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やまねの塒日誌|vol.22|蚤の市と家のこと

家について考える蚤の市「やまねの塒の時の市」
先日、第1回目を開催した。

この時の市で譲っていただいたお宝、
ちいさいガラスのケーキドームを使いたくて、早速翌日、お菓子を焼く。

もっとバえるものをつくればいいのに、
なぜかショートブレッドという地味チョイス。

でもほら、かわいい。うれしい。
バターたっぷりでザクザクのいいのができた。
こういう焼き菓子やパンがいつもよりもさらに
とても食べたくなってきて、秋だなぁと思う。

このアイテムは、店先でキラキラ輝くガラスアイテムの中から掘り出した。
シンプルで、うつくしいものたちがならぶ彼女のお店は魅力的で
足を止め、しゃがみこんで、ひとつひとつを吟味していた。

新聞紙にていねいにくるまれ
ひとつ、またひとつと送り出されていく。
彼女のお気に入りだったものが、また誰かのお気に入りになって、
その誰かの生活に馴染んでゆく。
この過程がいとおしく、新品でモノを購入することでは得られないものだと思う。

蚤の市のよさは、ひとつひとつが一点モノであるということ。
モノはできたてのモノではなく、かつては誰かが大切にしていたもの。
傷やすりきれ、色あせといった個性があったり、
当時の流行や技術による、素材が形のよさが詰まっていたりもする。
これはもう二度と、つくることのできないもの。

"家" も同様だと思う。
長年、家族の生活を守り育んできた家は当然、
築年数が長ければ長いほど傷みが激しいことが多い。
こぼす(崩す)のはたぶん一瞬なのだろうけれど
一度すべてこぼして(崩して)しまうと、二度と建てることはできない。
もちろん、すっきりと、こぼしたほうが良い場合はたくさんあると思う。
家や家庭の事情はそれぞれだから。
それでもなんだか、ただただこぼすのは、もったいないなぁと思ってしまう。
これからの人が価値を見出せるものは
この先の時代にも繋げていきたいなぁと思う。

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