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【文化財紹介】昭和のはじめのモダン建築 ~旧・大阪府工業会館~

【2024年2月1日/大阪歴史倶楽部】
大阪歴史倶楽部です。今月は大阪市西区江之子島えのこじまにあります、昭和初期に建てられたモダンな建物「旧・大阪府工業奨励館附属工業会館」(現・江之子島文化芸術創造センター/愛称:enocoエノコ)をご紹介いたします。


江之子島と江之子島政府
江之子島えのこじまは、現在の大阪市の中心部である中之島から南西へ2kmほど、「キタ」と言われるJR大阪駅周辺(梅田エリア)からは南西へ約2.5km、「ミナミ」と言われる難波なんばエリアからは北西へ約1.7kmの地点にあります。最寄の駅は地下鉄「阿波座あわざ」駅です。この江之子島えのこじまから木津川を挟んだ西側の対岸には旧外国人居留地である川口の地があります。

この江之子島えのこじまは、近代大阪の発祥の地と言えます。それは1874(明治7)年に大阪府庁舎(2代目庁舎)がこの江之子島えのこじまの地に建てられ、また1899(明治32)年には初代の大阪市庁舎(大阪市役所)もこの地に建てられました。こうして江之子島えのこじまの地域は大阪府と大阪市ひいては西日本地域の行政の中心地となり、当時の人たちは「江之子島政府」などと呼びました。

なお、大阪府庁舎は1926(大正15)年に現在地の大手前(大阪城の西側)へ移転し、大阪市庁舎(大阪市役所)も1912(明治45)年に堂島、そして1921(大正10)年には現在地の中之島へ移転しました。

【豆知識】
川口居留地
川口居留地は1868(明治元)年から1899(明治32)年まで31年間、大阪市西区川口に設けられていた外国人商人たちの居留地です。その面積は他の長崎・神戸・横浜・東京築地に設けられていた居留地よりも狭く、また大阪湾に出る際に通過する安治川の川底が浅くて大きな船が往来できなかったことや鉄道を利用するにも少し不便な地であったことなどから、やがて外国人たちはより便利な神戸の居留地へと移って行き川口居留地は廃止されました。


旧・大阪府工業会館
上記のように1874(明治7)年にこの地に建てられた2代目大阪府庁舎は1926(大正15)年に現在地である大手前に新築移転しましたが、旧府庁舎の建物は解体されることなく大阪府工業奨励館として再利用されました。

今回ご紹介する旧・大阪府工業奨励館附属工業会館(現・江之子島文化芸術創造センター)は、1938(昭和13)年に2代目の大阪府庁舎であった大阪府工業奨励館に隣接する附属の工業会館として新築された建物です。

旧大阪府庁舎(大阪府工業奨励館)が明治時代に建てられた古風なレンガ造りの2階建で、ドームや古代ギリシア風のオーダーを持つ白亜の洋風建築であったのに対し、新築された附属工業会館は鉄筋コンクリート造りで当時としては非常にモダンな建物で人々をたいへん驚かせたと伝わっています。

かつて江之子島にあった2代目大阪府庁舎
(出典:『大阪府写真帖』1914年/パブリックドメイン/九條正博 蔵)

残念ながら明治の旧大阪府庁舎(大阪府工業奨励館)は1945(昭和20)年の戦災で焼け落ちてしまったのですが、この附属工業会館は戦災にも耐えて残りました。


外観の写真
以下は旧・大阪府工業奨励館附属工業会館の外観の写真です(2024年1月 大阪歴史倶楽部 撮影)。

旧・大阪府工業奨励館附属工業会館(南西から)
旧・大阪府工業奨励館附属工業会館(南から)
旧・大阪府工業奨励館附属工業会館(西から)
旧・大阪府工業奨励館附属工業会館(北西から)
旧・大阪府工業奨励館附属工業会館(北から)
旧・大阪府工業奨励館附属工業会館(南東から)


建物の特徴
旧・大阪府工業奨励館附属工業会館(現・江之子島文化芸術創造センター)の建物は戦後に大阪府立産業技術総合研究所として利用されていましたが、1982(昭和57)年に大阪府立産業技術総合研究所が現在地の森之宮へ新築移転した後、この建物は閉鎖されたままになっていました。

その後2012年に現在の江之子島文化芸術創造センターがオープンするにあたってこの建物を再利用することとなり改装されました。しかし建物そのものは1938(昭和13)年の建築当初の姿をそのままとどめています。

この建物の特徴は、何といっても戦前期のモダニズム建築に特徴的な建物の角にアール(曲面)を持たせているというところです。そしてこの建物は南西角のアールの部分に大きな連続窓を配し、さらにその外側には建物本体の大きな曲面を強調するかのようなバルコニーとひさしを廻らせています。

