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息子の訴え

”いじめ”と聞くと、どんなことを連想するでしょうか?
私は良いイメージを思い浮かべることができません。それが、家族、子どもから聞き、被害をうけている立場だったら尚更です。

息子は小学3年生男子。特に活発ではない性格。一番の特徴は、私からみるとお喋りです。喋り出したら、止まりませんし、取り留めもないことを永遠としゃべり続けます。寝る前なんかは、眠たいみたいだけど、お喋りが止まりません。当の本人は、自分がおしゃべりだとは思っていないようです。

人間関係において、トラブルはつきものです。その中でも”いじめ”は厄介なものです。
先日、息子が寝る前に私たち夫婦に喋りかけてきました。

「僕のことを蹴ったり、叩いてくる子がいる。」
そんなことから始まった会話と気づきを綴ります。

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息子が話をしてきたこと

息子の話では小学校から通学団で帰宅する時に、隣の通学団の子からやられているようです。学年は1つ上の男子。
何をされているかというと、蹴る、叩かれるとのこと。息子が友人と会話をしている最中に、何もしていないのに、急に割って入るように前に立ち、急に暴力をされた。

その子は他の子にもしているようです。他の子というと、特別支援学級に通う年上の子どもへも暴力をしているのを見かけたことがあるみたいです。暴力を受けていることに対し、息子はそこまで困っていない様子で冷静に状況を説明してくれました。

*私自身の反応
話だけ聞くと、私はメラメラと腹が立って仕方なくなってきます。
感情的に、なんだそれ!やりかえせ!あっちの家に乗り込みたい気分だ!
など、冷静さを失うと、とんでもない対応をしてしまいそうで、私の愚かさに気づきます。

*妻の反応
妻はやり返してはダメだと言う
先生に伝えようか?
と息子に聞くが、息子はそれはして欲しくない。

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これからどうする?

私たち夫婦は、息子の話を聞いて、解決の道へ導こうとしていました。
もしかしたら、親の発言が息子にとって辛いものになっているのではないか?
ふと、そんなことを思うと、自分の考えを冷静に見直してみました。

時間をおき振り返ってみると、私は息子に対し、妻に対しても、もっと良い寄り添い方がなかったのかと反省しました。
感情的になるほど、損をする。今までの私の典型的なダメダメパターンです。その先のことを考えず、今の自分の憂さ晴らしだけをしてしまう。空手の指導を通じて色々と指導やコーチングのことを勉強してきたのに、いざ自分のこととなると何も見えなくなっていました。

私が新たに疑問に思ったこととして、
・息子は何を望んでいたのだろうか?
・息子が本当に求めること、助けが必要なことは何だろうか?
・いじめから連想される、私自身の問題、家族の問題があるとしたら、何が考えられるのか?



息子は日頃からおしゃべりですが、自分の話を聞いてくれないとイライラすることもある。

もしかしたら、ただ自分の話を聞いて欲しかっただけかもしれない
親の答えなんか欲しくなかったのかもしれない
私たちは、息子の話をとことん聞いたのちに、何か理解できたことがあったのかもしれない

私が大切にしていることは「質問」である。
自分に対する「質問」いわゆる自問自答がてできていなかった。
家族を大切にしたいと思っていながら、私は自分の感情に振り回され、憂さ晴らしをするように、私の意見を息子にぶつけてしまう、真逆のことをしていた。
そこには、息子への愛はなく、ただ自分がスッキリしたい衝動だけの行動と発言しか生まれていなかった。


ダメな親だと落ち込むが、一番辛いのは息子である。
大切なことは、これからどうする?
そのために、とことん聞く、聴くことを実践する覚悟をもつ。

人生は失敗の繰り返しです。今回は自分の失敗、至らなさに気づけてよかったです。大切なことはこれからどうするか。

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いじめから連想する自分の在り方

いじめと一言で表現するが、今回のことは「いじめ」として当てはまるのであろうか?
もしも、自分にそのようなことが起こったらどうするか?
暴力でなくても、言葉や態度でそのようなことをされたら、どうであろうか?

蹴られる、叩かれるといったことは、犯罪行為である。
学校だから暴力が許されることは絶対にあってはいけないが、現状はうやむやにされるケースや被害者が大切にされないケースもよく聞く。

学校だからこそ、根本的な社会のルールは守るべきではないだろうか
社会のルールを学校で⁠は教える、伝えることも必要ではないか?
学校はよかったのに、社会に出て働き出したら、全然違ったではいけないのではないか。

学校で教えられることは限界があるのは承知しているが、社会とのギャップがありすぎることも多い。今回はそこを深掘りはしないが、そのギャップを埋めるために、家庭では子供とのどんな関わりが必要なのかを考え、話し合う機会が必要である。

そう考えると、子供達が安心して自分の気持ちを伝えられる場が必要ではないか?
そのために、親として何ができるのか?

息子に暴力をふるう子供は、もしかしたら、私の想像もしないことが理由でそのような行為に至っているのかもしれない。
その子のほんの一部分しか見ずに、その子は悪いときめつけるのは、思考停止であり無知で阿保である。

私はまだまだ無知であり阿保である。冷静になれる時間がないと、そんな感情的な自分しか出せない。

これも訓練だ。何度も何度も失敗して、私は本当はこう在りたい。こんな人間が理想である。と、その理想に向かって、少しずつでも学び、実践を繰り返していく。

ということは?
そんな質問を繰り返し、子供と一緒に成長していきたいです。
愛に溢れる人間になるために、私は問いを止めない決意をする。


得られたことと、これから

今回のことで、得られたことをいくつか挙げてみます。
感情的にならないこと
目の前の人の声をまず聞くこと
とことん聞いて、質問をすること
相手の真意がわかる言葉が出るまでは、自分の意見をダラダラと言わないこと
冷静になりじっくり考えること
問いを止めないこと

これからのことを考えると、自然と空手の指導での子供たちとの関係性が思い浮かびます。
空手の指導をしていて一番嬉しい瞬間は、目の前の生徒さんが元気がなさそうな様子であったのに、私との会話で笑顔になることや、気づきを得て元気になる瞬間を見ることです。

そう思うと、私は太陽であることが大切だ。
自分と会ってくれて、会話もしてくれる目の前の人をまずは笑顔にすることから始めたい。そのためにも、常に自分がご機嫌で笑顔であることが大切である

私の理想の環境、私が望むこと
なんでも気軽に話せる人であること
親が感情的になることは、時に弊害もある
まずはとことん聞いて聞いて、聴きまくること
親が冷静に話を聞いて、聞き出せる力を養っておくこと

最後に、時には感情的になること。人間らしい生き方が理想である。
常に笑顔を求めてコツコツ続けていきます!




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