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糸井重里に怒られた話

タイトルを誇張する。
分かりづらい部分を省略する。
誰もが理解できる形に構成を整える。
有名人の名前を出してつながりを自慢する。
そうして物事は輝きを失い彩度を増す。
この記事はそういう、タイトル。

数ヶ月前になるが、糸井重里さんに会って話す機会があった。
どういうわけかTwitterで氏にフォローしてもらえ、この機を逃すまいと、なんかやらせてくれ〜とメッセージを送った結果快諾いただいたのだった。
多忙も多忙だろうに、謎の30歳大学生のメッセージにその日のうちに返信をくれた。

そればかりか、自分からなんかやらせてくれと頼んだくせにほぼノープランで会合に向かった僕に対して、弊YouTubeチャンネル等を見た上でなんかやらせてあげる案を色々と出してくれた。
ライオンはウサギを狩る時にも全力を出すということで、プロはプロの習慣があるからプロなのだ。
氏は僕のYouTubeについては「俺は面白かったけど、これ誰が見るの?」と言っていた。
誰が見てんのかは僕もよくわからんけど、面白がってくれたならよかったな、と思った。

あと冠婚葬祭でしか着ないジャケットを着ていったら、普段そんな格好してないでしょ、とも言われた。
プロは雑魚の虚飾を見破るからプロなのだ。
Tシャツで行けばよかった。

人に見せる何かを作ることは喜びである。
2.どちらかというとそう思う。

という程度の僕は、気が向いた時にこうして何かをあれすることはあるが、基本的にはなかなか腰が重い。
だって俺が文章を書かなくても動画を撮らなくてもTwitterでつぶやかなくても、誰も、何も困らない。
しかし、できれば定期的に何かを世に出しておきたいなとと思う、それは後で自分が見返すと楽しいからであり、自分が作らないと自分の痕跡を楽しめないからだ。
あと時々は遠くて見知らぬ人々に褒められたいからでもある。

そういうわけで「何か書く仕事とかできたら嬉しいなあと思って〜糸井重里に書けって言われたら頑張れると思うんすよね〜。」と軽口を叩いた。
モチベーションを糸井重里からの仕事という外圧で保とうとしたことを、正直に言った。
ここでこの記事のタイトル「糸井重里に怒られた」になるわけだが、そこには誇張があり恣意的な解釈があり隠された前後関係があり、別に怒られたわけではない。

しかし、己の意欲の管理をビッグネームに頼ろうとした浅はかで怠惰な僕の発言に対して氏は穏やかにこう言った。
「それは自分でやらなきゃ」
そらそうですわ。
そらそうなのよ。

古賀史健さんという方がいる。
あの「嫌われる勇気」などを手がけたスーパーライターである。
糸井重里さんのことをまとめた本も出していて、親しい関係とのことだった。

古賀さんは上記の本を書くにあたって、その覚悟を示すために毎日note(ブログだったかもしれない)を更新したらしい。
毎日休まず書いて、1年間続けた時にそれを引っ提げて企画の打診をしてきた、
というような話を「別に1年も続けなくてもインタビュー受けたのにねえ」と笑いながら教えてくれた。

てめえがやりたいことくらいてめえでやれ、と言われた気分だった。
そらそうですわ。
そらそうなのよ。

なーにが「糸井重里に書けって言われたら頑張れると思うんすよね〜」だ。
お前がやりたいことをやらんでどうする。

別に何にもならんかもしれんが、毎日とは言わないまでも、週一回くらいはまとまった文章を書くことにしよう。
てめえのことはてめえでやるのだ。
ありがとう糸井重里。
勇気を出してメッセージ送ってよかった。
今日からおれは頑張るよ。
と思ったのが5月のこと。

雨が降り、風が吹き、季節は流れ、強い日差しの中に微かな秋の光を感じ始めた、8月。
8月、なんだな。もう。
なーんにも書いてない、あれから。
あれから、なーーーんにも書いてない。

次はもうちょい強めに怒ってくれませんかね、5万くらいなら出します。

おわり

東大出てても馬鹿は馬鹿