没薬を拒まれた理由

[マルコの福音書 15:22,23,24]

彼らはイエスを、ゴルゴタという所(訳すと、どくろの場所)に連れて行った。
彼らは、没薬を混ぜたぶどう酒を与えようとしたが、イエスはお受けにならなかった。
それから、彼らはイエスを十字架につけた。そして、くじを引いて、だれが何を取るかを決め、イエスの衣を分けた。

聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会 

 今日の箇所は、イエスが私たちのために
十字架の上で死なれる場面。
中でも没薬に注目してみたい。
なぜなら没薬を通して、イエスの愛と想いが伝わってくるからだ。
この没薬は植物から採集したものである。
没薬の木はカンラン科の低木で、幹に傷をつけると、樹皮から油状の樹液が出、これを採集し、乾かして固めると没薬ができる。
採れた没薬は苦くて香りを持っており、
温めたり燃やしたりすると強い香りを放つ。
痛み止めや防腐剤にも用いられた。

イエスを十字架にかけたローマ兵もそのあまりの惨さに痛み止め効果のある没薬を渡すことによって少しでもイエスの痛みを緩和させようとした。
だが、イエスは受け取らない。
なぜか。それはこの十字架の苦しみは私たちの罪の大きさを示しているからである。
十字架刑は私たちが想像もできないほどの痛みと苦しみを伴う。それに値するほど私たちの持つ罪は邪悪なのだ。
イエスは、自分の痛みを和らげるために没薬を飲むこともできた。しかし、そうされなかった。
私たちの罪をすべて背負うために、
そうされなかった。
最後までイエスはご自分の役目をボロボロの姿になっても全うされた。
その姿に私たちは感謝と感動を覚える。
没薬を拒まれた本質的な理由は、
"私たち"のためだからだ。
この愛に満ち溢れたお方に感謝を覚え、
今日も礼拝していこう。

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