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朽ちる思い出

寿庵のある大山寺エリアは国立公園内に位置し、一般住宅は一軒もない特殊なエリアです。商売をするのを目的にこの地に来た人たちが集落を築いてるのですべての建物が旅館、宿坊(※)、土産物屋などなど。今ではすでに半分の建物が空き家になったり、取り壊されたりしています。※古くはお寺の関係の人だけしか住めない場所で、一般の人はお豆腐屋さんのみという歴史があります。

その中のとある旅館とお客さんの話です。寿庵のSNSのフォロワーさんですが、すでにお年を取られて、なかなか大山へ足を運べなくなり、私が日々Facebookでアップする大山の写真を楽しみにしているとのことでした。

そのOさんは、すでに廃業したその旅館の女将さんやお客さん同士の交流など今でも鮮明に覚えているようです。少しメールでやり取りをさせていただいたのですが、50年以上前から大山に通っていたとのこと。旅館街、つまり参道が繁栄していた時代の懐かしい話などを教えていただきました。

私も30年前から大山登山に来てるのですが、当時はテント場で寝泊まり。そのため、にぎわっていた参道の記憶がほとんどありません。大山の風物詩である夏山開き祭のたいまつも19歳くらいから参加してますが、暗闇とたいまつの明かりとテンバの記憶しかない。あとは、たいまつ欲しさに、献血をしてその引き換えにたいまつをゲットした思い出。

寿庵の本棚にある50年前の大山の写真集にOさんの思い出の旅館の姿が写っています。今はもう見る影もなく、朽ちようとしています。その写真集を見るたびに、いい時代だったのだろうなぁ~と思いを馳せる。

今の姿が見たいとおっしゃられたので、数枚建物を撮影。いつも横目で通り過ぎるその旅館。普段は何も思わずに通り過ぎますが、多くの人の往来があったであろう玄関、そして、今では草ぼうぼうになった庭を見渡しました。

せめて、状態がいいうちに、誰かが跡を継ぐことができなかったのかなぁ?それかいっそのこと取り壊し、新しく別のものがある方がよかったのだろうか??これから、最後朽ち果てるまでを私は見届けることになるのだろうか?建物の歴史と、家族の歴史、様々なものがこのまま朽ち果てるのだなぁ‥と思うとなんとも言えない不思議な感覚になり、ちょっと悲しい気持ちにもなりました。

寿庵だってあと50年すれば、朽ち果てるだろう。もちろん、自分が商売を終えたときに、私は取り壊すことを想定。そのお金を積み立てている。もしかしたら、次やりたいという若い人が出てくれれば、それはそれで次の世代に譲ってもいいとおもう。

そして、今来てくれてる常連さんが、宿の前を通過するたびに、そういや寿庵があったよなぁ~と思い出にふけってもらえれば、ここに寿庵を作った意味があるのかもしれないなぁ~って思う。

Oさんにとってのその旅館は青春のすべて。大山の思い出がすべてこの旅館とともにあるようでした。子供さんが小さかった時の家族の思い出。奥さんとの思い出。仲間や常連さんとの思い出。

そんな風に、人生の一部として宿の思い出があるって、すごいなぁ。いかに女将さんやご主人が素敵な空間を作り上げていたのかもわかるし、きっと素敵な常連さんが多かったのだろう‥と想像。

私はスタートさせたのが遅いので、私が関わる宿の歴史はあまり刻めない。でも、廃業してもなおそう思ってもらえるような宿に仕上げていければ本望ですよね。

Oさんとのやり取りで、宿というものの存在を改めて意識させてもらいました。

寿庵のHPはこちらをクリック!

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