お前は凡庸な老い方をする

自分は違う、と思っていた、と思う。
そんなことは恥ずかしくて言葉にしたことはないが、おれに限ってはそんなことはない、と思っていたと思う。

なぜか金や社会的地位を重要なものとして取り扱う大人、安定した生活や健康を崇める大人、そんなものにはならんと、それより大事なものがあるだろうと、あるいは大事なものなんて一つもないだろうと、なんかそういうかっこいい感じに生きていけるだろう、と考えていた、と思う。
けど、安定した生活、社会的地位、金、健康、超欲しい〜というのが、今。
広い家、優秀な部下、強固な地盤、給付金、人からの尊敬、超欲しい〜。

これは、自分が95%の側にいることを認められなかったことによる誤解だった。
統計的に言えば、あなたが95%の側にいる確率は95%なのだ。
95%の歳上の人間達がしょうもなく見えるのなら、95%の確率でそんな風になるのだ。
住宅ローンや年収や年金を気にして死んでいく。

95%の価値観に与することそれ自体はやっぱりダサいことであるし、ダサいなと思うし、ダサいと思える部分は持っておくべきだとも思うし、もうちょっと高潔な、あるいは破天荒な価値観を持てたらよかったなと思わないこともないのだが、それはもはや嘆いても仕方ない、95%の確率でこうなったわけだから。

しかしまあ95%に入ってしまったらそれで終わりかというと、入ってしまったから分かるけど、そんなことはないわけで。
ブルーハーツもこう言っている。
ブルーハーツは大体のことをとっくの昔に言ってくれている。
14の頃からずっと聴いてるのに、もっと早く言っといてくれよ、という気持ちになることばかりだ。
何十回も聴いてるはずなのに。
ブルーハーツはいつだってもう言ってくれているのに。
あ、ブルーハーツがなんと言ってるかというと

普通の星の下に生まれ
普通の星の下を歩き
普通の町で君と出会って
特別な恋をする

THE BLUE HEARTS/歩く花

これは凡庸な環境で凡庸な価値観を持ち凡庸な人生を凡庸に老いていく俺たちでも、関係性において、他者と交わる際においては、俺もお前も凡庸なままに、交わりそのものだけは特別になれる、ということを歌っているのだと思う。

誰でも特別になれる、とは言わない。それは嘘だから。
95%の人間は95%の生き方をするしかない。
だけど、凡庸な人間に意味がないとも言わない。
お前は特別にはなれない、けど、凡庸なままに特別な関係性を生むことができる、優しい真実の一つだと思う。

ブルーハーツの解散ライブを追ったDVDの、エンディングで流れるのがこの曲で、中高生の頃繰り返し見ていた時にはなんかフワッとした曲だなあと大して注意を払っていなかったが、今はすっごいこと言ってるなあと思う。

いつか俺が歳をとったら、その人生を振り返って、全部ブルーハーツが言ってたなあ、と呟いて、死ぬことになるだろう。

おわり

東大出てても馬鹿は馬鹿