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飛ぶ教室


『飛ぶ教室 季刊児童文学の冒険』第四号(秋季号) 光村図書出版
一九八二年十月十五日 表紙絵=赤羽末吉 デザイン=平野甲賀

この雑誌もある古本屋さんの均一棚に入っていたものです。巻頭は天野忠。ざっと目次を見ただけでも、児童文学というジャンルを越えて、そそられる名前が並んでいます。

目次
天野忠「帰り道」

本日は、塚本邦雄と富士正晴を紹介しておきたいと思います。まず塚本、「わたしの子どもだったころ〈辞書遊び〉」より。

塚本は書斎派の児童だったそうです。勉強部屋に閉じこもって、文字と絵を、見て、それらを描くのが、戸外で遊ぶより《比較を絶して好きだった》のだとか。

懸垂二十回に挑む暇があったら、私は部屋に閉じ籠つて、漢和辞典から、画数三十画以上の稀用漢字を拾い出して、それを書き写してゐる方が遥かに楽しかつた。そら、そんな暗い所で「字引」ばつかり眺めてゐると近眼[ちかめ]になると、傍から脅されても、滅多に愛読書を離しはしなかつた。》(p81)

画家になることを夢見ていたそうです。ですが、高畠華宵のなまぬるい少女趣味には飽いており、福田正夫の甘つたるい詩にもついに酔へなかった、山口将吉郎、伊藤彦造、岩田専太郎らが梅原龍三郎よりはるかに「本物」だった、とのこと。しかしあるとき友達が描いたホルスタインの絵があまりにも見事で、それがショックで、絵の道をふっつりとあきらめたそうです。

国語の時間は幼稚極まりなく思え、教師の無恥を心中でせせらわらっていましたが、教師に忘れた字を尋ねられるようになると《その時の優越感は、かへつて私を憂鬱にした》とか。

次に私は英和辞典ごつこを始めた。三省堂版コンサイスの、これまた綴り字が長く、発音が例外的で、本国の中学生の、書取試験に出るやうな言葉ばかりを選んで覚えた。たとへば、〈菊=chrysanthemum〉・〈讃美歌=psalm〉・〈匿名=pseudonym〉・〈喀痰=phlegm〉等等、これまた一種の術語に類するものばかりで、日常会話になど全く出て来なかつたが、附帯的に覚える英語の数は次第に増し、一日、学校で英単語邦訳コンクールがあり、一年生は二十単語を、順に二十宛殖えて、五年は百。全生徒に同一の問題紙が配られた。五年生は百できて百点、二年生が八十できると二百点、四年生が六十しかできないと七十五点といふ勘定になる。全校約五百名の最高点は、一年生で七十八単語を解した私の三百九十点であつた。私はむしろ百解して五百点のマキシマムに達しなかつたことを愧ぢた。英語の教師は私を偏愛したが、私はその顔も声も大嫌ひで、常に斜に構へ、あら探しを事とし、揚足を取つては赤面させた。その他に楽しみはなかつた。》(p82)

この幼時の辞書遊びは短歌という《既に亡び去つた古典定型詩》へ固執し《一生を棒に振る》自分の宿命、であると同時に栄誉、だと結んでいます。

富士正晴は「わたしの好きな短編」というお題で「「T・F・ポイスの作品」その他」を書いています。

戦前、わたしの二十代のころ、誰にすすめられてということでなく、京都の古本屋の安売本(見切本)の箱の中から見つけて来たシャルル・ルイ・フィリップの全集の中の短編の一冊をことに好んで読んだ気がする。全集が出ていることから見ると、それ以前に日本でシャルル・ルイ・フィリップが愛された時代があったらしいということになる。そしてそれが、割合美しい堅固な製本であるくせに、見切本の箱に入れられて、日光が照りつける店頭に置かれてあることから、その流行もすぎ去って余り読者がいない状態になっていることが明らかであった。その当時、ドストイエフスキーも見切本の箱に同じように入っていた。今から思うと、四、五十年昔のことである。》(p114)

ざっと検索してみましても、たしかにフィリップ・ブームはあったようです。

『シャルル・ルイ・フィリップ短編集』堀口大学訳 近代文明社 1923
『フィリップ傑作集』井上勇訳 至上社 1925
『フィリップ全集』小牧近江訳 叢文閣 1926
『フィリップ短編集』堀口大学訳 第一書房 1928 
『フィリップ全集』山内義雄等訳 新潮社 1929-1930

富士の言う「フィリップの全集」は叢文閣版ではないかとも思いますが、新潮社版も函入りではあります。

以下、富士は好きな短編について次々と記憶から拾い出していきます。敗戦後はアメリカ文学を新鮮な気持ちで読んだこと、ヘミングウェイ、アンダーソン、マーク・トウェイン、サローヤン。イギリスでは、デイヴィッド・ガーネットの『狐になった奥さん』そしてT・F・ポイスの《カトリックに裏打ちされているような不思議で頑丈でぞっとさされる味わいのある短編は一つ位、例としてここにのせてもらいたい。》(p115)と締めくくっています。

ポイスは戦前から龍口直太郎の翻訳によって短編集(健文社、1935)などが出ています。最近では、ちくま文学の森の『おかしい話』(1988)に「海草と郭公時計」(龍口直太郎訳)、『思いがけない話』(1988 / 2010)に「バケツと綱」(龍口直太郎訳)が収められているようです。

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