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マン・レイ・イストの京都日記


『マン・レイ・イストの京都日記』
(銀紙書房、2023年12月24日、限定25部)

石原輝雄氏の"ミニマル・プレス"銀紙書房の新刊『マン・レイ・イストの京都日記』(銀紙書房、2023年12月24日、限定25部)を入手しました。「ギャラリーときの忘れもの」のブログに連載されたエッセイを中心にまとめたものです。ブログと違って写真が自由に使えないところを展覧会のフライヤーやチケットを綴じ込んで立体感を出しておられるのはさすが。これがひとつのコラージュ・アートあるいはアート・ブックになっています。

個人的には未発表の「一九六九年のアスファルトーー中部学生写真連盟[高校の部]とわたしたち」を興味深く読ませてもらいました。これまでも部分的には主だったいくつかのエピソードは読ませてもらっているような気がしますが、このエッセイはそれらを時系列でまとめた青春自伝として意味が深いように思いました。石原氏の写真修行時代です。

山本悍右や東松照明らも含め、多くの出会いが石原氏の写真観を醸成していった過程がうかがえます。なかでは中部学生写真連盟の先輩杉山茂太の書棚の描写にシビレます。杉山は卒業をひかえた石原氏らに合宿を呼びかけたそうです。

先輩の書棚にはロバート・フランクの『アメリカ人』、森山大道の『にっぽん劇場写真帖』、東松照明の『日本』、川田喜久治の『地図』、細江英公の『おとこと女』、サム・ハスキンスの『カウボーイ・ケイト & アザ・ストリーズ』、エドワード・ウエストンの『マイカメラ・オン・ポイントロボス』、ロバート・キャパの『戦争のイメージ』、奈良原一高の『ヨーロッパ・静止した時間』、エド・ファン・デル・エルスケンの『セーヌ左岸の恋』、ウイリアム・クラインの『ニューヨーク』などの貴重な写真集が並び、参加者は自由に頁を開いて、先人の仕事を享受するのだった。 

p237

これらの写真集が《最高の講師となった》とのこと。また、こんなくだりも、現在の手作り本へのこだわりの始原を教えてくれます。

 勉強をやり直し、就職への準備を進めながら、自宅周辺を撮った写真は『Halation』のシリーズとなり、先輩の『SUD』を我が物にと、モデルを頼んだデザイナー志望の女子に恋心を抱いた写真群は印画紙を貼合わせた写真集『飛行機雲』となった。これを、喫茶店で山本悍右に観てもらうと「リリックだね」と言われてしまった。
 わたしの学年は、写真を撮り、写真を語る事はあっても、展覧会の場を持たなかった。手作りの写真集をそっと見せ合うばかり。持ち運びに便利で、これを名古屋的というのだろうか。 

p239

あるいはこんな逸話にも目が止まりました。

 一九九六年の冬、名古屋丸善二階のショーケースで取り出してもらった細江英公の写真集『鎌鼬』を確認し、買い求めた杉山茂太。その横で乏しい小遣いの為に真似出来ないわたしに「刊行見本を請求したら良い、それだって立派な写真集だ」と助言してくれた先輩。送られた一枚だけの、三つ折りシートを開きながら、今、感慨にふけっている。 

p240

これは「エロティックな左腕」のなかに描かれるマン・レイとデュシャン、デュシャンピアンのKさんと石原氏の関係にも遠く響いているような気がしました。マン・レイはデュシャンの油絵を見て一流だと思ったのだそうです。

マン・レイは「マルセル、君は上手いな」と言ったに違いなく、二流の絵描きを自覚した。だから、油彩から離れ、写真やアエログラフなどの機械的表現にシフトした。マルセルが油彩をやめてしまっていたのも幸いしたのだろう…。補足するけど、マン・レイの持った複雑な感情の中で、自己を見つめ直し独自性を求めた表現に、二流故の悲しさのようなものを感じて、わたしウルウルするのです。なので、マルセルよりもマン・レイを愛します。Kさんのコレクターとしての実績に接しながら、二流のコレクターとして、わたしも悲しさの中で人生を送っています。 

p44-45

予算が潤沢にあって一流というのは、まあ、当たり前で、どれほどお金があっても誰もがそれをうまく使えるわけではありません、使えない方が多いように思います。限られた範囲内で誰も想像もしないコレクションを作り上げるのが本当の一流でしょう。その意味で石原コレクションが二流であるはずはありません。謙遜自慢というものでしょう、きっと。


『マン・レイ・イストの京都日記』刊行のお知らせhttps://manrayist.hateblo.jp/entry/2023/12/25/060000

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