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聖と俗の混濁

『衣巻省三作品集 街のスタイル』読了。もっとスラスラ読めるかと思っていたのですが、意外にも、なかなか骨のある作品揃いで、読み応えがありました。

詩は、前半は軽く、中頃から後半になってスタイルが決まってくる感じがよくわかります。萩原朔太郎が評価していたそうですが、ある時期にははっきりと朔太郎風なところもうかがえるようです。またはフランス詩人の影響もあるのでしょう。

個人的には詩よりも小説の方を取ります。まあ、これらは、小説というよりも、あるいは散文詩と呼ぶべきかも知れません。とりたててストーリーも仕掛けもなく、作者と女とそれを取り巻く人々が幾人か現れて、キャッフェとかバーとか下宿や宿屋を舞台にしながら、主人公の女に対する感情の起伏が神経症的に描かれる、という構成が全篇に共通しているようです。

昭和初期の風俗を固有名詞と外来語の多用によってクリスタルに表現しようとしたような気配もあります。ただし《作風はモダンであかぬけのした、近代的なしゃれたもの》(津田薫)というふうにはどうしても思えません。ほとんどの小説には(詩でも同じです)雨が降ってびちゃびちゃとぬかるんだ描写があるのも特徴的ですし、聖と俗の混在というか混濁を意図したところにも注意をひかれました。たとえば、「どこの町」のこんな場面。

小さな町の旅館に逗留している語り手は手伝いの少女が気に入ります。そのステちゃんの荷物を預かってやって女将さんにしかられたりするようなちょっとした交流が淡々と描かれ、語り手が宿を立つ日がやってきます。バスが出る間際になってもステちゃんは顔を見せません。

ステちゃんが小荷物を抱えたまま撞球場の窓から顔を出した。そして微笑して引っ込んだので直ぐにも来るのかと思ったがなかなか来なかった。私は靴をはいて庭の飛石をつたい、撞球場の横を通るとき覗いてみたがいなかった。彼女は何故いてくれないのだろう。
「ステちゃん」私は思い切って呼んでみた。
「はい」彼女は閉じこもったような所から。いつもとちがって小声で返事をするのだった。私は女中にてれくさい思いをしてリュック・サックを持って玄関へゆけと命じてから呼んだ。
「ステちゃん」
「はい」
「ステちゃん」
「はい」
 声のする方へ近づいて行ったら其処は便所であった。用を達する彼女に何の不潔なものも感ずることなく入口のところに立って待ったがなかなか出て来そうにもなかった。「ステちゃん、今帰るんだよ……」
 私の今の立場がはかないものに思われて、人目をしのぶかのように「さよなら」と云ってみた。彼女も何か云いたそうにしている気配だったが、間の抜けた調子で「さよなら」と答えた。其処が便所の中でなかったなら、私の得心のいくような別れの言葉を聞かせてくれたかも知れないのに。時間が倍に進み、手を握りたくも握りようのない、何かやりたくもやりようのない、この自分の初恋のような所在なさを味わってみながら、足下に灯の消えた道を歩むような別離であった。 

p290

好きな場面です。こんなシーンを書いた小説はちょっとないんじゃないでしょうか? ここには滑稽味もありますが、もっと深刻で悲惨な場面もくりかえし描かれます。垢抜けして洒落ているとは思えません。

もちろん、ハイカラな単語がふんだんにまぶされているのは本当です。たとえば「雨の街」に次のような描写があります。友人の下宿を訪ねましたが留守でした。戸に鍵はかかっていませんでしたので中へ入ってしばらく待ちます。

私は今日の午前から何となく物のあわれを覚えたので、家を出てからG街裏に、スタジオをもっているB君のアパルトマンを訪ねてみたのだ。こんな処にもジャズやサキソホンにかき乱されないで、シウル・レアリズムの額や、キキの像や、ハイカラなポスタアや、西洋化粧品らの整然と取りすました貧しいなかに、イキで古風なB君は侘び住んでいるのである。気まぐれな彼のことであるから、街角までタバコを買いに出たか、コロンバンへカッフィをのみに出たかしたのであろうが、何時帰ってくるのか知れたものではない。 

p246

1930年代、シュルレアリスムがインテリな若者の勲章だったことを示しています。瀧口修造訳『超現実主義の絵画』が出版されたのは1930年でした。《貧しいなかに》と言いますがコロンバン(銀座の洋菓子店・喫茶店)へ通うのは当たり前でした。なお当時のコロンバンは文学者が集まるので有名な店です(詳しくは『喫茶店の時代』参照)。このすぐ後にはこんな描写も出て来ます。

 私は知った人に会うこともなくストリイトを歩いている。いつもの通りネクタイや、ステッキや、マフラアや、帽子や、新入荷のタバコや、時計や、通行人のオバア・コオトや、たまには靨[えくぼ]の深いマドモワゼルや、マダムの品性をながめながら、之等のものは私の日々のオオドブルなのである。之等のものなくしては私は生きられないことはない。でも浮薄で憂鬱で快活で古典でお上品でダダで非物理で新らしい私には、それからポタアジュ・スウプにしフライ・フッシュにしテンダアーロインステーキにしたいのである。私は歩いている。私は周囲に暗いものを感じる。最早黄昏なのだ。いやあの発酵してしまったメロデエが? 私の歩行に乗りうつっているのを覚える。 

p248

物質と精神がバラバラに浮遊しているさま、それがシュルレアリスムの一面なのかもしれませんが、衣巻の作品には明らかに北園克衛などと比べると、反省があり、恐れがあります。そこが濁ったカクテルのような衣巻作品の独特な味わいを生んでいるのではないでしょうか。そんな読後感を持ちました。これから何度か読み返して行けば、また少し感想も変わってくるかもしれませんけれど。

最後にイナガキタルホを登場させたシーンを引用してみます。《足穂が築き上げた世界は広くて深く個性的で、今でも全く色あせていないが、同時代を足穂の近くで生きた衣巻省三が、詩や短篇小説で描き出した世界も、大正から昭和にかけての街や人々をキラキラと輝かせて、今読むと絵画の中に閉じ込められた懐かしい街を見るようである》(山本善行「撰者あとがき」)とあるようにタルホの影響は小さくなかったようですが、作品からは予想したほどの影を感じることはありませんでした。「陋巷」より。

「一所に寝たいぐらいだよ……僕はね、イナガキタルホに阿片を喫まされたんだよ。……僕はあんなことは嫌だが、趣味として、又思想としては理解出来るんだ。諸君は実験してみないだけだと言うんだ。一ぺん実験したらこの味は忘られんと言うんだ。彼氏と二人で飲んでいるといいこと言うよ。他の人には言わないんだ。僕だけには話してくれんだよ、それは僕が先生の匂いから、色から、思想から、言葉のアクセントから、鼻眼鏡を赤いおしるこの椀に落っことした事から……あの時、先生周囲を見廻して、『誰にも言うなよ』と言ったよ。又『タルホも落魄[おちぶれ]たなあと言うんじゃないか』と機先を制したよ。この間訪ねてみたら、昼間からコップでやっているんだ。〈ちょっとやそこらで酔わんのでこたえるよ〉と言っておった[三文字傍点]。傍[そば]に寄ってゆくと、いきなり僕の頸筋を摑んでさ『擽[くすぐ]ったいかい?』と言いやがるんだ。涼しかったですな……君、聴いているのか」 

p342-343

たしかにデカダンではあるかもしれません。

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