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やまねの塒日誌|vol.38|おじいちゃんの形見

「遺品」というものに、初めて出会ったのはいつのことだろう。
おそらく、5年ほど前、高校時代からの親友のおじいちゃんが、お年を召し、パラダイスへ行ってしまったときのことだと思う。

この親友のご実家にはよくお邪魔していて、随分とお世話になっていた。
その近所に住んでいたおじいちゃんにもときどきお会いしていた。
おじいちゃんも何故か私のことをよく覚えていてくださって、私が地元を離れてなかなかお会いできなくなってからも
「ヤンさん(私のニックネーム)は元気か?」
と、気にかけてくださっていたそうだ。

亡くなったという知らせを受けてからしばらくして、
また親友の実家を訪れたときのこと。
大変薄情なことに、お葬式に駆けつけるとはできなかったが、改めてお線香をあげて、手を合わせる。

そうしていると、
「今、おじいちゃんの家を片付けとるんやけど
食器、気に入ったのがあったら、持って帰ていいよ〜」と、お母さん。
私がうつわ好きだということを、親友から聞いていたらしい。

そのときにいただいたうつわは、今となってはすっかり我が家の食卓に馴染んでいる。
デザインが気に入っている、ということもあるが
使うたび、親友のおじいちゃんのことや、親友のこと、故郷での日々のことを思い出すことができて、懐かしく、ちょっと里帰りしたような嬉しい気持ちになる。

そのときわたしは、すんなりとなんの抵抗もなく、親友のおじいちゃんの食器を暮らしの中に受け入れたのだけれど、よく考えると、よほど親しい人の形見とかでない限り、いわゆる「遺品」を使うには抵抗感のある人も多いのかもしれない。
特に食器に関しては、リサイクルショップでも新品でなければ引き取ってもらえないことから解るように、衛生面や心理的な面からも、人によってはちょっと難しいところもある気がしている。
こういう古物を扱うにあって、考え方は様々であることを理解しておかなければならないと思う。

こうして始まった古食器のある生活、私の場合は結構気に入っている。

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