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彩色の渋い、鮮明さ、形態の日本人ばなれしたとらえ方


西村画廊での船越桂展案内葉書 1988

彫刻家の船越桂氏が亡くなった。直接は存じ上げないが、1988年の銀座西村画廊での個展は印象深く、今もはっきり思い出すことができる。

1951年、彫刻家で東京芸術大学教授の舟越保武の次男として生まれる。1975年、東京造形大学彫刻科を卒業、東京芸術大学大学院に進学する。1977年、同大学院美術研究科彫刻専攻修了。

1986年、文化庁芸術家在外研究員として英国・ロンドンに渡る。1988年、戸谷成雄、植松奎二と共に第43回ヴェネツィア・ビエンナーレの日本代表作家に選出される。舟越作品は好評を博し、帰国後には東京・日本橋の西村画廊で凱旋個展を行なった。

ウィキペディア「舟越桂」

1988年11月、ちょうど私も銀座の中央画廊で個展をしていたので世田谷の友人宅に泊まって毎日銀座へ通っていた。当時の日記にこうしたためている。

佳江さんが「船越桂展」がおもしろかったというので見に出掛ける。西村画廊。なかなかすばらしい作品だった。楠に彩色の渋い、鮮明さ、形態の日本人ばなれしたとらえ方。今一番充実している作家(1951生)だろう。眼は大理石に手描で瞳を入れている。作家本人と息子(モデルにもなっている、小学生だろう)も来廊していた(オープニングだった)。カタログ購入。そこから玉屋画廊の「吉仲太造展」へ。吉仲さんのガッシュなかなか勢いがあっていい。 

日記1988.11.21

鎌倉画廊へ。「村井正誠展」若々しい大作2点を含む油絵6点くらいの展示だが、灰色の大理石を床に使って天井の格子もきまっている。新しいインテリアにぴったり来ている。カタログ買う。村松画廊のぞく。西村画廊へまた行ってみると、テレビの取材のため、作品を撮影していた。作者も居た。

日記1988.11.24

西村画廊を出て銀座の街を歩いていると、まさに、彫刻と同じようなスノッブな男女が闊歩している、そんな時代の空気をつかんだ、リアリティがその頃の船越氏の作品には宿っていた。

銀座の画廊がまだまだ元気だったことが分かる。バブルの絶頂ということもあったのかもしれないけれど。

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