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おお、おお、これはわたくしとあの方との秘密でございます。


『未定』VII(未定同人会、1960年5月1日)

未定』VII を古書善行堂で発見。たまたま前の日に矢川澄子の略歴を調べていて《1954年、同人誌「未定」に参加》という記述を読んだばかりだった。買うしかない。

1943年、府立第十一高等女学校(現・東京都立桜町高等学校)に入学。1948年、同校を5年で卒業し、旧制の東京女子大学外国語科(後の英文科、当時は3年制)に入学、1951年に卒業。岩波書店の社外校正者を経て、1953年9月、新制学習院大学英文科3年に後期から編入学するも、まもなく独文科に転じ、関泰祐教授に師事。1954年、同人誌「未定」に参加。1955年3月、学習院大学独文学科卒業。同年4月、東京大学文学部美学美術史学科に学士入学したが1958年に中退。この間、1955年4月、岩波書店校正室のアルバイトで知り合った澁澤龍彦と交際を始める。

ウィキペディア「矢川澄子」

『未定』は学習院大学の人たちを中心にドイツ文学やフランス文学などの翻訳、評論あるいは詩や小説などの創作を掲載していたようである。澁澤龍彦と交際を始めた矢川は『未定』へ澁澤を誘った。

一九五五年(昭和三十年)
[中略、六月と七月の間]
 このころ、矢川澄子の属する「未定」誌の同人だった多田智満子、村田経和らと知りあい、次号からの参加を約束(矢川澄子「澁澤龍彦年譜(一九五五ー一九六八)」、「別冊幻想文学 澁澤龍彦スペシャルI シブサワ・クロニクル」所収)

『澁澤龍彦全集』別巻2「澁澤龍彦年譜」より

その結果、以下の作品が『未定』に発表されている。

「エピクロスの肋骨」(III)
翻訳:コクトオ「哀れな水夫」(IV)
翻訳:クロス「燻製ニシン」(V)
翻訳:ボレル「解剖学者ドン・ベサリウス」および解説(V)
翻訳:フェリイ「支那の占星学者」(VI)
翻訳:フェリイ「サド侯爵」および解説(VI)
「陽物神譚」(VI)

『澁澤龍彦全集』別巻2「著作年譜」より

なお、Webcat Plus の『未定』データも参考までに掲げておく。復刻版が出ているようだ。

巻冊次: 1 ([昭29.11])-7号 ([1960.5]); 原本の出版事項: 東京 : 「未定」同人 , 1954-; 原本の出版地変更: 藤沢 (2 ([昭30.7]))→東京 (3号 ([1956.5])-7号 ([1960.5])); 原本の出版者変更: 「未定」同人 (1([昭29.11])-2 ([昭30.7]))→ユリイカ (3号 ([1956.5])-4号([1957.5]))→未定同人会 (5号 ([1957.12])-7号 ([1960.5])); 総目次あり 収録範囲: 1 ([昭29.11])-7号 ([1960.5]); 注記: 未定<AA11781726>の復刻版

Webcat Plus「未定」

7号に同人として名前が上がっているのは以下の人々。少なくとも七人は大学教授になっている。また澁澤は『未定』でのつながりからだろうか、藤井経三郎詩集『襟裳岬』(ピポー叢書、国文社、1959)に序文を執筆してもいる。

岩淵達治
飯島智子
伊藤嘉啓
榎本皎子
片山晴雄
菊池 甫
島田信一
多田智満子
戸星善宏
中島悠爾
藤井経三郎
三橋 光
村田経和
両角正司
矢川澄子
吉田再造
渡辺貴美子

7号に矢川澄子は「ロマンス・グレイ・ファンタスティック」という不思議なプラトニックラブについての短い小説を発表している。好きな上司をずっと慕いつづけて死ぬまで会社勤めをやめない、という妄想のような……。ごく一部を引用してみると、こんな感じ。

あの方があらゆる女のひとにやさしく愛想がよいというのは、たしかにほんとうだ。けれども世間はなんだつてそれをあの方の罪のように言うのだろう。女のひとにばかりではない。給仕の少年たちにだつて、あの方はいつもやさしく言葉をかけておやりになる。
                               ***
それでも…… おお、おお、これはわたくしとあの方との秘密でございます。あの方がわたくしにお見せになる眼は、たしかにほかの人に対するのとは違うのです。このことは誰にも知られてはなりません。
                               ***
たしかに? わたしはそれをあの方に問い糺そうとは思わない。問い糺す必要がないからだ。

P16-17

矢川は1959年1月に澁澤龍彦と結婚していたから、さて、この小説をどう読めばいいのか、ちょっと迷ってしまう。

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