リヨンの絹織物

Soierie lyonnaise

 世界の高級絹織物を支える
メード・イン・リヨン

 中世よりリヨンは絹織物の世界的な中心地。蚕を飼って生糸を生産することから最終的に製品にするまで、すべての工程を手がけていました。なぜリヨンで発展したかというと、北フランスやベルギー方面からもたらされた織物の技術と、イタリア方面からもたらされた芸術性、創造性がちょうどリヨンで結びついたからです。

 その後、19世紀に、リヨン地域を含むヨーロッパ産の生糸生産が落ち込んだのが原因で、19世紀後半からはマルセイユを経由して日本産の生糸が運ばれました。リヨンは織物の製作に注力していたので、リヨンと日本との深い結びつきが生まれたのです。当時のリヨンには、日本の生糸の商社のほか、横浜正金銀行の支店もあり、永井荷風も一時、そこで働いていたのですよ。

 現在、生糸は中国産やブラジル産になり、日本との関係はその当時よりは薄くなってしまいましたが、リヨンの絹織物業は盛んです。未だに年間170トンもの生糸が使われ、約40社の絹織物関連企業が集まり、16000人を雇用しています。

 リヨンの絹織物において、スカーフやネクタイといった服飾の伝統を伝える企業がある一方で、室内装飾の伝統を伝える企業もあります。2012年、リヨンの郊外からルーツである市内のクロワ・ルースCroix-Rousse地区へと戻った老舗企業タシナリ&シャテルTassinari & Chatel社は、ヴェルサイユ宮殿、エリゼ宮、ホワイトハウスなどの壁布や椅子張り生地を生産しています。

 残念ながら、リヨンで生産される絹織物のほとんどがフランス国外向けのため、リヨンで目にする機会はほとんどありません。お店やテレビ番組で見かけたらリヨンを思い出してくださいね。

information

Musée des Tissus(織物博物館)
34 rue de la Charité 69002 Lyon
Métro A : Ampère-Victor Hugo
http://www.musee-des-tissus.com

mémo

富岡製糸場をつくったフランス人エンジニア、ポール・ブリュナは、当時、横浜にあったリヨンの生糸商社、エシュト・リリエンタール商会(Hecht Lilienthal et Cie)の社員でした。





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