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捕われのセルバンテス


スタンリー・レーン・プール『バルバリア海賊盛衰記 イスラム対ヨーロッパ大海戦史』
(前嶋信次訳、リブロポート、1981年12月15日)

『バルバリア海賊盛衰記』を古書店の店頭でパラパラッとめくっていると、スレイマンという名前が目につきました。スレイマン一世(在位:1520年 - 1566年)といえばトルコのTVドラマ「オスマン帝国外伝 ~愛と欲望のハレム~」《オスマン帝国を46年もの長きにわたり統治し、最盛期に導いた“The Magnificent”第10代皇帝スレイマン。その栄華に彩られた宮廷ハレムを舞台に、寵妃ヒュッレムを中心とした女性たちの、熾烈な権力争いとロマンスを、圧倒的映像美と壮大なスケールで描いた超大作》の中心人物です。歴史に基づくこのドラマでも海賊がしばしば登場しいていたのを思い出しました。

ですが、買って帰ろうと決めたのは「訳者あとがき」のこの記述を読んだからでした。

 私がバーバリー(バルバリア)海賊史を入手したのは一九六一年三月の中ごろ、ニューヨークを訪れた際である。その日、私は早朝にプリンストンを出て、バスでマンハッタンに至り、地下鉄にのりかえ、十四番街にオリエンタリアという東洋関係の古書店を訪ねた。刺すような冷たい風が街を流れていたことを思い出す。そして、オリエンタリアの女主人に教えられて、そこからあまり遠くないステクナー・ハフナーという大変に大きな書店に行き、四階の書庫にのぼり、梯子をかけて古書をあさった。そのときふと見つけたのがこの一巻である。まだレーン・プールの著書をことごとく見る機会にめぐまれていないが、たまたま読み得たものはみな巻をおくことのできぬほどの面白さに溢れていたので、大いに喜んでこの書をも買い求めた。

p322

オリエンタリアという書店は
ORIENTALIA BOOKSHOP. HE. 12 th Street. New York

ステクナー・ハフナーは
Stechert-Hafner, Inc. 31 East 10th Street New York
だろうと思われます。

バルバリア(バーバリー、ベルベリア)というのは現在のチュニジアやアルジェリアなどベルベル(バルバル)族の本拠だった地中海南岸地方のことです。地中海各地を荒らしまわった海賊たちの根城があったのです。スレイマンに愛され皇帝妃にまでなったヒュッレムはハンガリーから連れてこられた奴隷だったように、海賊たちはヨーロッパ各地から子どもたちを誘拐してきて手下に仕立て上げたと言います。奴隷でも気骨のある者は親分にまで成り上がることもありました。

本文中でもっとも興味を惹かれたのは、あのミゲル・デ・セルバンテスがアルジェで五年間もの捕虜生活を送っていたということでした。

一五七五年、セルバンテスはフィゲローアの連隊で六年間兵役に服したのち、レパントで左腕の自由を失ったあと、ナポリから祖国にむかって帰航の途についた。
 その途中、乗船したエル・ソール号がアルバニア生れのメミーの指揮する数隻の海賊ガレー船に襲われた。必死の抵抗が行われ、セルバンテスも抜群の働きをしたけれども、味方はついに降服のやむなきに至った。
 こうしてセルバンテスは改宗のギリシア人で、海賊船の船長デリ・メミーというものの捕えるところなった。たまたまアウストリアのドン・ファン(レパント役の大提督)をはじめ、当代の名士たちの推薦状を持っていたので、メミーは、これは相当の身分の男で、いい金になるわいと思い込んだ。

p235-236

しかし身代金はなかなか来ませんでした。二年たってやっと父親から保釈金がとどいたものの、金額が少ないということで弟のロドリーゴだけが釈放され、ミゲルはとどめ置かれたそうです。何度も脱走を繰り返しましたが、ことごとく失敗します。しかし決して仲間を売ったりはしなかったそうで、それによって海賊からも見込まれるほどでした。立派な騎士道精神の持ち主だったとのこと。

 やっと、一五八〇年になって、総督のハサン・パシャが首都に召還されることになり、彼もコンスタンチノープルへ鎖につながれて連れていかれようとしていたとき、ファン・ヒール神父が当時の英国金で百ポンドほどの身代金を工面し、ミゲル・デ・セルバンテスは五年間の捕われの生活からやっと放たれた。

p238

アルジェにおけるセルバンテスの事蹟は、1612年にバラドリドで刊行された Diego de Haedo の『アルジェの地誌と全史』が根本資料で、その著者はセルバンテスを直接知っていて《セルバンテスの男気と忍耐、その善良な気質や我執のない献身さなどを一から十まで情熱と愛情とをもって語っている》(p237)そうです。そんなセルバンテスからドン・キホーテの物語がつむぎだされるのですから面白いものです。

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