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整理整頓ができない、本当に、できない

研究、の真似事みたいなことをやらせてもらっているのだが、いろんなデータの入ったファイルを使う必要がある。
現代で多少知的なことをやろうと思うと当然必要になる工程である。

しかしまあこれが本当につらくて、どうすればいいのか途方に暮れてしまう。
新たなデータを得たらとりあえずそれを作業フォルダに突っ込んで寝かしてしまう。
本当はデータを得た段階でそのファイルには何が記述されていて何に使うのかを分類して、後からでも分かるようにどこかに書き留めておかなくてはならない。
整理しよう、という気が起こるのはもう何が何だか分からなくなった数ヶ月後のことであり、その時にはもう何が何だか分からなくなっているので、何が何だか分からないのだ。
それが、今である。

バリバリの研究者(イメージ)やスーパービジネスマン(イメージ)が扱うような膨大なファイルというわけではなく、あくまで一学部生が限定された領域の研究で用いるだけなので、大した量のデータではない。
それでも、もう嫌になってしまうほどには滅茶苦茶な保存がなされている。

なんとか先生や先輩とのメッセージのやりとりを逐一遡ってそれぞれのファイルがなんだったのかを確認しながら、整理している。
それで分かればまだいいのだが、自分で分析したファイルなどは適当な名前で適当な場所に保存されている上になんの作業記録もないために、一体何のための何のファイルなのかさっぱりわからないものも多くある。
本当に嫌になってしまう。
やらなくてはいけないとは思うのだが、やらなくてはいけないと思うと、給食のグリンピースを無理やり食べさせられている時のような、脳みその奥から目をショボショボさせる物質が出てくるような、そんな気持ちになる。

これはパソコンのファイル整理、というような限定された話ではなくて、そもそもの生き様が現れていると言っても差し支えないだろう。
現実の物質においても、コンピュータの中の仮想的な空間においても、自分の頭の中でさえも、片付ける、整理整頓する、ということがまるでできない。

子どもを育てるには細々としたアイテムを整理・分類して、生活の中でスムーズに利用できるように配置しなくてはいけない。
粉ミルクのストックはどこに保存してどこでミルクを作るのか、どこでオムツを変えてオムツ用ゴミ箱はどこに置くのか、洋服の保管場所と洗濯の導線はどうするのか、人間には到底設計できないレベルの複雑な生活がそこにはある。
これに関しては完全に諦め、妻という生活管理者に全ての設計を一任した。
ビジネス風に言えば、育児におけるロジ、ロジスティックスである。

ロジスティックス〖logistics〗
①戦場の後方で行う、物資の調達や補給。兵站。
②原材料の調達から生産・在庫・販売に至る物の流通。また、その流れを合理的に組み立て統制する管理活動。
※大辞林 第三版 より引用

とはいえ、このロジが一度出来上がってしまえばそれに従って作業することはできる。
決まった場所からオムツをとり、交換し、決まった場所に捨てる。
その程度の知能は僕だって持ち合わせているのだ。
そういうわけで、結婚という誰が考えたのか分からない仕組みによって、なんとか人並みの生活ができている。

プライドのために言わせて貰えば、決して何もかもができないわけじゃない、と思う。
得意なことだってそれなりにある、と思うし、人より優れている部分もなくはない、と思う。
ある程度整理された状況下においては、まともなパフォーマンスを出すこともできる、と思う。
誰か、俺の何もかもを整頓してくれ。
分類し、並べ、キャプションをつけてくれ。

そもそもパソコンのファイル整理や生活の物品整頓ができないという具体的な事象の根底には、手前の脳みそが秩序だっていないという原因があるような気がする。

ノートをきれいにまとめるぞ、というようなことは学生時代に何度も決意したものの一度たりとも完遂できたことはないし、いつだって頭の中は混沌とした考えで一杯になっている。
僕にとって何かを理解するということは曖昧なものを曖昧なままに何度も取り入れることで、その解像度をなんとなく高めていくというような作業で、クリアな形をクリアなまま取り込むということができないんじゃないかと考えている。

しかし多くの複雑で巨大な現実の諸問題には、自分の脳内に曖昧なまま放り込んでおけるだけの情報や物量で対応できるわけがなく、他の記録媒体や物品が必要になるのは明らかである。

現実逃避の泣き言を30分も書いてしまった。

データを整理しろ、部屋を片付けろ、わかりやすい形で言語にアウトプットしろ。
片付け王に俺はなる。
誰か助けてくれ。

東大出てても馬鹿は馬鹿