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末っ子の怪我。突然の非常事態に感じたこと。

昨日の夕方、末っ子(3歳)が家の中で遊んでいて転倒し、家具に頭をぶつけ額をパックリと切ってしまった。当たり前だが、そうした緊急事態は急に訪れる。頭部は出血が多いとは知識としては知っていたけれど、いざ我が子の頭から血がだらだらと流れ出るのを目の当たりにすると非常に焦る。

傷をみた瞬間に「これは縫合が必要なレベルだな」と思い(以前長男も同じように眉上をパックリいったことがあり、救急搬送し縫合した)、時間が17:25頃だったので、17:30まで診療している近所の外科処置可能な病院に駆け込んだ。すると、傷が深そうであり、頭部負傷のために大きな病院に行ったほうがいいと言われ、そこから病院探しが始まる。

小児の頭部外傷は診てくれる病院も限られ、なかなかすぐには受け入れ先が見つからなかった。最初にかけた病院から、「救急科に繋げようとしても先生方出ないので、今すぐには診られないと思います」と言われ、他の救急診療をしている病院案内の番号を聞く。

かかれる救急科を3軒案内され、電話しだす。けれどなかなかどこも救急科には繋がらない。救急科とは文字通り救急時にかかるところなので、繋がらない理由も想像がつく。時間はどんどん経っていく…

やっと繋がった病院が丁寧に「お子さんの顔の傷だと、救急科の対応で縫合すると傷が残ってしまう可能性があるので、形成外科がある院にかかったほうがいいですが、それでもよければお越し下さい」と教えてくれ、「えっ、そうか…どうしよう…」と迷ってしまい、形成外科もある病院に改めて電話してみるものの「救急で受けると形成外科での処置では無く、救急科の処置になります。今お越し頂いてもかなり待ち時間かかってしまうと思います」と言われ、また「うーん…」となり結局最初に繋がった病院に再度電話して受けてもらうことになった。

そんなこんなで病院に着いたのは(移動距離はタクシーで5分くらいなのにも関わらず…)負傷から40分後。すぐにどこかにかかれるだろうと思っていた私はもう外にいて、だけれどなかなか受け入れ先に辿りつけず電話をかけまくっている間に末っ子は私の腕の中で血をじんわりと(ドバドバではなかった)出しながら眠ってしまっていた。やっと病院に着いた時に私は心底安堵して、受付で必要事項を記載する手が震えてた。

打ち方や出血の仕方が「命に別状がある程ではないだろう」と思ったから救急車は呼ばなかったけれど、個人で搬送先を探そうと思うとこんなにも大変なのか(もちろんタイミングもあると思う)と痛感した。以前佐渡島さんがこれからの時代の医療者のありかたについてnoteに書いていた。

私自身が交通事故に遭い救急科にかかったことがある経験から、救急科とはそうした事態の受け入れ先であるから、重症患者の方が突然やってくる場だと認識している。毎日数多くの命の綱渡りを診ている医療関係者の方は色々感じることもあるだろう。けれど、いざ困っている時に電話応対の受付の方、医師、看護師の方が冷たい対応だったら、気持ちはどんどん焦っていき、逆にすごく丁寧にこちらを安心させてくれるような対応をしてくれるとその焦りは軽減する。病院の方針か、応対した個人の「感じ」によるものなのか、どちらかは分からないけれど、対応の様は本当にそれぞれ全然違って、「心への寄り添い」をみせてくれた院、方には心底救われた気持ちになった。

結果、末っ子は頭部レントゲンをとり、数針縫合してもらい、その後24時間経過したけれど吐き気や頭痛なども無く元気で心底ホッとしている。

非常事態はなんの前触れもなく突然やってくるから、その際にどういった判断をしたらいいか(どんな時は救急車を呼び、どんな時にはどこの病院に行ったほうがいいのか、頭部を打った時には被曝リスクを考慮してCTは受けたほうがいいのかなど)をきちんと考えておかないとなと痛感した。

病院にたどり着くまでの経緯や、傷口やそこを縫合する様を目の当たりにした昨日は一日で数ヶ月分疲弊した感があった…待ち時間などもあり、帰宅したのは来院から3時間後で、帰宅後は消した電気を間違って何度も点けてしまったりと「私はまだ動揺しているのだ」と自分でも感じた。

日常生活を送っていると、健康体でいられるありがたみを忘れてしまうけど、いざ負傷すると「生きていてくれるだけでどれだけありがたいことか」と改めて感じる。

末っ子は私が電話をかけている間に、「血が垂れてきちゃうから自分でぎゅっと抑えておいてね」と伝えられたため、きちんとティッシュをぎゅっと患部に自分で当てていて、眠りに落ちてしまってからもその手の形は頑なに変えずにいた。普段おちゃらけて全然(それはもう全くといっていい程に)私の言うことを聞かない彼だけれど、自分の手で患部をティッシュで抑えつけ続けていた姿に彼の生への本能を見た気がした。親でいることの大変さとは、日常のオペレーションはもちろんのこと、それに加えて「この命を守らなければいけない」という責任感なんだと思った。

怪我や病気って当たり前だけれど誰しも望まずに突然訪れるもので、今こうして生きていられることは、明石家さんまさんじゃないけれど、「生きてるだけで丸儲け」なのだ。自分の人生に対しても、子ども達の育児に関しても、その気持ちを忘れないようにしたい。

書けども書けども満足いく文章とは程遠く、凹みそうになりますが、お読みいただけたことが何よりも嬉しいです(;;)