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伝わる言葉。

3月、やはり春の足音が近づき、景色も徐々に春を思わせる光景に変わりつつあります。それでもまだ名残り惜しいのか、雪がちらつき、冬を感じさせるときもあります。

それにしても、寒暖の差が激しく、天気もコロコロ変わる。昨日なんて、晴れたかと思ったら曇りになり、雨が降ったかと思うと、雪に変わる。雪が降ってるなぁ~と思うと、日差しが差し込み、そして雨になる・・。不思議なお天気模様でした。

先週末、日曜日は朝から山の上は雲海で、素晴らしい景色が広がっていたようです。まずはご来光の写真。地元のOさんからいただきました。

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そして、この日、久しぶりに大山に登ったという関西のAくんからも写真をいただいたのですが、その写真とともに、言葉が添えてありました。

大山自体、久しぶりで、山では霧氷の森。4合目過ぎたぐらいでガスが抜けたら霧氷がバラバラ落ちてきて太陽光が虹みたいになって、三鈷峰が見えたら雲海で、頂上からは麓が見晴らせるって、絶景てんこ盛りな感じでした!
雨氷も霧氷も見れたし、今日は風もなくて暖かく最高の山日和でした〜。

文章を見ただけで、光景が目に浮かびますね。もちろん、知っているからこそ景色を思い浮かべることができるのですけど、写真がなくっても情景が分かりました。

山では霧氷の森。

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4合目過ぎたぐらいでガスが抜け、

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霧氷がバラバラ落ちてきて太陽光が虹みたいになって

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三鈷峰が見えたら雲海で

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頂上からは麓が見晴らせるって、絶景てんこ盛り・・・。

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お~、ほんとてんこ盛り!Aくんも久しぶりの大山から素敵な景色をもらって感動したようで、その気持ちをそのまま言葉にした・・とのこと。

写真を見る前に、文章を読んだのですが、その時点で既に感動が伝わりました。

今でこそ、写真ですべてを伝える時代になり、言葉足らずになったのですが、やっぱり空気感は言葉の方が伝わります。風があった・・とか、寒かった・・とか・・。怖かった・・とか。それだけでも、伝わりますよね。もちろん、今は、動画もあり行かずとも臨場感が味わえるのだけど・・。

大山の情景を語らせたら、やはり志賀直哉でしょうか??(古っ!)代表作の暗夜行路。あまりにも暗い作品で、じっくり読んでみようとは思わなかったんですけど、でも、大山のふもとの宿坊に滞在し、実際に登山をしているため、大山の描写は本当に美しいです。

中の海の彼方から海へ突き出した連山の頂が色づくと、美保の関の白い燈台も陽を受け、はっきりと浮かび出した。まもなく、中の海の大根島にも陽が当たり、それが赤鱏を伏せたように平たく、大きく見えた。村々の電燈は消え、そのかわりに白い煙がところどころに見え始めた。しかし、麓の村はまだ山の陰で、遠いところよりかえって暗く、沈んでいた。謙作はふと、今見ている景色に、自分のいる大山がはっきりと影を映していることに気がついた。影の輪郭が中の海から陸へ上ってくると、米子の町が急に明るく見えだしたので初めて気づいたが、それは停止することなく、ちょうど地引き網のように手繰られて来た。地をなめて過ぎる雲の影にも似ていた。中国一の高山で、輪郭に張り切った強い線を持つこの山の影を、そのまま、平地にながめられるのを稀有のこととし、それから謙作はある感動を受けた。

ご来光に登った主人公が見た景色の一文なのですが、みなさんに頂いたご来光の時の写真を探すと、こういう景色を見たのだろうなぁ・・ってわかりますね。

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志賀直哉が大山に滞在したのは1914年とのこと。ずいぶん昔のことですが、このころから大山山頂から見る影大山はきっとかわらないでしょうね。

この頃、言葉を綴ることが少なくなったのですが、たまには、山に登った時に、いつも以上に感性を研ぎ澄ませて、じっくりその景色を観察し、写真には撮り切れない情景をメモに書き残すのも楽しいのかもしれませんね。

追記:このNOTEをかいた後に、ちょっと蓮浄院跡へ改めて行ってみた。建物の保存など、なんとかならなかったのかなぁ・・・と思ったりもする。中を見ると水回りのタイルの残骸が草木に埋もれているのだけど、それだけが在りし日の面影をしのぶものになっている。

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記憶をたどると20年くらい前には、まだ建物の残骸くらいは残っていた気がするし、看板らしきものがあったような気もする。今はこんな看板だけは残っているけど・・

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また、何かの折に志賀直哉についてまたNOTEに書き留めたいと思いますね。

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