裏と表

「うちの学校の生徒は表裏があるんですよ」と、不安そうに答える小学校の先生の声を仕事で聞いた。

表立ってはいい顔をして、陰で悪口を言ったりするらしい。小学生であれば、たしかに不安になるだろう。

「表の部分が大きくなっていくといいですね」と、そこに居合わせた誰かが言い放ち、その場にいた全員が屈託無くそれに賛同していた。

そういう意識に、胸のつかえを感じる。

表と裏は、ない方ないいのか。
表の方が大きければ「良い子」なのか。
そもそも裏と表で語れるほど簡単なものなのか。

自分に子どもがいたとして、陰で悪口を言うような「裏表がある」ことに気付いたら、きっとそうではなくなることを願って、何かしらメッセージを伝えるだろう。

でも、何と言うだろう?

・・・

noteで書いている文章を、ぼくは会社の人に、家族に、妻に進んで見せることはしていない。

だとしたらここで書かれた言葉は、読んでない人にとっては「裏」側なのかもしれない。自分はそう思っていなかったとしても。

誰がどの位置から見るかで裏や表と認識されるかが変わる。
平野啓一郎さんの「分人主義」のように、接するグループや相手ごとの自分がいて、中心や「ほんとうの自分」なんてものはない。「仮面」なんてきっと存在しない。

だとしたら簡単に裏表で人を語ったり、表側であるべき、というのはあまり気持ちの良いことではないなと思った。

人はもっと多様だ。きっと裏表で語る人たちもわかってはいるのだろうけど、みんなわかりやすい言葉で語りすぎている。そこに、やっぱり違和感を感じるのです。

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畠田大詩

東京在住。写真、編集。

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コメント3件

人の側面はいろいろあっていいんだなと思わされるノートで印象にのこりました。どんなものもその人の一部なんだなーと。素敵なノートをありがとうございます💫
とても考えさせられる記事でした。私はすぐ「あの人のホントはなんだろう」と考えてしまって苦しくなるくらい悩んでいました。この記事を読んでも、頭ではなんとなく理解をしようとしますが、こころがなんとなく「うーん…」と生返事を返してしまいます…申し訳ありません。すべてを知る必要なんてないはずなんですよね。自分だっていろんな面があって、複雑なのに。相手には、わかりやすさのようなものを求めてしまう。
自分が不安にならないために…。結局は、自分のためなんですよね。相手のためではない。

そんな利己的な自分にハッとしたり(苦笑)。この記事を書いてくださり、ありがとうございます。そうか、こういう意見もあるんだなっていうことを知ることができて、広さを感じます。

もしかすると、未来の私は何かの拍子にこのことを肌で感じることもあるかもしれない、とも思いました。

長くなってしまいました。申し訳ありません。
丁寧コメントいただきありがとうございましす。全てを知る必要がない、というか、全てを知れるわけがないとぼくは思っています。記事の中にも書いた、平野啓一郎さんの分人主義の本を読まれると、少し整理ができるかもしれません。お勧めさせていただきます。ありがとうございました。
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