核になる熱量の高いコミュニティがあり、そこからコミュニティEやコミュニティSが派生してくるような。おそらく、コミュニティEとSが独立に発生してくるような場合もあるだろうけれど、その場合にはきっとコミュニティEとSは交わらない。目指す方向性が全く異なるからだ。でも、共通の土壌から発生したコミュニティなら、緩い関係を維持したままお互いの問題解決に向かうことができる(かもしれない)。そうなったら、経済的課題と社会的課題を「地域課題」として包括的に解決しようという気運が生まれる可能性がある。

僕が思うコミュニティによる地域活性化というのは、こういう空気が市民に共有されて、「する」コミュニティが動きを作り、地域活性化を「する」ものとして達成していくイメージだ。

すごく遠回りですごく時間がかかるように思うが、地域課題自体も昨日今日発生したものではなく長い時間をかけて生まれた状況だ。その解決には当然長い時間と戦略と意志がいる。

今の自分に何ができるか正直まだよく分からないが、そんなことをここ最近ずっと考え行動している。

(了)


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