戦前期の角にアールを持たせた建物の多くはそのアールの部分に玄関を設けているのに対して、この建物は西側の平面部分の中央に玄関を設けているのが特徴です。

また、昔からの道路に面していない部分(すなわち、あまり人目につかない部分)は、何の装飾も施されていないのもこの時期の建物の特徴だと言えます。モダンな造りの表側部分と、味気ない裏側部分とが対照的です。

建物は2012年に丁寧に改装されているので一見戦前の建物だとは思えないのですが、よく見ると建物全体の外壁をはじめバルコニーの外側やひさしなどにも豆タイルが綺麗に貼られているなど、隅々にまで丁寧に装飾を施している部分などから戦前の古い建物だと言うことが分かると思います。


【おまけ】
この旧・大阪府工業奨励館附属工業会館(現・江之子島文化芸術創造センター)のすぐ西側(道路を隔てて向かい側)には、木造2階建で外壁が下見板張の古風な洋風の建物が残っています(下の写真)。

建築年代は1912~1925(明治45~大正15)年の間だろうとされていますが詳しい年代は分かっていません。一説には1919(大正8)年頃の建築だとも言われていますが、その詳細は不明のようです。

この木造の建物は現在「木村家住宅主屋」として登録されていますが、もとは大阪府の官舎のひとつであったと伝えられています。官舎であったとすれば、大正時代の木造の官舎としては現存している非常に貴重な例となります。

現在この「木村家住宅主屋」は国の登録有形文化財となっています。なお、この建物の外壁は頻繁に塗り替えが行われています(撮影した年代によって外壁の色が大きく異なります)。

木村家住宅主屋/2024年1月 大阪歴史倶楽部 撮影


旧・大阪府工業奨励館附属工業会館への行き方
旧・大阪府工業奨励館附属工業会館(現・江之子島文化芸術創造センター)へは、大阪メトロ中央線ちゅうおうせんまたは大阪メトロ千日前線せんにちまえせんの「阿波座あわざ」駅8号出口から西へ約200m(徒歩約2分)です。

行き方の目安は簡単です。「阿波座あわざ」駅8号出口を出てそのまま真っ直ぐ200mほど西へ進むと右側にオレンジ色をした縦長の大阪府立江之子島文化芸術創造センター」の看板と建物の上部には「enocoエノコ」のロゴマークが見えてきます。その看板とロゴマークの付いた建物が旧・大阪府工業奨励館附属工業会館(現・江之子島文化芸術創造センター/愛称:enocoエノコ)です。

阿波座駅から真っ直ぐ西へ進むとこのように見えてきます

【文化財データ】
旧・大阪府工業奨励館附属工業会館
(現・江之子島文化芸術創造センター/愛称:enocoエノコ
大阪市西区江之子島2丁目1-34
1938(昭和13)年 竣工
鉄筋コンクリート造り地上4階、地下1階建
設計:大阪府営繕課
写真:2024年1月 大阪歴史倶楽部 撮影


おわりに
今回ご紹介した旧・大阪府工業奨励館附属工業会館(現・江之子島文化芸術創造センター)は、近代の大阪府・大阪市発祥の地である大阪市西区江之子島えのこじまの地にあり、かつての大阪の行政の中心地であった頃の雰囲気を伝えている唯一の現存する遺構となっています。

戦前の古い建物で奇跡的に戦災からもまぬがれて残り、現在は綺麗にリノベーションされて大阪の文化や芸術を発信する施設として活用されています。

古いものでも良いものは残し、丁寧に手入れをして大切に使い続けるという大阪の人の「古いものを大切にし新しい時代に活かす」という気質がよく現れている建物だと思います。

なお、この旧・大阪府工業奨励館附属工業会館(現・江之子島文化芸術創造センター)の建物を見学したり写真や動画などを撮影されるときには、管理者さんや周辺の方々に不快感を与えたりご迷惑にならないよう充分なご配慮をお願い致します。

また許可なく他の人の敷地内などへは入ったりしないようお願いいたします。

この建物は公共の建物ですが、建物内部の撮影はセキュリティの関係もありますので、できれば管理者さんの許可を得てくださいますようお願いいたします。

今回も最後までお読みくださり、ありがとうございました。

【大阪府立江之子島文化芸術創造センター「enoco」公式サイト(大阪府運営)】



【参考にした資料】
◎「大阪のウェストゲートを旅する」『月刊島民』47 2012年
◎『enocoと -江之子島文化芸術創造センターのつかいみち-』大阪府立江之子島文化芸術創造センター 2017年
◎『国指定文化財等データベース』文化庁 2024年版
◎「木村家住宅主屋」『文化遺産オンライン』2024年版(WEB版)


(『大阪歴史倶楽部』第3巻 第2号 通巻22号 2024年2月1日)


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※次号は2024年3月1日に投稿する予定です。

《次号予告》
【文化財紹介】
(内容未定)
いつものように近代の文化財をご紹介させていただきたいと考えています。

(※予告内容は変更する場合があります。ご了承ください)


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